牧場といふとひどく大げさであるが、牛は六七頭しかゐない。みなホルスタイン系の乳牛で、その乳は重病室の患者達に飲まされてゐる。この中には東洋一と折紙のついてゐる名牛もゐるさうで、名前は、ジョハナ・インカー・メー・バートルハイム号、ホルスタイン純血だと牛舎の人達は誇つてゐる。
二三日前の夕方、納骨堂のあたりで暫く雲を眺めてからそこを通ると、Y君が私を呼んで、牛乳を振舞うてくれた。冷いのを、私は湯呑にすくつてがぶがぶと飲んだ、その時彼は、夕陽を浴びながら草を食んでゐる牛を指して、
「あの中でどの牛が一番好いかね。」
と訊くのであつた。私は牛のことなど勿論判らないので、一番毛並の良く、艶の優美なのを指してみた。すると彼は、
「あれがジョハナ・インカー・メー・バートルハイムだよ。」
と教へてくれた。やつぱり名牛になると、どんな素人にも判るのに違ひない。
――北条民雄「牧場の音楽師」