★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

鳥と恋

2020-09-23 23:57:01 | 文学


また天皇、その弟速總別の王を媒として、庶妹女鳥の王を乞ひたまひき。ここに女鳥の王、速總別の王に語りて曰はく「大后の強きに因りて、八田の若郎女を治めたまはず。かれ仕へまつらじと思ふ。吾は汝が命の妻にならむ」といひて、すなはち婚ひましつ。ここを以ちて速總別の王復奏まをさざりき。


仁徳天皇は、あるとき人々の住んでるところを眺めたらまったく煙が出ていないので、「課税・課役をすべて免除するぞ」と英断を下し、自分の家がかしいでも3年我慢した。すると、人々の家から煙が出始めて国が復活した。かくして、仁徳天皇の時代を聖帝の御代というのであった。

というわけで、仁徳天皇陵をはやく調査せよ。いったい誰の墓なんだよ、あれは……。べつにいいではないか、聖帝の墓がでっかくなくても。シランやつの墓でもいいじゃないか。歴史を書き直せばいいじゃないか。

――という真面目な批判をものともせず、仁徳天皇は浮気がひどい天皇として有名であって、もはや墓以前に色好み的にもうどうでもいいじゃないかという感じがする。上の場面では、妻の妹のメトリのミコを所望したら弟に取られたのである。メトリさんは「皇后の嫉妬がすごくて恐すぎます。むしろあなたと結婚したいです」と皇后の嫉妬を方便に弟に猛アタック。どうなるかわかるんじゃないかと思うけれども……。姉の悲しみに相当頭にきていたので闘いを挑んだとも見られる訳であるが、それで命を賭けるというのもすごいので、やはり惚れていたのではないかと思うのだ。

わたくしは、やはりここで女鳥というものに注目すべきである気がする。鳥はいくら美しくても逃げてしまうのだ。

英語に鶏から出た詞が多い。例せば雄鶏が勝気充溢して闘いに掛かるごとく、十分に確信するをコック・シュア、妻に口入れされて閉口するを、雌鶏に制せらるる雄鶏に比べてヘンペックト。それからコケットリー、これは昔は男女ともに言ったが、今は専ら女のめかし歩くを指し、もと雄鶏が雌鶏にほれられたさに威張って闊歩するに基づく。コケットといえば以前は女たらしの男をも呼んだが今は専ら男たらしの女を指す。それからコックス・コーム(鶏冠)はきざにしゃれる奴の蔑称で雄鶏が冠を聳てて威張り歩くに象ったものだ。また力み返って歩むを指す動詞にも雄鶏の名そのままコックというのがある。

――南方熊楠「十二支考 鶏に関する伝説」


現実にも起こるが、――浮気ばかりしている男の影響は、妻に移る場合もあれば、妻の妹に移る場合もあり、鳥をみているうちに浮気をしてしまうこともあるのだ。恋に比べて、鳥たちはあまりに美しく、その影響力の方が大きいと言わざるを得ない。