★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

刀の発生とその後

2020-09-03 23:49:22 | 文学


ここに天皇詔りたまはく、「吾はほとほとに欺かえつるかも」とのりたまひて、軍を興して、沙本毘古の王を撃ちたまふ時に、その王稻城を作りて、待ち戰ひき。この時沙本毘賣の命、その兄にえ忍へずして、後つ門より逃れ出でて、その稻城に納りましき。
この時にその后姙みましき。ここに天皇、その后の、懷姙みませるに忍へず、また愛重みたまへることも、三年になりにければ、その軍を𢌞して急けくも攻めたまはざりき。


皇后は、兄に答えを迫られたとき、「面に問ふに勝へざりき」――だったと言っている。確かに、いきなり問い詰められると我々はへびに睨まれたカエル状態になる。だから、組織の中では、こういう手段が常套手段として使われている。平気でそれをやれる人物の名前はきちんと記録しておくべきである。動物としてはともかく、人間としては頭が腐っていると言ってよく、世の中の騒ぎはこいつらが引き起こしているのだ。

とはいえ、教育では、是に近い脅しが必要な場合があろうというものだ。それを逆恨みして、知的権威や「先生」などを一生標的にして溜飲を下げようとする人格的幼児が多数生まれてしまったのが今の世の中だ。――そういう人間は、つい自分の子どもを怒鳴りつけてしまったことを、過剰に気に病んだり、「愛」で合理化してしまったりするような、これも、あんた中2かよ、みたいな状態に陥る。

総じて、人生と人間に対する壮大な勘違いがある。人間には、手段だけに特化した刃物になる瞬間があって、――狂人なのだが、それは誰にもありうる、そして、常にそれである狂人という者が、我々のヴァリエーションとしてあることを忘れてしまっているという勘違いである。刀には話は通じない。

Aが悪いのを注意したBがAに優しくなかったのでBをみんなでリンチする。これはネット時代の特徴じゃなくて、むかしからある、Aが卑怯者である場合のあれだろう。ふつうこういう卑怯者の話をきちんときいたり過剰に制裁を加えてはいけなくて、世の中に悪い影響をあたえないようにやんわりまわりが頑張るしか手はない。――というのが常識だった気がするんだが、もはやそうではなくなったのだ。文句を言うにも資格ってものがあろうよ、というのを文字通り禁止命令ととったりするセンスの狂いぶりがそういう者の特徴なので、もうある程度しか相手にしてはいけないのである。むろん、そういう自分の自意識に対しても、適当にしか相手にしてはいけない。寄り添ってはいけないものが我々の中にはあるのだ。

思うに、この場合天皇は、「まあいいか」と日和らずに、后の兄をきちんと責め滅ぼしにかかるところがまあ、いい。とはいっても、皇后の方は、本当に兄貴の方も嫌いではないし、兄妹だし……。おそらく闘いを辞めさせるとか、という計算せずに、后(妹)は兄貴のところに身を寄せてしまう。

荒唐無稽ではなく、ふつうにありうる自然さがある話である。

我國には古く妊婦が胎兒を分娩せずして産の上で死亡すると、妊婦の腹を割いて(産婦の死後は産道の活力が失せるので、こゝから胎兒を引き出すことは出來なかつたらしい)胎兒を取り出し、妊婦にその胎兒を懷かせ(土地によつては妊婦と胎兒を後ろ合せにする處もあるが、それは略して置く)て埋葬する土俗が存してゐた。而してその折に腹を割く役を勤めた老婆が、安達ヶ原の鬼婆々の眞相だと私は考へてゐる。

――中山太郎「安達ヶ原の鬼婆々異考」


わたくしは、古事記の荒唐無稽さが、それほどでもないところに注目したいのである。むしろ、実際におこなわれていた、もう忘れられたことに本当の我々の姿がある。どこかで、ヴァレリーが「伝記作者ってのは並外れたことばかり書きたがる」と言っていた気がするが、私の言いたいのは逆で、並外れたこと以外しか信じられないところも我々の本性ではないかとも思うのである。