故、天皇、其の情を知りて、宮に還り入りき。此の時に、其の夫速総別王の到来れる時に、其の妻、女鳥王の歌ひて曰く、
雲雀は 天に翔る 高行くや 速総別 雀取らさね
天皇、此の歌を聞きて、即ち軍を興し、殺さむと欲す。爾くして、速総別王・女鳥王、共に逃げ退きて、倉椅山に騰りき。是に、速総別王の歌ひて曰く、
梯立の 倉椅山を 嶮しみと 岩懸きかねて 我が手取らすも
又、歌ひて曰く、
梯立の 倉椅山は 嶮しけど 妹と登れば 嶮しくもあらず
故、其地より逃げ亡せて、宇陀の蘇邇に到りし時に、御軍、追ひ到りて殺しき。
安彦良和が描くように、イズモ王国とヤマト(邪馬台)国は奈良で統一王朝をつくるに至ったのであろうか。それは分からないが、それが男女の結婚というかたちで成し遂げられたという物語は、感覚的に面白いと思う。古事記はあまりにも男女の諍いが政治的なのである。そりゃまあ、こういうことはよくある話といえばそれまでなんだが、我々は、古代人が現代人にくらべて素朴であると考えるべきではない。よくよく考えた末の表現であると考えるべきである。いまと同じく、複雑な人間関係と政治的状況を古代人も生きていたに相違ない。魔除けや呪文がある世界でも、いまと同じである。いまだって我々は、言語をほぼ呪文としてしか使っていないではないか?コミュニケーション能力とか言っているひとは特にそうである。コミュニケーションというのは呪文の効果である。
鳥のように可愛らしい妻が、ハヤブサ(夫)よ、天高く飛ぶ雲雀よりあなたは高くいけるでしょう。はやく雀(仁徳)なんかヤリなさい、と言うのだ。もうどうせやられるんだから飛ぶしかない。――いまはこんなしゃれた煽りができなくなっただけのことである。
ところが、コミュニケーションの誤配(東浩紀)か何か知らないが、この歌は仁徳にも届くのだ。仁徳は二人を追いつめて殺してしまう。倉椅山を逃げながら二人の鳥は「険しくない」と歌いながら惨殺される。
けれども、私は、死ななかった。私は神のよほどの寵児にちがいない。望んだ死は与えられず、そのかわり現世の厳粛な苦しみを与えられた。私は、めきめき太った。愛嬌もそっけもない、ただずんぐり大きい醜貌の三十男にすぎなくなった。この男を神は、世の嘲笑と指弾と軽蔑と警戒と非難と蹂躙と黙殺の炎の中に投げ込んだ。男はその炎の中で、しばらくもそもそしていた。苦痛の叫びは、いよいよ世の嘲笑の声を大にするだけであろうから、男は、あらゆる表情と言葉を殺して、そうして、ただ、いも虫のように、もそもそしていた。おそろしいことには、男は、いよいよ丈夫になり、みじんも愛くるしさがなくなった。
まじめ。へんに、まじめになってしまった。そうして、ふたたび出発点に立った。この選手には、見込みがある。競争は、マラソンである。百米、二百米の短距離レエスでは、もう、この選手、全然見込みがない。足が重すぎる。見よ、かの鈍重、牛の如き風貌を。
変れば変るものである。五十米レエスならば、まず今世紀、かれの記録を破るものはあるまい、とファン囁き、選手自身もひそかにそれを許していた、かの俊敏はやぶさの如き太宰治とやらいう若い作家の、これが再生の姿であろうか。頭はわるし、文章は下手、学問は無し、すべてに無器用、熊の手さながら、おまけに醜貌、たった一つの取り柄は、からだの丈夫なところだけであった。
案外、長生きするのではないか。
――太宰治「答案落第」
自分を「俊敏なはやぶさ」だったといってしまうこの作家もまた、長生きはしなかった。女と一緒に死んだ。