★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

負けるが勝ち、ルサンチマンも持つが勝ち(とは限らぬ)

2010-06-30 23:29:47 | ニュース
サッカーが負けちゃったので、いろいろ考えることが多かった一日であったが、結局たどり着いた結論は──まさに大人(笑)の倫理として大切なのは「負けるが勝ち」ということである。

私は、基本的に戦時中の文学の研究者だが、そのころの文学をいろいろ読んでいて思うのは、とにかくいろんなことで全面的に勝利したいと考えている文学は、そのときはなんとなく威勢が良く感じるのであるが、あとあと振り返ってみると非常に恥ずかしい文章になってしまっているということだ。

大本営発表に「勝利だよ勝利だよ」と刷り込まれた、だけではなく、右も左も中間も、上も下も、勝利を急ぎすぎている。勝つためには物事に順番をつけ、やらねばならぬことから片づける必要がある。そのためにとりあえず一つ目から全力投球する、のはいいのだが、負けたときに必要なことをやっていないので、すごく慌てる羽目になる。結局、能率は落ちる。

ニーチェ的な言説には、キリスト教のルサンチマンの裏返しである善意を批判しすぎて、キリスト教的でない自分が勝ったと思いこむ癖があるような気がする。自分こそ、いままでキリスト教の善意の同調圧力に負けてルサンチマンをため込んでいたことを忘れてしまうのである。

というわけで日本は負けて良かったぞ、思い切り汚辱にまみれた迂遠な道をたどり、いつの日にか勝利するのだ。そして、今日のようにいずれ負けるのである。

サッカー日本代表、世界征服ならず

2010-06-30 02:48:08 | 文学
1時間目の授業の資料をつくる。戦前の右翼の運動について。大東塾、影山正治……と書いたところで、テレビをつける。さてと、次のサッカー日本代表の試合は明日か明後日か……





もう負けていた。




でもこの渋谷?の騒ぎは?まるで勝ったみたいではないか。だいたい日本人は、負けたのにすぐ「よくがんばったね~」とか「元気をもらいましたっ」とか「日本の埃(←間違えた)だ」とか「本田の金髪は流行る」とか言い募っているが、――ちょっとは深刻に考えたらどうなのだ。負け戦ではないか。切腹するやつは――いなくて結構だが、恥を知れという感じはする。

もっとも、昔、本物の戦に負けたときも大して恥じていないところが笑えるが……下はそのときまじめに自爆した方の碑にある歌

天なるや 秋のこだまか とこしえに 愛宕のやまの 雄たけびのこゑ

更に昔の戦のあとの、額田王と大海人皇子のお歌

あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る
紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我れ恋ひめやも

まあ、いいか、昔からこんなだし……