五、六日ばかりになりぬるに、音もせず。例ならぬほどになりぬれば、あなものぐるほし、たはぶれごととこそ我は思ひしか、はかなき仲なれば、かくてやむやうもありなむかしと思へば、心細うてながむるほどに、出でし日使ひし泔坏の水は、さながらありけり。上に塵ゐてあり。かくまでと、あさましう、
絶えぬるか影だにあらば問ふべきをかたみの水は水草ゐにけり
などと思ひし日しも、見えたり。
蜻蛉さんと兼家さんはまた喧嘩した。怒って兼家さんは出て行ってしまった。なかなか帰ってこないので、なんてことだ、冗談だとばかり私は思っていたのに、儚い夫婦仲のことであるから、このように終わってしまうこともあるかも、と思うと、心細い。ここで、「我は思ひしか」と「はかなき仲」に逆接がないことが、この人の気分をよくあらわしている。普通にしていたらいつの間にか違う場面になってしまうような、そんな人間関係が儚いのである。――使っていた泔坏(髪をなでつけるための水を入れておく杯)はそのままあった。水面に埃が積もっている。あきれて「もうおわってしまったのかしら。あなたの影さえ映れば、そう質問できるのに。残していった水には水草(塵)がはえてしまったわ」
「そりゃするわ。すると思ったわ。あたしもゆうべは怖い夢を見た。……」
「どんな夢を?――このタイはもう今年ぎりだね。」
「何か大へんな間違いをしてね、――何をしたのだかわからないのよ。何か大へんな間違いをして汽車の線路へとびこんだ夢なの。そこへ汽車が来たものだから、――」
「轢かれたと思ったら、目を醒ましたのだろう。」
夫はもう上衣をひっかけ、春の中折帽をかぶっていた。が、まだ鏡に向ったまま、タイの結びかたを気にしていた。
「いいえ、轢かれてしまってからも、夢の中ではちゃんと生きているの。ただ体は滅茶滅茶になって眉毛だけ線路に残っているのだけれども、……やっぱりこの二三日洋食の食べかたばかり気にしていたせいね。」
「そうかも知れない。」
たね子は夫を見送りながら、半ば独り言のように話しつづけた。
「もうゆうべ大しくじりをしたら、あたしでも何をしたかわからないのだから。」
しかし夫は何とも言わずにさっさと会社へ出て行ってしまった。たね子はやっとひとりになると、その日も長火鉢の前に坐り、急須の湯飲みについであった、ぬるい番茶を飲むことにした。が、彼女の心もちは何か落ち着きを失っていた。彼女の前にあった新聞は花盛りの上野の写真を入れていた。彼女はぼんやりこの写真を見ながら、もう一度番茶を飲もうとした。すると番茶はいつの間にか雲母に似たあぶらを浮かせていた。しかもそれは気のせいか、彼女の眉にそっくりだった。
「…………」
たね子は頬杖をついたまま、髪を結う元気さえ起らずにじっと番茶ばかり眺めていた。
――芥川龍之介「たね子の憂鬱」
番茶に浮かぶ雲母は、水草に喩えられる生気が失せている。芥川龍之介の晩年の小説は、適当に意識の表面から消えてくれる意識の流れを否定し、すべてが意識の水面に一杯に浮かんで消えない有様を描くようだ。蜻蛉さんは、「儚い」と言えたが、芥川龍之介にはそうは言えなかった。自分の意識も人生も決して儚くあってはならなかったのである。彼の人生は、道のように伸びて行かずに、照り返し折り返し続ける鏡のような何者かであった。このことは、彼らの後輩の自殺した文学者にとってもそうで、彼らからは線としての人生がなかったと言えるかもしれない。