★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

日本が滅びても私は生き残る4(小松菜死闘編)

2010-06-13 10:31:44 | 食べ物
もはや、小松菜という感じではなくなってきたが、というのは、この前の首の部分だけが生き残っているのである。ちなみに胴体は死滅した。
魯迅ではないが──いや四谷怪談でもいいけども、首が飛んでも動いてみせるわ、とはこのことであろう。

高見順「深夜の樹木」

深夜
樹木は出発の準備をする
魂胆があって準備する
永いことかかるところの準備をする
殆ど毎夜準備する
しっかりと地に根を張りながら準備をする

どこへ出発するのか
それは樹木にもわからないしわかることを必要としない
出発することこそ樹木の生涯の願いである
今夜も
樹木は出発の準備をする
深夜の陰謀に手をふるわせながら準備をする


この詩をたしか花田×輝が、こういうやつは永遠に出発しねえよ(笑)とからかっていたが、要するに首をちょん切れば良かったのである。そして違う場所に植えてやるのである。

しかし、どうも高見にしても花田にしても、植物が人間と比べものにならないくらい運動性にとみ繁殖に貪欲であることを見逃しているのではないか?だいたい、人間の子宮が毛でふわふわ飛んでいったりしますか?胞子を天に向かって思い切り吹き上げたり、昆虫に運ばせたりやりたい放題ではないか?