★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

心地いと重くなりまさりて

2020-05-01 23:37:20 | 文学


かかるほどに、心地いと重くなりまさりて、車さし寄せて乗らんとて、かきおこされて、人にかかりてものす。うちみおこせて、つくづくとうちまもりて、いといみじと思ひたり。とまるはさらにも言はず。この兄人なる人なん、「なにか、かくまがまがしう。さらになでふことかおはしまさん。はや奉りなん」とて、やがて乗りて、かかへてものしぬ。思ひやる心地、言ふかたなし。


兼家も人間であった。突如、病に倒れる。もう余命幾ばくもないどうしょう悲しいと泣く兼家さん、につられて蜻蛉さんも泣く(ほんと、泣いてばっかりだな……)で、もう重篤になったので本宅に連行である。人に助けられて車にやっと乗る。蜻蛉さんをふりかえって辛そうである。残される蜻蛉さんはいうまでもなく辛い。がっ、兄貴はてきぱきと、「何だ、そんなに泣いてばかり。まったくそんな大したことですかいな。早くのりなさい」と一緒に車に乗って行ってしまった。蜻蛉さんはぼうぜんと見送るばかりで、つらい。

確かに病気になると、ある種、病気がメディウムとなって愛の空間が生まれるのか、何か知らないが――ボンクラは蜻蛉さんと一緒に泣きまくる。よく分からんが、歎きとか泣きという行為において、彼らは波長が合う人々であったのではなかろうか。我々は愛情とかいう観念が、人間の行動を決めていると考えがちだが、行為が媒質となって観念が生じるのである。この場合、あまり歌のやりとりは必要ではない。歌は一種のバブルなので、崩壊の因子を含んでいる。いま蜻蛉さんたちは「心地いと重くなりまさりて」で十分なのだ。

文藝年鑑に依つて、君が明治四十二年の六月十九日に誕生した事を知つた。實に奇怪な感じを受けた。實は僕も明治四十二年の六月十九日に誕生したのである。この不思議な合致をいままで知らずにゐたのは殘念である。飮まう。君の都合のよい日時を知らせてくれ。僕は詩人である。
 そのやうな内容のお手紙を受取り、私はへんな、夢見心地に似たものを感じた。
 斷言してもよからうと思はれるが、明治四十二年に生れた人で、幸福な人はひとりも無いのである。やりきれない星なのである。しかも、六月。しかも、十九日。
 罪、誕生の時刻に在り。


――太宰治「同じ星」


ここで「夢見心地」という言葉を使う太宰治はさすが格が違う文人である。何もないところから星や罪を生み出してしまう。