
かれ、その御子を出して稲城の外に置きて、天皇に白さしめたまはく、「若しこの御子を、天皇の御子と思ほしめさば、治めたまふべし」とまをさしめたまひき。ここに天皇詔りたまはく、「その兄を怨むれども、なほその后を愛しむに得忍びず」とのりたまひき。かれ、即ち后を得たまはむ心ありき。ここをもちて、軍士の中に力士の軽く捷きを選り聚めて、宣りたまはく、「その御子を取らむ時、すなはちその母王をも掠ひ取れ。髪にもあれ手にもあれ、取り獲むまにまに、掬みて控き出すべし」とのりたまひき。
今日、久しぶりの大粒の雨の音を聞きながら、進藤喜美の『日本の母』(昭和一八年)という戦時中の本を読んでましたが、日本の母というのは、わが子への愛情より何よりも至高の精神を持っており、「一朝有事の際に、我が心を、我が子もろとも捧げまつる覚悟のもとに、つよく正しく我が子を育てるあげ」るんだそうである。捧げ奉るといっても、母の場合は自分の心だけなのに、子どもは奉られて南方で飢え死にしてるんだから世話はないが、――それはともかく、「肇国の精神」に則っているはずの戦争なのに、その「肇国」のあたりでは、むしろ上のように、自分は兄の元にのこり、自分の子だけ陛下にささげ奉っているのは面白い。「あなたの子どもだと思うなら、どうぞお引き取り下さい」と。天皇は子どもを自分で育てろ、血統が大事なんでしょ?みたいな発言にみえる。
天皇は、妻が愛しくてならんので、子どもを手段にして、妻を引きずり出そうとする。
藤樫準二の『陛下の”人間”宣言』という昭和二一年の本がある。天皇の人間宣言のあとの本である。こんどは、平板な描写におわり、天皇が肇国の段階で人間でしかなかった姿は却ってなくなった。天皇は人間宣言でかえって人間でなくなった面があるのである。そもそも現人神の段階で人間ではないのだが。我々が人間であることをとりもどすためには、過去の人間が人間であったことを確かめるしかないのではあるまいか。我々自身は、自意識の鏡の反射で訳分からないからである。アイデンティティというのは、究極的な自分であることの原因を確定出来なければならないが、それは自分を見つめても無理である。自由意思は、どこから来るのか?自由を自分に置き換えてもおなじことが言える。
「その母王をも掠ひ取れ。髪にもあれ手にもあれ、取り獲むまにまに、掬みて控き出すべし」この言葉が、むしろ、このあとの悲劇の原因である。この言葉には自由意思がある。
「あなた。」
息苦しい沈黙の続いた後、こう云う声が聞えた時も、敏子はまだ夫の前に、色の悪い顔を背けていた。
「何だい?」
「私は、――私は悪いんでしょうか! あの赤さんのなくなったのが、――」
敏子は急に夫の顔へ、妙に熱のある眼を注いだ。
「なくなったのが嬉しいんです。御気の毒だとは思うんですけれども、――それでも私は嬉しいんです。嬉しくっては悪いんでしょうか? 悪いんでしょうか? あなた。」
敏子の声には今までにない、荒々しい力がこもっている。男はワイシャツの肩や胴衣に今は一ぱいにさし始めた、眩い日の光を鍍金しながら、何ともその問に答えなかった。何か人力に及ばないものが、厳然と前へでも塞がったように。
――芥川龍之介「母」
芥川龍之介はそれを「人力に及ばないもの」と言っているが、それこそが人力なのである。芥川龍之介というのは、通俗道徳から読者を救おうとして、最小限の一歩しか踏み出せない書き方であることが多いような気がする。自明の理は理解が得られなくても描いてしまうべきではなかったのか、とわたくしは思う。