★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

しなれぬ命なれば。是非となき事也。

2022-09-11 23:45:38 | 文学


㒵ひとつ。手習のごとく書よごしける。其後けはしく。宿にかへり。袴きるまでも。人の氣もつかず。其姿にて。聟入せしに。先にて興を覚し。指添をさげて。かけ出を。しうと留めて申は。此上は。おのおのかんにんあそばしても。我等きかず。もはや百年目と。死出立になりて行を。両町きゝつけ。さまざまに曖へども。きかざれば。やうやう四人に。つくり髭をさせ。かしらにひきさき紙をつけ。上下をちやくし。日中に詫事。よいとしをして。孫子のあるもの共。めんぼくなけれど。しなれぬ命なれば。是非となき事也。中にもすぐれて。おかしきは。御坊の上髭ぞかし。


平安時代や鎌倉時代の激烈な物語に心通わせると、ついおれたちはまだあの頃の生まれ変わりかと思ってしまう。「鎌倉殿の13人」なんかをみても同じことである。だいたい映像の時代劇はうまくつくればつくるほど、現代の我々の感性を相対化出来ない。相対化するのは過去の文学の読書だけのような気がする。第一次大戦中に芥川龍之介が、第二次大戦中に太宰が古典に帰って、それも、源氏や平家ではなく、キリシタン物や西鶴に執心したのも、分かる気がする。源氏や平家は、死なないから死んでくれ、みたいな磁場に人を誘い込む。「しなれぬ命なれば。是非となき事也」(人間簡単に死なねえからしょうがねえ)と言い放つ西鶴は、我々の陥る磁場の別の場所をみていたと思う。これが、近代になると、つい生命主義みたいな宗教になってしまうのだが、――ここでは浄土真宗の信徒と僧が、新婚さんの顔に落書きをして謝るというだけのことに「人間簡単に死なねえから」と大仰に言ってみせる。このナンセンスさに生が宿る。

もっとも、西鶴の生きていた時代は、ほんとはもっと全体的に陰気だったに違いなく、若者であることも僧であることも、町人であることも、大した意味を持っていないような退屈が根底にあった気がする。そんなときに、若者のエネルギーは、テロリズムに集約されていくほかはなかったのかも知れない。同様に、ここ何十年かは、我々の生は「死」を目的にするような世界に足を突っ込んでいる。むろん、そんな風に死で生をおどしつけても生は蘇生しない。

この前、「革新的自殺研究推進プログラム」の応募がきたのだが、づくづく、まずこのネーミングセンスをどうにかしてからこういうことを推進していただきたいと思う。――とはいえ、あえて自殺対策と銘打たない、このセンスは我々の死への欲望をよく表している気もするのだ。

これに比べれば、黒岩涙香の『小野小町論』が「貞女は一夫にだにも見えず」ということは女の覚悟だ、みたいなところから始まっており、この考えじゃないといい男には出会えないとか言っている感じの方がまだ「生」を目指していた気がする。――まあ頑張ってくれとしかいいようがないが、この文章は、大正元年にかかれた。それは大正時代の幕開けであった。しかしそれは、革命という「死」の目的に、引き寄せられていった流れをつくった気がする。

生の世界は、目的を生の目的にしない世界である。大河ドラマを見ていると、案外鎌倉時代は生の時代じゃなかったかなと思う。そこには、一〇代初めぐらいで武芸の天才とか政治の天才とかがいただろう。いまも実はいるのであるが、見えなくなっている。学校からこの二者は排除されているからである。もっとも、彼らは自意識がまだ一〇代なので、まわりの大人たちはこういう天才たちをなだめる方法を人間的に知ってたに違いない。これは、死に加速しがちな天才たちを生に引きとどめる。

しかし、いまは天才たちを学校に閉じ込めている。大人が若者の扱いを学習しなくなっているのである。若者も、猫なで声みたいな親とか教師ばかりと付き合ってるもんだから、怪物的な大人との付き合い方を学んでない。これでは、個々の人間たちは勝手に死に向かうであろう。