さいつころ、つれづれなるままに草どもつくろはせなどせしに、あまた若苗の生ひたりしを取り集めさせて、屋の軒にあててうゑさせしが、いとをかしうはらみて、水まかせなどせさせしかど、色づける葉のなづみて立てるを見れば、いとかなしくて、
いなづまのひかりだにこぬやがくれは 軒ばのなへも物おもふらし
と見えたる。
稲の早苗を軒下に植えさせたりするのがどのくらいかわったことなのかそうでないのかは知らないが、日当たりを度外視して植えた時点で「稲妻の光だにこぬ」云々は蜻蛉さんの頭にはあったに違いない。こういう行為は、先の予想があとに必ず実現しているので、彼女の頭を混乱させないのだ。「日の光は無論、稲妻の光さえ届かない我が家の軒下であって、そこの稲もまるで物思いにしょぼくれているようだよ」。しかし、これが春になると庭というものには一斉に雑草どもが背伸びし始めるのである。まったくどこから飛んで来たのか……。この前までわたくしが住んでいた家なぞ、わたくしが除草剤である種類の雑草を殲滅させた後、かえってもっと凶悪な棘の藪がどこから飛んで来て繁茂した。その上に洗濯物を干していたことがあり、落ちると大変なことになるのであった。閻魔がパンツを干していたら、地獄の針の上に飛んでいってしまうような事件は現世でもある。
これに比べると、蜻蛉さんの庭はよく整えられていて、蜻蛉さんが一緒に悲しめる余裕があるのであった。思うに、こういう元気のない人間には、凶悪な敵が必要であって、金属による征伐が必要である。――しかるに、昭和の前半にあった、工場の鉄の匂いと雑草の匂いの混ざり合いの風景は、――「しゃぼんだまホリデー」みたいな上品なもののあとにやがて「ドリフ」の暴力が繁茂し、――生にふたをするように土の道はコンクリートで覆い隠されていった。
人間のやる気はだいたい行き着くまで行ってしまったあと、自分で自分のやる気を削ぐ環境をつくる。
或年の丁度若苗の生い立つ頃、――そう、若苗といえば、そんな事のあった数日前、私はあんまり所在がないので草などの手入れをさせていたら、たくさん若苗が生えていたので、それを取り集めて母屋の軒端にそっくり植えさせて水なども気をつけてやらせていたのだった。が、その日私が見に往ってみると、それはもう残らず色が変って葉なんぞもすっかり萎れかえってしまっていた。
――堀辰雄「かげろうの日記」
堀辰雄がちょっといやなのは上のように、「そう、」とか言ってしまうところだ。堀辰雄はまるで、すべてが終わったような気分から書いている。こういう気取りは文学的ではないと思う。授業で、堀辰雄の芥川龍之介論(卒論)を読んで見たが、だいたい合ってるようなすべて間違っているような妙な感じは、彼が作家の主体を「語り手」みたいに扱っているからだと思った。語り手論の以降の研究者も、方法論の側からそういうところに落ち込みやすいような気がする。語り手というものは作者が死なないと成立しないのであった。