★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

叔母的なもの

2020-09-10 19:08:12 | 文学


かれ、命を受けて罷り行でます時、伊勢の大御神宮に参入りて、神の朝廷を拝みて、すなはちその姨倭比売命に白したまはく、「天皇既に吾を死ねと思ほすゆゑか、何とかも西の方の悪しき人等を撃ちに遣はして、返り参上り来し間、未だ幾時もあらねば、軍衆を賜はずて、今更に東の方十二道の悪しき人等を平けに遣はすらむ。これによりて思惟へば、なほ吾既に死ねと思ほしめすなり」とまをしたまひて、患へ泣きて罷ります時に、倭比売命草那芸剣を賜ひ、また御嚢を賜ひて、「若し急かなる事あらば、この嚢の口を解きたまへ」とのりたまひき。

ヤマトタケルは父親に恐れられているので、帰京したらまた東方征伐にいってこいと言われた。さすがにヤマトタケルでも自分を父親が殺そうとしていることには気付く。伊勢神宮の叔母の斎宮に泣きつくタケル。

思うに、神社は、確かに母親のように束縛的でもなく、姉のように複雑な気持ちになることもなく、――叔母的なところがあるに違いない。古来、親戚同士の集まりの中で、子どもは、叔母や叔父の生き方を観察しているものだ。あるいは、義理の親になる可能性がいまより高かったであろう昔はなおさらである。親的なものというのがあり、おそらく実際の親よりも高次の存在なのである。いまはそれを感じることが少なくなった。

 黄昏のころ私は叔母と並んで門口に立つてゐた。叔母は誰かをおんぶしてゐるらしく、ねんねこを着て居た。その時の、ほのぐらい街路の靜けさを私は忘れずにゐる。叔母は、てんしさまがお隱れになつたのだ、と私に教へて、生き神樣、と言ひ添へた。いきがみさま、と私も興深げに呟いたやうな氣がする。それから、私は何か不敬なことを言つたらしい。叔母は、そんなことを言ふものでない、お隱れになつたと言へ、と私をたしなめた。どこへお隱れになつたのだらう、と私は知つてゐながら、わざとさう尋ねて叔母を笑はせたのを思ひ出す。

――太宰治「思ひ出」


太宰は、こういうエピソードが好きな人だ。これを彼の生まれの不幸に還元する議論は惜しい。

小谷野敦の『天皇制批判の常識』を読んだ。小谷野氏はナショナリストで天皇制廃止論者である。それはよく分かるが、小谷野氏が理性を尊ぶ正義派だからであった。