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見やれば木の間より水の面つややかにて、いとあはれなる心ちす。しのびやかにと思ひて、人あまたもなうて出で立ちたるも、わが心のおこたりにはあれど、われならぬ人なりせばいかにののしりて、とおぼゆ。車さしまはして、幕などひきて、後なる人ばかりをおろして、川にむかへて、簾まきあげて見れば、網代どもさしわたしたり。行きかふ舟どもあまた、見ざりしことなれば、すべてあはれにをかし。
9月、初瀬詣での場面。10月には大嘗会の御禊でニックキ時姫の娘は女御代らしい。これを見てから一緒に初瀬にという兼家を無視して蜻蛉さんは息子たちと秘かに来てしまいました。――我々は現金なことにも、嫉妬で穏やかならぬ心に、「木の間より水の面つややかに」みたいな風景が殊更しみじみと現れるのだ。平安朝の文学が、あはれ、おかしと繰り返しているのは、様々な人々が「あな憎し」みたいな情念にいらいらさせられていたことを示しているのではないかと思う。いまだってそうなのだ。風景はわれわれの心に勝手にインサートしてくる。しかし、その突然さにびっくりするはずが、情念の一部の変形として顕れ、だから癒やしとして働くことになる。
後のかたを見れば、来こうじたる下衆ども、あやしげなる柚や梨やなどをなつかしげに持たりて食ひなどするも、あはれに見ゆ。破籠などものして、舟に車かきすゑて、行きもて行けば、贄野の池、泉川などいひつつ、鳥どもゐなどしたるも、心にしみてあはれにをかしうおぼゆ。かいしのびやかなれば、よろづにつけて涙もろくおぼゆ。
涙が出るのはたぶん、情報を少なくして負担を軽くしようとしているんじゃないかと思う。時々外に出て風景にさらされると、その情報量に圧倒される。風景そのものをみることはいまだに文学的課題である。
私は正義をささえるには涙をもつてせよということでございますが、社会正義は冷たい考えだけで支えられるものではない。あらゆる面を考えまして溢れるが如き涙ぐましい心をもつて正義を求めねばならぬというのであります。
――金森徳次郎「涙をもつて正義を支える」
涙を以て正義を支える――というのは気持ちは分かるんだが、もともと情報量を絞って因果律を考えがちな人が涙とか言っているのをみると、それはそれ、邪念じゃねえのかよと言いたくもなる。我々は、大まじめに世界を受け取るところから出発する必要がある。蜻蛉さんみたいな下衆レベルの営為ではなく。