
この頃は、四月、祭見に出でたれば、かの所にも出でたりけり。さなめりと見て向かひに立ちぬ。待つほどのさうざうしければ、橘の実などあるに、葵をかけて、
あふひとか聞けどもよそにたちばなの
と言ひやる。
賀茂祭に見物に出かける蜻蛉さん。それにしても、祭といえば何が何でも出かけてしまう。こんな心性の我々が、「新しい生活様式」とやらで、ソシャルディスタンスで横並びで食事で声を立てるなすぐシャワーを浴びろ、みたいな生活に耐えられるとは思えん。だいたい、緊急事態じゃなく「新しい」のは何故であろうか。我が国で「新しい」なんとかというやつが出てきたときには100%何かを誤魔化しているときであり、今回もそうであろう。――というのはどうでもよいとして、お祭りをどうするか、は重大問題である。入学式卒業式もお祭りである。桜でどんちゃん騒ぎをしたいわけであるから、九月入学は反発は大きいだろう。とはいえ、我々のなかには「安心安全」オタクみたいな性質も猖獗を極めつつあり――、政府の言うことをへこへこ聞くやつを半笑いで150年ぐらい愛でているうちにだんだん自分もそうなってきてしまっているのが我が国である。政府の義務をなぜ我々が内面化しなきゃならんのだ。
閑話休題。蜻蛉さんは、時姫さんも来ているなとみつけ、道の向かいに牛車を止める。で、行列が過ぎるまで暇なので、橘のみに葵を添えて「今日は葵祭でござんすね。こうしてお目にかかる日だというのに、てめえはよそよそしく立ってばかりで」と攻撃開始。
やや久しうありて、
きみがつらさを今日こそは見れ
とぞある。「憎かるべきものにては年経ぬるを、など今日とのみ言ひたらむ」と言ふ人もあり。
やや時間がかかって、「あんたの薄情なのを今日こそはっきり見ましたわ」と返ってきた。「こちらを長年憎いと思っているくせに、なんで「今日」とか言うてるの?」と言う侍女もあり。戦争である。
帰りて、「さありし」など語れば、「『食ひつぶしつべき心地こそすれ』とや言はざりし」とて、いとをかしと思ひけり。
兼家は蜻蛉さんの方にいたらしく、今日のことを話すと「「食い殺すぞという気持ちがする」と言わなかったかい?」と面白がっているのであった。兼家さんとしたら、こういうやりとりがあることは嬉しいのであろう。なんか好対照な二人が自分をめぐって争っていて。
我々の社会生活は、社会的距離などというものを一定に保つようには出来ておらず、――心理的にはもっとそうなのだ。横並びの食事と言えば、「家族ゲーム」という映画で、家族が家庭教師を入れて横並びに食事しているシーンがあったのを思い出す。あそこあたりから、家族の問題が「距離」感の問題であるかのような賢しらな議論が出てきたような気がする。映画はそれをたぶんからかっていた。まだ、この映画の頃は、馬鹿馬鹿しいこともあったもんだという感じがしていたが、社会的距離みたいなものが抽象として意識されるようになってから、我々は心理的自我のあり方を変えてしまった。エドワード・ホールが、竜安寺の庭について次のように言っておる。
日本人が空間の知覚に際してあらゆる感覚を使うこと、何かを見出しうる点まで人を導いて行く傾向とが示唆される。この傾向は日本人の生活の他の部分にも反映している。
――「かくれた次元」(1966)
だが、竜安寺の庭をどこから見たとしても、なにか一つ隠れていると同時に多くものがあらかじめ見えないのはどうしてなのか。そこに本当に自由があるのだろうか、といつもわたくしは思うのであった。何かが見出されるまで、いつまで我々は庭の周りをうろうろしているのだ?ホールからしたら日本の庭は驚きだったのかも知れないが、我々がそんな見方を内面化してありがたがることはないのだ。竜安寺の庭だって過渡的なものに過ぎないではないか。