★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

去年の雪、いまいずこ

2010-06-17 23:35:34 | 大学
ビューロクラシーのなかで生活するというのは覚悟のいることである。単なる面従腹背とは違う巧妙なやり方を、周りの人間が開発しているのではないかという、疑心暗鬼にかられる日が多くなった。

『批評空間』末期の頃、浅田彰が、悲惨な時代においても「クリティカルスペース」が抽象的にあり得るのだという風なことを言っていたが、私はそのとき懐疑的だった。『批評空間』が潰れたら、批評家は大学にしか居場所がなくなるのではないかと思ったからである。事実、そういう批評家がたくさん出たではないか。実際の居場所がなければ「スペース」はない。

しかし、浅田に比して、私は大学に期待をかけすぎていたのかもしれない。浅田にしてみれば、大学も『批評空間』も期待できないが故に、すでに絶望的な「スペース」を夢想しているだけだったのかもしれない。

さあれ、去年の雪、いまいずこ