また一時、天皇、葛城の山に登り幸しし時に、百官の人等、悉く紅き紐を著けたる青摺の衣を給いて服たり。彼の時に、其の向える山の尾より山の上に登る人有り。既に天皇の鹵簿に等しく、また其の裝束の状、及び人衆、相似て傾かず。 爾くして天皇、望みて問わしめて曰く、「茲の倭の國に吾を除きて王無きに、今、誰人ぞ如此て行く」。即ち答えて曰う状また天皇の命の如し。ここに天皇、大きに忿りて矢刺し、百官人等悉く矢刺しき。爾くして其の人等もまた皆矢刺しき。故、天皇また問いて曰く、「然らば其の名を告れ。爾くして各名を告りて矢を彈たん」。ここに答えて曰く「吾先に問われつ。故に、吾、先ず名告爲さん。吾は惡事と雖ども一言、善事と雖ども一言、言離つ神、葛城の一言主の大神ぞ」。天皇ここに惶れ畏みて白さく、「恐し、我が大神。宇都志意美に有れば覺らず」と白して、大御刀及び弓矢を始めて百官の人等の服せる衣服を脱がしめて以ちて拜み獻りき。爾くして其の一言主の大神、手を打ちて其の捧物を受けき。故、天皇の還り幸す時に、其の大神、山末に滿ちて長谷の山口に送り奉りき。故、是の一言主の大神は彼の時に顯れたるぞ。
神は生きていた。一つの権力が自らをみつめているとそこに異物が見えてくる。つねに、我々の自我には他のモノがみえてくる。ここでの天皇も、自らとそっくりな集団に山で出会う。こちらが弓を構えるとあちらも構える。闇を覗いていると、闇もこちらを覗いている。こういうときには、言葉で問うのだ。いまも自意識だけをみていると、自分の姿しか見えないので、みな言葉で決着をつける。「おまえはだれだ?」と言ってみる。
そうすると、自分ではなかった。一言主の神であった。まさに言葉の神であった。あまりに哲学的によくある感じでびっくりしてしまう。
天皇は、神に贈り物をして宮中に帰る。皇居のある泊瀬山まで送ってくれた。
山とは、闇の鏡のようなものである。そこでは自分が違う姿であらわれる。このときの雄略天皇は賢明だったので、かれらを貶めたりしなかった。贈り物を贈って尊敬した。だから鏡はそのまま尊敬し返してきたのであった。彼は自己のアイデンティティを保つ。
幕末の志士は佳し。爾来ニキビ面の低脳児、袖をまくりて天下国家を論ずるの風、一時、奇観を呈せり。釈迦、基督はよし、ダントン、レエニンは佳し。今日、猫も杓子も、社会、人類を憂へて、騒然、喧然。
東洋人、由来、悲憤慷慨の気に富む。
――俺は、どうしてかう意気地がないのか。
――きやつは、実に怪しからん。
――貴様は何といふ恥知らずだ。
佳し、佳し。
希くは、「死すとも」それ以上を言ふ勿れ。
――岸田國士「一言二言三言」
言葉はしかし、それ自体でバブルを起こしてしまうのだ。岸田さんなんて、黙れみたいな態度がとっても饒舌である。しかしあいかわらずこれは鏡であった。どんどん大きくいびつな獣となって我々を破滅させる。