
三月つごもりがたに、かりの卵の見ゆるを、「これを十づつかさぬるわざを、いかでせん」とて、手まさぐりに、生絹の糸を長うむすびて、一つむすびては結ひ、結ひしてひきたてたれば、いとようかさなりたり。「なほあるよりは」とて、九條殿女御殿御方にたてまつる。卯の花にぞつけたる。なにごともなく、ただ例の御ふみにて、はしに、「この十かさなりたるは、かうてもはべりぬべかりけり」
「秦王之国、危如累卵」という言葉に危機感はあったのかもしれないが、蜻蛉さんにはあるのか。鴨の卵を生糸でつないで一〇個繋げた~とかいって遊んでいる。このままに置いておくのはもったいない、とボンクラ兼家の妹に差し上げる(なんでだ!)。卯の花なぞ付けて差し上げる。なにごともない普通のお手紙の、その端に「卵を一〇個重ねることは難しいけどこういう風に出来ることもあるんです(思ってくれなくても思うことはあります)」と書いて差し上げる。
鳥の子を十づつ十は重ぬとも思はぬ人をおもふものかは(伊勢)
確かに、元ネタのこの迫力に比べれば、一〇個の連なりなどちょっと普通なので、――というか蜻蛉さんは無理にそうしてるんだろうけれども、
かずしらずおもふ心にくらぶれば とをかさぬるもものとやは見る
と一〇個なんてものの数ではありません。私はもっと思ってる鴨よ、と言わざるを得ぬ。で、蜻蛉さんはムキになって
おもふほどしらではかひやあらざらん かへすがへすもかずをこそみめ
数が分からなきゃ分からないじゃありませんか、エビデンスを示せと言い張るのである。
――いったいのこの方たちは何やっているのであろうか。たぶん暇なのであろう。
むかし、のはらの一けんやに、にはとりが一羽すんでゐました。そののはらのむかふには、ひくい、きれいな山が三つならんで立つてゐました。
ある、月のいゝばんのこと、そのにはとりが、玉子を一つうみました。そのたまごに、丁度のぼつてきた月が、光りをさしかけましたので、たまごは、それは美くしくて、しんじゆのたまのやうに見えました。
にはとりはうれしくてたまらないので、玉子ばかり見てゐました。けれども、そのうちに、玉子は、だんだん消えていつて、かげばかりになり、おしまひには、そのかげさへも見えなくなつてしまひました。
ぼんやり、それを見てゐたにはとりは、たいへんびつくりして、おつきさまのところへかけて行つて、
「おつきさま、どうぞ、わたしのたまごを、かへしてください。」とたのみました。
すると、こんどは、きふに、おつきさまがわらひながら、だんだんしぼんで、たまごになつてしまひました。
にはとりは、たいへんよろこんで、
「ほんとですか、おつきさま、これがわたしのたまごですか。」といつて、それを羽の下に入れようとしますと、それが、見る間に大きくふくれて、三つならんだやまのむかふから、おつきさまになつてのぼつてきました。
あくるあさ、にはとりが目をさまして、のはらにいつてみますと、まへのばんのおつきさまが、しろくすきとほつて、空にのぼつてゐました。そこで、にはとりはおほきいこゑでなきました。
「それは、たまごか? おつきさまか? コケツ、コケツ。」
――村山壽子「たまごとおつきさま」
わたくしは、こちらの卵の方が、なにか仏みたいなものに接近しているようで好きである。わたくしの知り合いは、時々いまでも山の上に大日如来か何かを見るらしいからな……。鶏なんかは自分の卵と月を区別していないかもしれない。