★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

諍神話

2020-09-19 23:39:29 | 文学


その大后息長帯日売命は、当時神を帰せたまひき。故、天皇筑紫の訶志比宮に坐しまして、熊曾國を撃たむとしたまひし時、天皇御琴を控かして、建内宿爾大臣沙庭に居て、神の命を請ひき。ここに大后神を帰せたまひて、言教へ覚し詔りたまひしく、「西の方に国有り。金銀を本として、目の炎耀く種種の珍しき寶、多にその國にあり。吾今その國を帰せたまはむ。」とのりたまひき。ここに天皇答へて白したまひしく、「高き地に登りて西の方を見れぱ、國土は見えず。ただ大海のみあり。」とのりたまひて、詐をなす神と謂ひて、御琴を押し退けて控きたまはず、黙して坐しき。

ヤマトタケルもそうであったが、神功皇后もちょっとおかしい人であったに違いない。神がかりして新羅を攻めよと言ったのだが、むろん神がかりとは嘘であって、ある種の合理性によってそういう結論を出してしまうおかしい人であったのだ。ヤマトタケルは他人の言っていることがよくつかめない人だし、このひとも合理性だけで人のことを気にしないタイプであろう。なにしろ、ただ新羅を攻めよと言ったのではなく、金銀が目的なのである。確かに、金銀を獲得に行くのは合理的であろう。しかし、そうだからといって、我々はふつう、日銀を襲ったりはしないのだ。

仲哀天皇はわかっていた。皇后がおかしいことを。で、「高いところに登って西を見ると、国土は見えず大海が見えるYO」と言ったのである。ここが仲哀天皇がいまいちなところで、見えるかみえないかは問題じゃない、新羅があることぐらいみんな知ってるでしょう……知らんけど。

で、「偽物の神だ」と決めつけて(本当だからしょうがない)、琴をのけてむっつり黙ってしまった。わたくしも音楽が好きだから、琴を弾く天皇は大好きだ。

最近は、皇后の権力について研究している原武史さんなどがいるが、――古事記はずっと男女の諍いを書き続けている。ちょっと異様な程である。この諍いこそが神なのである。神の諍いではない、諍い自体が神のような認識の茫洋とした広がり……

 インドネジアン族、インドチャイニース族の集合であるところの熊襲が大和朝廷にしばしば叛いたのは新羅が背後から使嗾するのであると観破され、「熊襲をお討ちあそばすより先に新羅を御征伐なさいますように」と神功皇后様が仲哀天皇様に御進言あそばされたのは非常な御見識と申上げなければならない。
 しかるに御不幸にも仲哀天皇様には、熊襲及び土蜘蛛を御征伐中に御崩御あらせられた。
 そこで神功皇后様には御自ら新羅御討伐の壮挙を御決行あそばす御決心をあそばされ、群臣に、
「軍を興し兵を動かすは国の大事にして安危、成敗は繋って焉に在り。今、吾、海を超えて外国を征せんとす。もし事破れて罪爾等に帰せんか、甚だ傷むべし。仍って吾しばらく男装して雄略を起こし、上は神祇の霊を蒙り、下は群臣の助を籍る。事成らば爾等の功なり、事破れば吾の罪なり。」
 と仰せられ、大いに船舶を集め、新羅征伐に御発足あそばされた。


――国枝史郎「日本上古の硬外交」


昭和17年の文章である。戦争責任というのは、こういう書き手にある。今日は、小沢滋の『雲も天皇についてゆく』という昭和28年の本を読んだ。端書きを、当時の東京教育大学の学長、柴沼直が書いている。端書きも本の内容も茫洋としてだらけたものであった。天皇から古事記的神話をとったらなにも残らん。