★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

稲を植えてみた、枯れた

2020-05-18 22:55:32 | 文学


さいつころ、つれづれなるままに草どもつくろはせなどせしに、あまた若苗の生ひたりしを取り集めさせて、屋の軒にあててうゑさせしが、いとをかしうはらみて、水まかせなどせさせしかど、色づける葉のなづみて立てるを見れば、いとかなしくて、
  いなづまのひかりだにこぬやがくれは 軒ばのなへも物おもふらし
と見えたる。                        


稲の早苗を軒下に植えさせたりするのがどのくらいかわったことなのかそうでないのかは知らないが、日当たりを度外視して植えた時点で「稲妻の光だにこぬ」云々は蜻蛉さんの頭にはあったに違いない。こういう行為は、先の予想があとに必ず実現しているので、彼女の頭を混乱させないのだ。「日の光は無論、稲妻の光さえ届かない我が家の軒下であって、そこの稲もまるで物思いにしょぼくれているようだよ」。しかし、これが春になると庭というものには一斉に雑草どもが背伸びし始めるのである。まったくどこから飛んで来たのか……。この前までわたくしが住んでいた家なぞ、わたくしが除草剤である種類の雑草を殲滅させた後、かえってもっと凶悪な棘の藪がどこから飛んで来て繁茂した。その上に洗濯物を干していたことがあり、落ちると大変なことになるのであった。閻魔がパンツを干していたら、地獄の針の上に飛んでいってしまうような事件は現世でもある。

これに比べると、蜻蛉さんの庭はよく整えられていて、蜻蛉さんが一緒に悲しめる余裕があるのであった。思うに、こういう元気のない人間には、凶悪な敵が必要であって、金属による征伐が必要である。――しかるに、昭和の前半にあった、工場の鉄の匂いと雑草の匂いの混ざり合いの風景は、――「しゃぼんだまホリデー」みたいな上品なもののあとにやがて「ドリフ」の暴力が繁茂し、――生にふたをするように土の道はコンクリートで覆い隠されていった。

人間のやる気はだいたい行き着くまで行ってしまったあと、自分で自分のやる気を削ぐ環境をつくる。

或年の丁度若苗の生い立つ頃、――そう、若苗といえば、そんな事のあった数日前、私はあんまり所在がないので草などの手入れをさせていたら、たくさん若苗が生えていたので、それを取り集めて母屋の軒端にそっくり植えさせて水なども気をつけてやらせていたのだった。が、その日私が見に往ってみると、それはもう残らず色が変って葉なんぞもすっかり萎れかえってしまっていた。

――堀辰雄「かげろうの日記」


堀辰雄がちょっといやなのは上のように、「そう、」とか言ってしまうところだ。堀辰雄はまるで、すべてが終わったような気分から書いている。こういう気取りは文学的ではないと思う。授業で、堀辰雄の芥川龍之介論(卒論)を読んで見たが、だいたい合ってるようなすべて間違っているような妙な感じは、彼が作家の主体を「語り手」みたいに扱っているからだと思った。語り手論の以降の研究者も、方法論の側からそういうところに落ち込みやすいような気がする。語り手というものは作者が死なないと成立しないのであった。

仮構の役割

2020-05-17 20:45:29 | 文学


関の山路、あはれあはれとおぼえて、ゆくさきを見やりたれば、ゆくへもしらず見えわたりて、鳥の二三ゐたると見ゆるものを、しひて思へば、つりぶねなるべし、そこにてぞ、え涙はとどめずなりぬる。

「鳥の二三ゐたると見ゆるものを、しひて思へば、つりぶねなるべし」につづいて涙が止まらなくなるのが、いかにも蜻蛉さんの精神状態である。鳥かと思えば釣り船、兼家かとおもえば違う人、――みたいな、少しの期待外れ、見間違い、見当違いによっても体の異変が起こるのだ。大学院生が、自分の分からない文章の部分を想起しただけでお腹が痛くなったりするのと同じだ。本当に優秀な方は違うかも知れないが、研究とか学問とはそういう危機的な状況を乗り越えてなんとかやって行くもので、それを「好きなことやってやがる」としか思わない娑婆の人間の勘違いは甚だしい。このように、人様の職業の大変さをよく分からなくなり、自分の専門性だけを見つめているオルテガのいうところの「大衆」の定義そのまんまの人種と化した人々は、何か共同作業をしようとするときに、どこにどのような負担がかかるか想像したくないのであった。だから、せいぜい出来るのが自粛とか、むしろ「やらないこと」なのだ。「やる」方向ではまったくセンスが悪くなっている。

――閑話休題。斉藤菜穂子氏の論文を読んで見たら、釣り船をみたときの感情は、「彼女の現実生活での憂いが、無名の人々の生活の営みに気付いたことによって堰を切ってあふれ出たもの」(『蜻蛉日記』唐崎誠いの意義――仮構の明るさと独詠歌――」)と見なすべきだそうだ。さすがわたくしレベルになると、人々の暮らしに何の感慨も抱かなくなっているようである。

若き男も、ほどさしはなれてなみゐて
「さざなみや、志賀のからさき」
など、例のかみごゑふり出だしたるも、いとをかしうきこえたり。風はいみじうふけども、木かげなければいとあつし。いつしか清水にと思ふ。ひつじのをはりばかり、はてぬればかへる。


ここででてくるのは神楽歌の「ささなみ」であり――どうやら、紀行文全体が文化的な織物になっているようであるが、まあそうはいっても、――わたくしの経験だと情景に向かって洒落的なツッコミを入れている精神状態というのはあまりよろしくない。上手に描いてしまうことで、気分を晴らすところまで行くのが、蜻蛉さんなどの天才たちの世界ではあろうが、現代人はもっと一気にストレスを発散しないといけないので、同じ「さざなみ」でも現代だとこうなる。

必殺仕業人 エンディング 「さざなみ」 Full 西崎みどり

みな尽き果てぬ音をぞ鳴くなる

2020-05-16 23:08:22 | 文学


かくてかぞふれば、夜見ぬことは三十余日、昼見ぬことは四十余日なかりけり。いとにはかに、あやしといへばおろかなり。心もゆかぬ世とはいひながら、まだいとかかる目は見ざりつれば、見る人々もあやしうめづらかなりと思ひたり。ものしおぼえねば、ながめのみぞせらるる。人目もいとはづかしうおぼえて、おつる泪おしかへしつつふして聞けば、うぐひすぞをりはえて鳴くにつけて、おぼゆるやう。
 うぐひすもごもなきものや思ふらん みな月はてぬ音をぞなくなる  


六月と皆尽き、を掛けているが、「ごもなきものや思ふ」(際限なく思う)があるから、「尽きはてぬ」の意味の方に感情は流れて行く。気になるのは「みな」の方だ。多くの鶯は六月まで鳴いていることはないが、尽き果てない「皆」ではない一人がいるのであった。ここには、私だけこんな感情になってという孤独がある。鶯がいるじゃねえか、と私はおもうのであるが……。

思春期の頃は、わたくしも飼っている鳥と一緒に孤独に朽ちるかも知れないといった夢想に浸ったこともあったが、――そんなに人生は甘くない。孤独を許さないぐらいに孤独であると言った方がよかった。蜻蛉さんはまだ人恋しくて泣いているので、それほどでもないような気がする。

 うぐいすは毎朝やって来て、だんだん雄二の家の庭を好きになるようでした。縁側の方から雄二たちが見ていても、あわてて逃げだすようなことはありません。
 日曜日の朝でした。
『よし、あのうぐいすを一つ写真にうつしてやろう』と、雄二の父は早速カメラを持って縁側に現れました。
『とれた、とれた、うまくとれたぞ』
 父はうれしそうでした。雄二もどんな写真が出来るのか早く見たくてたまりませんでした。五日ほどして、うぐいすの写真は出来上りました。それは庭の黒べいと梅の枝が黒くうつっていて、白い花とうぐいすの姿がくっきりと浮出ている、すばらしい写真でした。雄二は父からその写真を一枚もらいました。
 けれども、その写真が出来た頃から、うぐいすは雄二の家の庭に姿を見せなくなりました。どうしたのかしら、どうしたのかしら、と、雄二はしきりにさびしくなりました。
 雄二はうぐいすの写真をポケットに入れて学校へ行きました。
『僕のうちに来ていたうぐいすだよ』
『そうかい』と、山田君は目をみはりました。
 雄二は山田君をつれて、家にもどって来ました。が、庭に来てみても、やはりうぐいすはいませんでした。雄二と山田君はその写真と庭の梅の木を見くらべて調べてみました。ちょうど、あのうぐいすがとまっていた枝が見つかりました。
『あそこのところにとまっていたのだね』
『うん、あそこのところだ』
『あそこのところに何かしるしつけておこう』
 山田君はポケットから白いひもを取出しました。そして、それをうぐいすのとまっていた枝のところに結びつけました。


――原民喜「うぐいす」


写真やしるしに頼るようになった我々は、実在に関して昔とは違った感覚を持っているが、――原民喜はもっと大きな実在物を経験した人間だった。何かがいなくなることに対して、ただいなくなったのだと信じられない。それは鶯だけではなく雄二や山田君もそうなのだ。我々もどこかで、あまりにも大きな影響を与える実在物を想定しすぎて、手に届く範囲の世界を実在物として認めるのに苦労するようになった。孤独とは、自分が存在していることの証拠でもある――蜻蛉さんなんかは、影が薄くなるのは自分の心だけだったから、自分の実在までは疑ってはいまい。だから悲しむことができるのである。

舞をみて泣く親

2020-05-15 23:32:05 | 文学


まづ陵王舞ひけり。それもおなじほどの童にて、我がをひなり。ならしつるほど、ここにて見、かしこにて見など、かたみにしつ。されば、次に舞ひて、おぼえによりてにや、御衣ぞたまはりたり。内よりは、やがて車の後に陵王ものせて、まかでられたり。ありつるやうかたり、
「わが面をおこしつること、上達部どものみななきらうたがりつること」
など、かへすがへすもなくなくかたらる。


兼家も親ばかであって、立派に成長して弓や舞を披露する息子に泣いている。なんとも情けないオヤジだ、泣いてんじゃないぞ、と思うが、――昭和の男を内面化しているわたくしみたいな人種が、特殊だったのかも知れないのだ。古典の世界では、屡々めそめそと男が泣いている。

弓の師よびにやる。さてまたここにてなにくれとて物かづくれば、うきみかともおぼえず、うれしきことぞものに似ぬ。

ここでつい「憂き身かとも覚えず」(日頃の憂さも忘れて)と書いてしまうところが鬱ば蜻蛉さんならではであるが、なんとも嬉しそうである。もっとも、この親どもは、まともに子育てをしているか怪しい。今日、授業で、杉山平助の『文芸五十年史』について語り、白樺派の人道主義はひとえに彼らが「貴冑界の若殿原」であったからだと切って捨てていることを相対的に評価したが、――教師も親も子どものすべてを抱えていないから子どもの成長が嬉しいとか言うに至るのである。芥川龍之介の「捨児」の語り手も、どこまで自覚的だかわからんが、――生みの親、赤ちゃん時代の親、それ以降の親と三段階にわけて親がいたことを暴露しておきながら、蓮華夫人が五百人の子どもに乳を与えた話を語って、母以上の存在があるみたいな話をしている。無論、そんなものはない。あるのは、部分的に関わる人間たちである。――といっても、最近、子どもを社会の中で分担して育てようみたいな機械的な発想はあまりに楽天的である気がする……。こういう機械的な発想は、人間の一生を何かの形式的反映物として捉えている。冗談じゃないぜ、という気がする。

ソ連科学アカデミーの編んだ『マルクス・レーニン主義 美学の基礎』というのが本棚から出てきたので、めくってみたが、もはやこれは反映論でさえなく、スローガン主義であった。二十代の頃は、もっと分かった気がしていたのだが、もはやここらあたりの本は、インゴルドの『ラインズ』よりも難解な代物になっている。

日本の芸能には古代からまひとをどりとが厳重に別れてゐた。いろんな用例からみても、旋回運動がまひ、跳躍運動がをどりであつた事が明らかである。芸能と言ふより、むしろ生理的な事実について言つてゐるのである。だから宗教者が、ある時興奮状態におちいつて、その心理作用が生理的条件をつき動して表現せられるとき、ある場合は旋回運動としてはげしく、又はゆるく舞ふ事になる。又時としては跳躍運動として、その興奮の程度によつて、或は高く或は静かに、をどり上る動作がくり返される。

――折口信夫「舞ひと踊りと」


息子とかプロレタリアートとかに拘って居ると、踊りの動作自体が眼に入らないのだ。――わたしはあまり舞も踊りもなんとなく恐くてあまり見ないが……。

悲しと思ひ入りしも誰ならねば、記し置くなり

2020-05-14 23:48:08 | 文学


 二十五六日のほどに、西の宮の左の大臣流され給ふ。見奉らむとて、天の下ゆすりて、西の宮へ、人走りまどふ。いといみじきことかなと聞くほどに、人にも見え給はで、逃げ出で給ひにけり。「愛宕になむ。清水に」などゆすりて、つひに尋ね出でて、流し奉ると聞くに、あいなしと思ふまでいみじう悲しく、心もとなき身だに、かく思ひ知りたる人は、袖を濡らさぬといふたぐひなし。あまたの御子どもも、あやしき国々の空になりつつ、ゆくへも知らず、ちりぢり別れ給ふ。あるは、御髪おろしなど、すべていへばおろかにいみじ。大臣も法師になり給ひにけれど、しひて帥になし奉りて、追ひくだし奉る。その頃ほひ、ただこのことにて過ぎぬ。
 身の上をのみする日記には入るまじきことなれども、悲しと思ひ入りしも誰ならねば、記し置くなり。


蜻蛉日記の中でも心に引っかかる場面の一つである。源高明左遷の場面である。『今昔物語』の巻第二十七第三に「桃園の柱の穴より児の手をさしいだして人を招きし語」がある。高明の神殿の柱の節穴から子どもの手が出て招くので、仏画とかお経とかを掛けてみたがいっこうに手招きが止まない。で、矢を打ち込んだところ止んだのだ。仏より矢が効くとはな……と人々が疑った、という話である。なんとも不気味な話で、仏をも脅かす人間たちの力をそれとなく示し、左遷事件の内実を想像させるのである。

光源氏のモデルとも言われたことのある高明であるが、――とにかく藤原氏と仲が悪くなり策謀によって流されたのはみんな知っていた。というか、どうせ流罪というのはそんなところだろうとみんなが思うのであった。そのあやふやな感じが、周囲の心を打つ。高明を追放する決断を行った人間たちは、それどころではなく、複雑な人間関係をあちこち調整した結果にすぎなかったのであろう。原因は本当はよくわからないのだ。だから誰しも決定的な役割を果たした人間に対する懲罰をどこかでやったふりをしなければならない。本当は、蜻蛉さんだって「悲しと思ひ入りしも誰ならねば」と言っている理由は、私の悲しみは自明であるからわたしの日記に書いてしまうわよ、――という方便を用いて「あいなしと思ふまでいみじう悲しく、心もとなき身だに、かく思ひ知りたる人は、袖を濡らさぬといふたぐひなし」という大きな悲しみ、つまりこの事件を引き起こした人間たちを文字によって詛っているのである。源氏物語もそうだったのかもしれない。平家物語は恨みの連鎖が蜘蛛の巣のようになってしまったから、ちょっと感情がパンクしている模様であるが、もともとの創造の種は恨みであるはずだ。

いまはこんな感情の処理をやらなくても済むように、責任者というものが設定されている。しかし、だれもその責任をとろうとしない。責任とるとは簡単なことで、皆の目の前から去ることである。何でもかんでも守り抜くとか言い続ける口先野郎でい続けることではない。3密だとか、新しい生活様式だとか、新たな日常とか、――スローガンで政治をやろうとする頭の悪そうな感じに眩暈がしてくる。戦時中のものとは違い、感情的ですらないスローガンは我々を縛るだけの目的で使用されている。

感情の主は私なので書くのだ、という蜻蛉さんの宣言は、大きかったのであろう。我々が「みんなの感情」の世紀をいよいよ生きつつあることから振り返っても感慨深いものがあるが、蜻蛉さんレベルの「私の感情」という、この決意だって、我々には大変なことなのだ。

昨日から、ルソーの「告白」を久しぶりに読み返しているのだが、やはりこっちは「私」のあり方がかなり違う。彼は、いままで成し遂げられたことのない「私」という偉業を試みる、最後の審判のときに「この書物を手にして」審判者の前に出てやるぞ、と言っている。「私」とは「書物」である。

「わたしひとり、わたしは自分の心を感じている。そして人々を知っている」


人々の悲しみを私も知っていると述べている蜻蛉さんとは大きく違う。ルソーのような男もいないわけではないのだが、日本ではだいたいそういう男は超がつく馬鹿の場合が多い。

加藤一夫・ファーカソン・ブレヒト

2020-05-13 21:30:29 | 文学


オンラインのゼミをして、加藤一夫の『み前に齋ぐ』とか『日本的基督教』などを読んでいたら日が暮れた。加藤一夫のある種の「連続する転向」状態についてはいろいろ考え方があるんだろうが、――どうも、快活なお調子者にみえなくはないのだ。こんなにエネルギッシュで筆が滑って行く書きぶりからは、決して面従腹背など出来ない人間が浮かび上がってくる。若い頃は分からなかったが、――とくにキリスト者は苦悩する者だと思い込んでいたところもあって分からなかったが、根本的に世相をサーフィンのように乗り越えて行くこと自体が快感となっている人間というのはいるのである。文学者にも結構いるのだ。

ジェームズ・ファーカソンの『反政治機械』を読もうと思っているんだが、なかなか時間がとれない。

ブレヒトの『演劇論』を少し読んだが、昔少し囓ったとき以上に意味が分からなかった。

つかれに一首

2020-05-11 22:26:56 | 文学


年ごとに あまれば恋ふる 君がため うるふ月をば おくにやあるらむ


飛ぶ鳥を落とす勢いで出世しまくるボンクラ。ちょうしのいいときには、歌もしゃれている。

今日は久しぶりに事務書類などを2週間分片付ける。

「かげろう」という存在

2020-05-10 20:31:44 | 文学


かく年月はつもれど思ふやうにもあらぬ身をしなげけば、声あらたまるもよろこぼしからず、猶ものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし。


「かげろふ」はもう喩えになってしまっているであろうから虫なのか陽炎なのかあまり考えなくてもよいのかもしれない。問題は、我が身を歎き続け、年改まるも嬉しい気がせず、儚いなーと思ってることが、なぜ「あるかなきかの心ちする」ことになっているかであろう。厳密に言えば「心ち」はあるではないか。やはり「ある」ことには何か効果みたいなものが必要なのである。蜻蛉さんは自分の思い通りにならないことばかりなのが、心地がないような気がするのである。いまもそうであろう。なんか無駄足だったなあ、という気持ちは我々にとって気持ちに認定されない。それを気持ちにするためには、それに何か意義をくっつける必要がある。宗教はその点便利である。

 蟻は一匹の王を戴いて毎日朝から晩まで働いている。一匹も怠けるものがなく、そして大きな仕事にぶつかれば大勢一緒になってそれに掛かる。皆仕事を持っているから一匹として生活の不安を抱いているものが無く働いている。この共産主義的蟻の社会には、怠ける者も狡い者も王者を倒そうとする者も無いから、立派に成立して行く。人間にもこうした不安の無い社会が出来ないものだろうかと思った。出来たら、不安なく働けて、そして自分の持って生まれたものを伸ばして行く事が出来るだろう。そういう社会に住んでいれば、怠け者でない限り、狡い者で無い限り、王者を敬うものである限り、終生生活の不安も無く職を失う憂えも無く生きられるのだが、などと彼は考えた。
「それにしても、あの小さな蟻ん坊が、よくこんな大きな蜻蛉を殺して、そして引っ張って行くものだな。」と彼は呟いて、その首の無い蜻蛉の屍を拾い上げて見た。すると蜻蛉の足から翼にかけて、細い細い絹絲のような蜘蛛の巣が、幾本も寄り集まってもちの様に喰い付いている。それから視ると、飛んでいる中に蜘蛛の巣にかかって、ばたばたして下に落ちたのを、蟻の群に攻められたのだと想像されるのである。


――佐佐木俊郎「首を失った蜻蛉」


確かに、我が国は蟻が蜻蛉を運んでいく社会に似ている。コロナ騒ぎにしても、なんだか機能しない政府を庶民がわっしょいわっしょい運んでいる気がする。わたくしはもう十年以上前から、庶民は身を潜めての抵抗モードに入っていると考えている。中には、政府の言うことを過剰に忖度して声を張り上げているバカもいないではないし、この機を捉えてボスザルに昇格しようとする輩までいるわけであるが、――それは一部である。蜻蛉さんの時代も、痕跡はあまり書かれてはいないだろうが、ほとんど機能していない政府の周りで少しずつ事態を動かしている人々がいたはずなのである。

「変身」など

2020-05-09 23:28:47 | 映画


今日はクリス・スワントン監督の『変身』(2012)を観た。なんと虫となったザムザが結構微妙なCGで、しかもディズニーのしゃべる昆虫たちのそれのような眼をしている。この不自然さが普通の(どの映画をさすべきかは分からんが……)「変身」の映画にはない、ザムザへの感情移入を微妙に発生させるのである。この小説は確かに漫画じみているところがある。この滑稽さは、虫であることを演技そのものでやってしまったワレーリイ・フォーキンの傑作では出ない。フォーキンの虫はなんだか人以上の迫力を持っていて、死ぬ感じがしないのだ。これが、今日みたCGはなにかペラッと死ぬ気がする。ゴキブリのように。実際に虫が死ぬ場面が非常によい。昆虫の中身が空洞な感じがよくでている。あと、グレーテ・ザムザ(妹)役のローラ・リースという役者が、非常に合っていた。ある意味、この妹役は、ビバリーヒルズ高校白書の端役ででてくる感じの子を抜擢するのがよい気がする。お母さん役は、この人どこかでみたなと思ったら、『戦場のピアニスト』に出ていた人だった。

池上遼一の『罪の意識』という作品集も読んだが、なかなかよかったな。これは『ガロ』時代の作品を集めたものだった。わたくしは、まだ辛うじて、この人達の書こうとした田舎の暗さやコンプレックスを突き抜けてしまった惨めさを想像出来るような気がするが、気のせいかも知れない。本当は、こういう想像の手触りみたいな微妙な問題が、「変身」なんかにも存在しているはずなのである。

日の脚のわづかに見えて、霧ところどころにはれゆく。あなたの岸に家の子、衛府の住など、かいつれてみおこせたり。中に立てる人も、旅立ちて狩衣なり。岸のいとたかきところに舟をよせて、わりなうただあげにになひあぐ。轅を板敷にひきかけて立てたり。

朝霧のなかにあらわれる兼家。なんかかっこよすぎるみたいだが、こんな場面でさえ、その時でないと分からないちょっとしたところがあるに違いない。

よろづにつけて涙もろく

2020-05-08 19:28:36 | 文学


見やれば木の間より水の面つややかにて、いとあはれなる心ちす。しのびやかにと思ひて、人あまたもなうて出で立ちたるも、わが心のおこたりにはあれど、われならぬ人なりせばいかにののしりて、とおぼゆ。車さしまはして、幕などひきて、後なる人ばかりをおろして、川にむかへて、簾まきあげて見れば、網代どもさしわたしたり。行きかふ舟どもあまた、見ざりしことなれば、すべてあはれにをかし。


9月、初瀬詣での場面。10月には大嘗会の御禊でニックキ時姫の娘は女御代らしい。これを見てから一緒に初瀬にという兼家を無視して蜻蛉さんは息子たちと秘かに来てしまいました。――我々は現金なことにも、嫉妬で穏やかならぬ心に、「木の間より水の面つややかに」みたいな風景が殊更しみじみと現れるのだ。平安朝の文学が、あはれ、おかしと繰り返しているのは、様々な人々が「あな憎し」みたいな情念にいらいらさせられていたことを示しているのではないかと思う。いまだってそうなのだ。風景はわれわれの心に勝手にインサートしてくる。しかし、その突然さにびっくりするはずが、情念の一部の変形として顕れ、だから癒やしとして働くことになる。

後のかたを見れば、来こうじたる下衆ども、あやしげなる柚や梨やなどをなつかしげに持たりて食ひなどするも、あはれに見ゆ。破籠などものして、舟に車かきすゑて、行きもて行けば、贄野の池、泉川などいひつつ、鳥どもゐなどしたるも、心にしみてあはれにをかしうおぼゆ。かいしのびやかなれば、よろづにつけて涙もろくおぼゆ。

涙が出るのはたぶん、情報を少なくして負担を軽くしようとしているんじゃないかと思う。時々外に出て風景にさらされると、その情報量に圧倒される。風景そのものをみることはいまだに文学的課題である。

私は正義をささえるには涙をもつてせよということでございますが、社会正義は冷たい考えだけで支えられるものではない。あらゆる面を考えまして溢れるが如き涙ぐましい心をもつて正義を求めねばならぬというのであります。

――金森徳次郎「涙をもつて正義を支える」


涙を以て正義を支える――というのは気持ちは分かるんだが、もともと情報量を絞って因果律を考えがちな人が涙とか言っているのをみると、それはそれ、邪念じゃねえのかよと言いたくもなる。我々は、大まじめに世界を受け取るところから出発する必要がある。蜻蛉さんみたいな下衆レベルの営為ではなく。

束ねる

2020-05-07 23:40:41 | 文学


在る者、手まさぐりに、貝・栗を網み立てて、贄にして、木を作りたるをのこの、片足に、尰つきたるに、荷なはせて、持て出たるを、取り寄せて、ある色紙の端を脛におしつけて、それに書きつけて、あの御方に奉る。
  片こひや苦しかるらむ山賎のあふこなしとは見えぬものから


まったくひどいもんであるが、なんだかいろいろなものを括っていると人間の姿みたいになることだ。樵になったこともないのにひどいもんであるが、我々はなんとでも言ってしまう。

海松の引き干しの、短くちぎりたるを、結ひ集めて、木の先に荷なひ代へさせて、細かりつる方の足にも、異の尰をも削りつけて、もとのよりも大きにて、返し給へり。見れば、
  山賎のあふこ待ち出でて比ぶればこひまさりけるかたもありけり


考えてみると、いまでも当意即妙な答え方をしてくる者とだけやりとりはしていたいもので、それ以外の者とのつきあいは面倒な者である。

――それはともかく、ここでものを束ねたりすることの意味を想像していたら、震災以来はやりの絆とやらが想起された。これはもうよく知られたことであるが、ファシズムは、ラテン語のファスケス(fasces、束桿)からきている。斧の周りに短杖をたばねたもので、有名なところでは、リーンカーンの座っている椅子の手を置く柱にあるのがそれだ。絆をみんなで団結すれば恐くない的な結束主義とすれば、絆主義とはファシズムそのものだ。が、我々の社会が「絆」がなんちゃらといっているときには、別に団結しようと言っているわけではない。むしろ、実際に何かを束ねることを意味しており、藁をみんなで束ねようーみたいな雰囲気に近い。その藁束におしゃれなリボンでもついてりゃよりいいわけであった。マスクとか千人針とかで気持ちを込めたりするのも、それは何かを束ねている行為で、そこでは糸を括って束ねている。

 お作は家を出てその畠道を歩いた。つらいその身の境遇や、悲しい追懐よりも、ひもじいという念が第一にその胸に押し寄せてきて、何か畠に食うものはないかとあたりを見まわした。牛蒡畑、大根畑が一面に連なり渡っていたが、ふと、五、六間先に葱の白い根を上げた畑が眼に入った。
 われを忘れて、畑の中に入って、ほとんど人の物を盗むなどという念も起こらぬ中に、たちまち一束の葱を取って、それを揃えて、もとの畠の道に出た。その時、同じ畠道を、一人の男――かねて見知っている温泉宿の年寄りの番頭がこっちに歩いてきた。
 葱を一束抱えてお作の立っているのを、ふと眼につけて、
 「葱かね!」
 と言って笑って通り過ぎた。
 お作はぎょっとして我に返った。自己の罪跡を見つけられたと思って、身が地にすくむような気がした。


――田山花袋「ネギ一束」


こういう場面は、漱石にはかけない。田山花袋は畑のかたわらでネギを抱えて座って朽ちてゆくような気持ちをよく分かっていたと思う。それは蜻蛉さんたちとも全然違ったものであった。

卵遊び

2020-05-06 23:22:50 | 文学


三月つごもりがたに、かりの卵の見ゆるを、「これを十づつかさぬるわざを、いかでせん」とて、手まさぐりに、生絹の糸を長うむすびて、一つむすびては結ひ、結ひしてひきたてたれば、いとようかさなりたり。「なほあるよりは」とて、九條殿女御殿御方にたてまつる。卯の花にぞつけたる。なにごともなく、ただ例の御ふみにて、はしに、「この十かさなりたるは、かうてもはべりぬべかりけり」


「秦王之国、危如累卵」という言葉に危機感はあったのかもしれないが、蜻蛉さんにはあるのか。鴨の卵を生糸でつないで一〇個繋げた~とかいって遊んでいる。このままに置いておくのはもったいない、とボンクラ兼家の妹に差し上げる(なんでだ!)。卯の花なぞ付けて差し上げる。なにごともない普通のお手紙の、その端に「卵を一〇個重ねることは難しいけどこういう風に出来ることもあるんです(思ってくれなくても思うことはあります)」と書いて差し上げる。

鳥の子を十づつ十は重ぬとも思はぬ人をおもふものかは(伊勢)

確かに、元ネタのこの迫力に比べれば、一〇個の連なりなどちょっと普通なので、――というか蜻蛉さんは無理にそうしてるんだろうけれども、

かずしらずおもふ心にくらぶれば とをかさぬるもものとやは見る

と一〇個なんてものの数ではありません。私はもっと思ってる鴨よ、と言わざるを得ぬ。で、蜻蛉さんはムキになって

おもふほどしらではかひやあらざらん かへすがへすもかずをこそみめ


数が分からなきゃ分からないじゃありませんか、エビデンスを示せと言い張るのである。

――いったいのこの方たちは何やっているのであろうか。たぶん暇なのであろう。

むかし、のはらの一けんやに、にはとりが一羽すんでゐました。そののはらのむかふには、ひくい、きれいな山が三つならんで立つてゐました。
 ある、月のいゝばんのこと、そのにはとりが、玉子を一つうみました。そのたまごに、丁度のぼつてきた月が、光りをさしかけましたので、たまごは、それは美くしくて、しんじゆのたまのやうに見えました。
 にはとりはうれしくてたまらないので、玉子ばかり見てゐました。けれども、そのうちに、玉子は、だんだん消えていつて、かげばかりになり、おしまひには、そのかげさへも見えなくなつてしまひました。
 ぼんやり、それを見てゐたにはとりは、たいへんびつくりして、おつきさまのところへかけて行つて、
「おつきさま、どうぞ、わたしのたまごを、かへしてください。」とたのみました。
 すると、こんどは、きふに、おつきさまがわらひながら、だんだんしぼんで、たまごになつてしまひました。
 にはとりは、たいへんよろこんで、
「ほんとですか、おつきさま、これがわたしのたまごですか。」といつて、それを羽の下に入れようとしますと、それが、見る間に大きくふくれて、三つならんだやまのむかふから、おつきさまになつてのぼつてきました。
 あくるあさ、にはとりが目をさまして、のはらにいつてみますと、まへのばんのおつきさまが、しろくすきとほつて、空にのぼつてゐました。そこで、にはとりはおほきいこゑでなきました。
「それは、たまごか? おつきさまか? コケツ、コケツ。」


――村山壽子「たまごとおつきさま」



わたくしは、こちらの卵の方が、なにか仏みたいなものに接近しているようで好きである。わたくしの知り合いは、時々いまでも山の上に大日如来か何かを見るらしいからな……。鶏なんかは自分の卵と月を区別していないかもしれない。

儚い、線としての

2020-05-05 19:21:00 | 文学


五、六日ばかりになりぬるに、音もせず。例ならぬほどになりぬれば、あなものぐるほし、たはぶれごととこそ我は思ひしか、はかなき仲なれば、かくてやむやうもありなむかしと思へば、心細うてながむるほどに、出でし日使ひし泔坏の水は、さながらありけり。上に塵ゐてあり。かくまでと、あさましう、
  絶えぬるか影だにあらば問ふべきをかたみの水は水草ゐにけり
などと思ひし日しも、見えたり。


蜻蛉さんと兼家さんはまた喧嘩した。怒って兼家さんは出て行ってしまった。なかなか帰ってこないので、なんてことだ、冗談だとばかり私は思っていたのに、儚い夫婦仲のことであるから、このように終わってしまうこともあるかも、と思うと、心細い。ここで、「我は思ひしか」と「はかなき仲」に逆接がないことが、この人の気分をよくあらわしている。普通にしていたらいつの間にか違う場面になってしまうような、そんな人間関係が儚いのである。――使っていた泔坏(髪をなでつけるための水を入れておく杯)はそのままあった。水面に埃が積もっている。あきれて「もうおわってしまったのかしら。あなたの影さえ映れば、そう質問できるのに。残していった水には水草(塵)がはえてしまったわ」

「そりゃするわ。すると思ったわ。あたしもゆうべは怖い夢を見た。……」
「どんな夢を?――このタイはもう今年ぎりだね。」
「何か大へんな間違いをしてね、――何をしたのだかわからないのよ。何か大へんな間違いをして汽車の線路へとびこんだ夢なの。そこへ汽車が来たものだから、――」
「轢かれたと思ったら、目を醒ましたのだろう。」
 夫はもう上衣をひっかけ、春の中折帽をかぶっていた。が、まだ鏡に向ったまま、タイの結びかたを気にしていた。
「いいえ、轢かれてしまってからも、夢の中ではちゃんと生きているの。ただ体は滅茶滅茶になって眉毛だけ線路に残っているのだけれども、……やっぱりこの二三日洋食の食べかたばかり気にしていたせいね。」
「そうかも知れない。」
 たね子は夫を見送りながら、半ば独り言のように話しつづけた。
「もうゆうべ大しくじりをしたら、あたしでも何をしたかわからないのだから。」
 しかし夫は何とも言わずにさっさと会社へ出て行ってしまった。たね子はやっとひとりになると、その日も長火鉢の前に坐り、急須の湯飲みについであった、ぬるい番茶を飲むことにした。が、彼女の心もちは何か落ち着きを失っていた。彼女の前にあった新聞は花盛りの上野の写真を入れていた。彼女はぼんやりこの写真を見ながら、もう一度番茶を飲もうとした。すると番茶はいつの間にか雲母に似たあぶらを浮かせていた。しかもそれは気のせいか、彼女の眉にそっくりだった。
「…………」
 たね子は頬杖をついたまま、髪を結う元気さえ起らずにじっと番茶ばかり眺めていた。


――芥川龍之介「たね子の憂鬱」


番茶に浮かぶ雲母は、水草に喩えられる生気が失せている。芥川龍之介の晩年の小説は、適当に意識の表面から消えてくれる意識の流れを否定し、すべてが意識の水面に一杯に浮かんで消えない有様を描くようだ。蜻蛉さんは、「儚い」と言えたが、芥川龍之介にはそうは言えなかった。自分の意識も人生も決して儚くあってはならなかったのである。彼の人生は、道のように伸びて行かずに、照り返し折り返し続ける鏡のような何者かであった。このことは、彼らの後輩の自殺した文学者にとってもそうで、彼らからは線としての人生がなかったと言えるかもしれない。