★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

冬の宿と卍

2010-06-27 23:11:27 | 文学
阿部知二「冬の宿」と谷崎潤一郎「卍」を読む。

昔二作とも読んだはずである。が、読んでみたら何この話おもしろいね、初めて読んだわ~というかんじで……文学研究者として恥をしれ。

阿部知二の方はなんとなく覚えていたのだが、谷崎の方は、所々「春琴抄」と混同していていた……酷すぎる私の頭脳。あ、覚えてるのがあるぞ、岸田今日子のアップだよ(←映画ですね、それは)

ちなみに、卍はハーケンクロイツを想起させるというが、私は風車に見えるね。壊れた水車にも見えるね。芥川の「歯車」を読んだときにも卍が浮かんだ。というわけで私にとっては「歯車」は見事にファシズムを預言した作品なのである。

と思ってテレビをつけたら、サッカーはドイツ対イングランドが始まるところであった。「神よ、皇帝フランツを守り給え」と「神よ、女王陛下を守り給え」の戦いであった。サッカーボールに卍のサインでも誰か書いておけば、ドイツは自己嫌悪、イングランドも昔アーリアン学説を振り回したことを想い出し、より激しい戦いになるであろう。あ、がんばれにっぽん。実は、日本人もアーリア人だったという説をきいたことがある。わたくしの記憶力は信用できないから、日本人もアジア人だったかもしれない。