
そこより入り幸して走水海を渡りたまひし時、その渡の神浪を興し、船を廻して得進み渡りたまはざりき。ここにその后、名は弟橘比売命白したまはく、「妾 御子に易りて海の中に入らむ。御子は遣はさえし政 遂げて覆奏したまふべし」とまをしたまひて、海に入りたまはむとする時に、菅畳八重・皮畳・八重・絁畳八重を波の上に敷きて、その上に下りましき。ここにその暴波自らなぎて、御船得進みき。ここにその后歌曰ひたまはく、
さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも
とうたひたまひき。かれ、七日の後、その后の御櫛海辺に依りき。すなはちその櫛を取りて、御陵を作りて治め置きき。
日本のあちこちには、こういうおなごを入水させて水を鎮める話がたくさんあり、池のために入水させられた女がどれだけいたことか想像もつかぬ。女を水に接近させて考える発想はなんとなく分かる気もするのであるが、この前火の中を無事くぐり抜けたヤマトタケルであるから、ここでは民間伝承に逆らってトトタチバナヒメもモーゼのように水を統べてしまえばよかったのに、と思う。そういえば、私も、波に布を被せれば静かになりそうだとか、火に布を被せるところから思いついたことがあったから、なにか分かる気もするのであるが、殺さなくてもいいじゃないか。文学作品としてみれば、ここまでヤマトタケルの物語は死の匂いでいっぱいであり、それにしては死が素っ気なく描かれているから、のちにやってくるヤマトタケルの死をイメージ豊かにするための修辞だとも思える。上の和歌も、ヤマトタケルのイメージを増幅させてやまない。燃ゆる火の火中に立ちて、というのが、彼が「水中に立ち」生き残るというイメージだけでなく、彼の死をどことなく思わせるところがいい。死んだ姫の方は、櫛だけが見出され、硬いイメージで固定化してしまうが、ヤマトタケルは火のようにゆらゆらと生を続けていく。――こうやって妄想すると、火も水でもなにか同じものの違う姿なのではないかと思われるのであった。
「わたしたちの村のひとりの子どもが、狐にばかされて村にかえってきません。それでわたしたちはさがしているのです。すみませんが、ちょっとちょうちんの火をかしてください。」
といって、旅人から火をかり、みんなのちょうちんにつけるだろう。長いちょうちんやまるいちょうちんにつけるだろう。
そしてこの人たちは、かねやたいこをならして、やまや谷をさがしてゆくだろう。
わたしはいまでも、あのときわたしがうしかいのちょうちんにともしてやった火が、つぎからつぎへうつされて、どこかにともっているのではないか、とおもいます。
――新美南吉「ひとつの火」
こういう感覚も我々にはなじみがなくなってしまったが、――聖火リレーみたいに、我々はいちいち大仰な意味を事物にくっつける癖をつけてしまったのだ。思ってもいないような意味を。思うのだが、古事記の時代は、我々が神でないことが自覚されていて、上のヒメだって大したこともせずに死んでいく。是に比べて、聖火リレーなどという名前に懐疑を懐かない我々は、古代よりも狂っていると言わざるを得ない。