★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

山の神、ヤマトタケルを撃つ

2020-09-15 23:42:30 | 文学


夜4時頃になるとオリオンが輝いている今日この頃である。

かれここに御合ひしたまひて、その御刀の草薙の剣を、その美夜受比売のもとに置きて、伊服岐の山の神を取りに幸行でましき。
 ここに詔りたまひしく「この山の神は徒手に直に取りてむ」とのりたまひて、その山に騰りたまふ時に、山の辺に白猪逢へり。その大きさ牛の如くなり。ここに言挙げして詔りたまひしく
「この白猪に化れるは、その神の使者にあらむ。今殺らずとも還らむ時に殺りなむ」とのりたまひて、騰りましき。
 ここに大氷雨を零らして、倭建の命を打ち或はしまつりき。この白猪に化れるは、その神の使者にはあらずて、その神の正身なりしを、言挙げしたまへるによりて、或はさえつるなり。
 かれ還り下りまして、玉倉部の清泉に到りまして、息います時に、御心やや寤めたまひき。寤かれその清泉に号づけて居醒の清泉といふ


結婚にうかれて叔母にもらった剣を置いて伊吹山に成敗にいってしまったヤマトタケル。「素手で倒すから大丈夫」などと、新婚時の一種の躁状態で、――かどうかはわからないが、伊吹山の神の怒りを買ってしまった。使者だと思った猪はじつは神本体であった。激しい氷雨でヤマトタケルは意識混濁してしまう。

ヤマトタケル、山の神にこんな簡単にやられてしまうとは、さては――おぬし、完全に人間ではないだろうか……

それにしても、伊吹山のあたりは歴史上いろいろとある。いまでも新幹線にのっていると、急に曇ったり雨が降ってきたりするのが、伊吹山が見える関ヶ原のあたりだ。伊吹山も1300メートルと大したことはないようにみえるが、山というのはちょっとした小山でも近くに寄っていったらすごい迫力なのだ。確か、関ヶ原の戦いで石田が逃げたのが伊吹山の方だったような気がするが、なにか近寄りがたい気がするものである。ナポレオンのアルプス越えの絵はその意味でなんともすごい勢いではないかと思うのだ……

伊吹山は敦賀には少し劣るが、他の地に比べては、著しく雨雪日の数が多い、名古屋などに比べると、倍以上になるわけである。冬季三か月間、九十日のうちで、約六十九日、すなわち約七十七パーセントは雨か雪が降る勘定である。筒井氏の調査によると、冬季降雪の多い区域が、若狭越前から、近江の北半へ突き出て、V字形をなしている。そして、その最も南の先端が、美濃、近江、伊勢三国の境のへんまで来ているのである。従って、伊吹山は、この区域の東の境の内側にはいっているが、それから東へ行くと降雨日数がずっと減る事になるわけである。
 何ゆえにこのような区域に、特に降水が多いかという理由について、筒井氏の説を引用すると、冬季日本海沿岸に多量の降雨をもたらす北の季節風が、若狭近江の間の比較的低い山を越えて、そして広い琵琶湖上から伊勢湾のほうへ抜けようとする途中で雪を降らせるというのであるらしい。特に美濃近江の国境の連山は、地形の影響で、上昇気流を助長し、雪雲の生成を助長するのであろう。
 また伊吹山観測所で霧を観測した日数を調べてみると、四か年間の平均で、冬季三か月間につき七六、八日となっている。つまり冬じゅうの約八割五分は伊吹山頂に雲のかかった日があるわけになる。もっともそれだけでは山頂が終日全部おおわれているかどうかはわからないが、ともかくもこの山がそのままによく見える日がそうそう多くはないという事だけは想像される。
 以上の事実を予備知識として、この芭蕉の句を味わってみるとなると「おりおりに」という初五文字がひどく強く頭に響いて来るような気がする。そして伊吹の見える特別な日が、事によると北西風の吹かないわりにあたたかく穏やかな日にでも相当するので、そういう日に久々で戸外にでも出て伊吹山を遠望し、きょうは伊吹が見える、と思うのではないかとまで想像される。そうするとまたこの「冬ごもり」の五字がひどくきいて来るような気がするのである。


――寺田寅彦「伊吹山の句について」


芭蕉の「おりおりに伊吹を見てや冬ごもり」を分析した文章である。こうしたものも面白いのであるが、芭蕉にしてからが、もう伊吹山を大して恐れてはいないような気がする。芭蕉は、通り過ぎていればよかった風景は、――以前は、もうすこし極端に神経質な世界であったに違いない。