★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

わしは嫉妬深い神じゃけんと隣人愛を説く

2010-06-07 23:49:12 | 思想
研究室で昨日のフレンド舟の報告書を書きながら、柴田寿子氏の「リベラル・デモクラシーと神権政治」を読む。柴田氏はレオ・シュトラウスによりながら、スピノザを経由し、モダニテイこそが旧約聖書にある「嫉妬する神」を殺したと書いておる。

「お前にはわしの他に神があってはならぬよ」「わしはお前さんの神じゃよ、(ちなみに)わしは嫉妬深い神じゃけん……」「という訳でとりあえず警告しとくわ、お前らが守らなきゃいかん10つの約束は次の通り……」

エジプトを脱出して実存的モードに入っていたモーゼにこう神が言ったので……モーゼは今度は追っ手ではなく自らが引き連れてきた同胞に対する戦闘的啓蒙に着手するのである。(聖書を読み直している暇がないんだが、こういう話だったかな?)

かくして、神とユダヤ人は嫉妬しあう関係になったが……これを普遍的な隣人愛などの普遍的宗教と合理主義が殺してしまったというのである。その結果が、現在につづく虐殺の歴史だ。

我々の宗教的土壌では、愛すべき隣人からいきなり何の前提もなしに「(ちなみに)わしは嫉妬深い神じゃけん……」「という訳でとりあえず警告しとくわ、お前が守らなきゃいかん10つの約束は次の通り……」といわれそうで怖いわ。

まだきちんと読んでないから何もいえんが、柴田氏の書きぶりはちょっとお行儀が良すぎるという感じがする……が、私は、戦争が始まれば喜んで戦場に話のネタを探しに行きかねずネタにこまったら「隣人愛に神を見ました」ぐらい平気で言ってのける人種の末裔だ。モーゼの神以上に信用できないのは私の方であろう。