
忍びてと思へば、はらからといふばかりの人にも知らせず、心ひとつに思ひ立ちて、明けぬらんと思ふほどに出で走りて、賀茂川のほどばかりなどにて、いかで聞きあへつらん、追ひてものしたる人もあり。有明の月はいと明かけれど、会ふ人もなし。河原には死人も臥せりと見聞けど、恐ろしくもあらず。粟田山といふほどにゆきさりて、いと苦しきを、うち休めば、ともかくも思ひわかれず、ただ涙ぞこぼるる。人や見ると、涙はつれなしづくりて、ただ走りて、ゆきもてゆく。
またボンクラが浮気をしているというので、蜻蛉さんはたまらず家出。誰にも知らせず、心一つに思い立ち走り出す。賀茂川のあたりで追ってきたものがある。ここが「にごりえ」のお力と違うところで、酌婦お力の場合は、自分の歩いている道が両脇崖、丸太橋に見え始め、雑踏の中で何かに共振始めてしまう――で、ボンクラ旦那に「お力どこへ行く」と現実に引っ張り返されるのであるが、――ここでは蜻蛉さんにはお供が追いついた。有明の月のなかで人はいないが、河原には屍体が転がっている。近代とちごうて、もう現実がすでに地獄なのである。粟田山のあたりで休むんでも、なんだか涙が止まらない。でも人にみられるのがいやなので小走りに急ぐ。
かんがえてみると、へんな脳内物質がでている状態とは言え、蜻蛉さんはちゃんと足腰もしっかりしているのであった。この時代の女房たちは、どうやってストレッチしていたのであろう……
山科にて明けはなるるにぞ、いと顕証なるここちすれば、あれか人かにおぼゆる。人はみな、おくらかし先立てなどして、かすかにて歩みゆけば、会ふ者見る人あやしげに思ひて、ささめき騒ぐぞ、いとわびしき。
やはりちょっとおかしくなりかけているとはいっても、お力とはちがって自分の「罪」がないところが、人々が自分をおかしくみるという地点でとどめている。お力の場合は、人の目からも自らの内側からも責められ挟み撃ちになっている。
あはれ、程にしたがひては、思ふことなげにても行くかな、さるは、明け暮れひざまづきありく者の、ののしりてゆくにこそはあめれと思ふにも、胸さくるここちす。下衆ども車の口につけるも、さあらぬも、この幕近く立ち寄りつつ、水浴み騒ぐ。振舞のなめうおぼゆること、ものに似ず。
面白いのは、都合のよいことに、ギリギリの精神状態の蜻蛉さんの前に、別種のボンクラがあらわれる。若狭守である。「あわれなことに、たかが若狭守のくせして身分相応に満足げに行くものであるわ、京都ではへいこらしている輩のくせに、ちょっと外に出ればこんなかんじで威勢をひけらかして行くのだなあ、と胸くそが悪い。下人どもが、車の前についているのものそうでないのも、この幕の近くに寄っては水浴びをして大騒ぎ。その無礼な振る舞いといったら、喩えるモノさえない。(クソ以下であろう)」
本物の馬鹿というのは、同じ状況になると必ず間違え何を言っても改善がみられない。しかし、そういう高級なフェーズ馬鹿のことでなく、ここではただ何とか守とか委員長とかついただけで場所をわきまえず威張りくさる下☆生物のことであった。――無論、こんな風に馬鹿に会うというのは、ボンクラがこういう少しばかりは上のような下★生物に似ているからである。水浴びは、無論裸みたいな感じになっているのであろうが、そこで想起されるのは、すぐ女人の前で脱ぎたがるボンクラである。
そのピオニェール少女のひとりが、指導者をよんで来てくれた。まるで若い共産党青年女子だ。上は制服をきているが足はむき出しで、運動靴をはいている。元気なもんだ。
われわれは、カンカン日にてらされながら、ひろいひろい、野営地じゅうを見て歩いた。五百人のピオニェールが走っているんだそうだが、どこにいるのか、丘や林や池のあっちこっちにちらばって、一向めだたない。
景色はなんとも云えずいい。花の咲いてる道をダラダラのぼってゆくと、樹にかこまれた大きい池がある。大よろこびで、ピオニェールたちは水浴びの最中だ。
植物採集をやっているらしく、しきりに茂った草の中を、なにかさがしながら歩いているピオニェールの姿も見える。
指導者のアンナさんは、われわれとならんで草の中へねころび、満足そうにそういうピオニェールの夏休みの景色を眺めていたが、急に、
「ああ、あなた。この池をさかいにして、私どもんところじゃ、大戦さがあったんですよ」
と云った。
「大戦さ? いつです?」
――宮本百合子「ソヴィエトのビオニェールは何して遊ぶか」
思い切って、みんな揃って☆等生物になる手もあるのだ。しかし、結局は「新しき性格感情」(坂口安吾)は生じなかったようである。当たり前ではないか。