ここにその弟、兄の言ひしが如く、具にその母に白せば、すなはちその母、ふぢ葛を取りて、一宿の間に、衣・褌また襪・沓を織り縫ひ、また弓矢を作りて、その衣・褌等を服せ、その弓矢を取らしめて、その嬢子の家に遣はせば、その衣服また弓矢悉に藤の花になりぬ。ここにその春山之霞壮夫、その弓矢を嬢子の厠に繋けき。ここに伊豆志袁登売その花を異しと思ひて、将ち来る時に、その嬢子の後に立ちてその屋に入る即ち婚ひしつ。かれ、一の子を生みき。
藤の花をまじまじと見たことはなかったが、近くの神社が藤の花で有名なのでみに行ったところ、――確かに、藤の花というのは妙な気分を誘うところがある。視覚的に麻薬的なかんじというか……。ヤンキーが紫の特攻服をきて歩きまわっているのも、藤の木が歩いているとみればよろしい。
春山の霞壯夫は、兄とともにイズシオトメに惚れておった。兄が弟に「お前は彼女と結婚出来るのか。結婚出来たら贈り物をやろう」とけしかけた。弟は、なんと母親に頼むのである。卑怯者である。しかし、この母親が掛けた魔法がすごくて、藤の蔓を服に縫い込むと、服が藤の花になった。それを着た霞くんは藤の花に変身して、それをうけ取ったイズシオトメと彼はすぐ結ばれてしまったのである。子どももすぐに生まれた。
ただの不法侵入者による犯罪である。
しかもこのあと、憎んだ兄が賭物を贈らなかったので、――また母親が呪いの物体をつくって兄を病気にしてしまうのだ。ヤマトタケルも母親ではなく叔母に頼ったし、応神天皇の母はおそろしい侵略者だし、古事記の語り手はなにか母親に恨みでもあるようである。
近代社会になって、なにか科学の力で怨みというものまで規模が小さくなったような気が、我々はしているのだが、そんなことはなく、――人の予想を超えて怨みを懐く人々は多い。源氏物語にでてくる源氏の恋人を呪い殺す女性とかを、坊主達が退散させようとするが、かんがえてみると、カウンセラーが心理的に人々を慰めているのと、怨霊を退散させようと坊主が祈祷するのと、心理的ケアを行っているという意味でまったくレベルは同じである。心理に対しては異なる経験の要素を結合させて心理的経験を変形するほかはない。そして、それはまったくうまくいくとは限らない不安定な処方である。
とりあえず、怨みの存在を忘れないことが現代人にとっては大事である。パワハラなんかの大半は、星一徹みたいなあからさまな暴力をとっていない。表面上は善良で公平なむしろグローバルな正義を体現しているような人間が、嫌った相手に対して呪い殺す勢いでのぞんでいることが原因である。パワハラにみえないから、訴えることすらできない。
天つ祝詞は、大体に短くて、諺に近いものである。即、神の云うた事のえつせんすのやうなものである。が私は、天つ祝詞が、祝詞の初めだとは思はない。ずつと昔からの、祝詞の諸部分が脱落して、一番大事なものだけが、唱へられてゐたのが、天つ祝詞であるとおもふ。一寸考へると、単純から複雑に進むのが、当然の様に思はれるが、複雑なものを単純化するのが、我々の努力であつた。それで、極めて端的な命令の、或は呪ひの言葉が、天つ祝詞であつたが、其が段々、世の中に行はれて来ると、諺になる。故に私は、此と諺との起原は、同一なものだと考へてゐる。だから諺は、命令的である。元はその句は、二句位であつて、三句に成ると、諺では無く、歌になつた。古事記・日本紀などを見ても、諺は、二句を本体としてゐる。それで、今の諺の発達の途には、天つ祝詞があるわけである。
――折口信夫「呪詞及び祝詞」
考えてみると、いまの世の中は、前世紀に行われた血みどろの呪いの詞や祝いの言葉が、諺となって、なんの生命も持たなくなった状態といえるのかもしれない。戦後のラディカリズムのなかに、新左翼や右翼の呪詞や共産党社会党の祝詞がかつてあって、それが現在諺みたいになっちゃったとは言える。だから却って、生命のある詞は、トランプや何やらがはくような怨みの言葉になってしまった。それは権力をもつ人々だけの言葉だから、それを言えない人々は、心で呪文を唱える。それが必ず相手に届いて病気を引き起こす。