其中に髪しろくまきあがり。さながら仙人のごとくなるが。薄縁の糸にて。細工に虫篭をこしらへ。此うちに十三年になる虱。九年の蚤なる是をあいして。食物には。我ふともゝを喰しける程に。すぐれて大きになり。やさしくもなつきて。其者の声に。虱は獅子踊をする。蚤は篭ぬけする。かなしき中にも。おかしさまさりぬ。
「蚤の籠脱け」は、教科書にも入っていたりすることもあった。牢屋というのは籠に似ているし、確かに、籠の中にいる動物というものは、人間に限らず、なんだか大きくなったり踊ったりするものだ。それは体だけではなく頭も気分も大きくなる。このあと、昔のことを喋っていた犯罪人が、おなじ牢に入っていた人間の無実を図らずも証明する。結果的に喋った男も無実の男も牢屋の外に出て行った。
我々の人生にこんな都合のよいことはあまり起こらないが、我々の経験と我々の置かれた環境との関係はいつも不思議なもので、われわれの意識外に働いている。
大きく流れとか形をとらえるのが長けている人間が、――つまり籠を認識できる人間がたいがい有利だというのはあるけど、それは誰にでも出来るわけではないし、自分に対してはそれは不能だと思っている人間の方が信頼は出来るかもしれない。武士たちだって、自分の盗人としてのプライドや武士のプライドがあっただけである。それでも、それが自らを解放することだってある。
私が目標としているのは、小林秀雄や花★清輝ではなく、モンテーニュである。彼をときどき必要とするのが人類だ。彼には、自分の周りの籠に対する意識が飛び飛びにある。小林や花田にはあり過ぎるのが思春期にはよかったが、いまはそうでもない。