★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

自然と言語

2022-11-15 23:30:56 | 文学


「あッ!」
鏡の中に、はっきり人間と猿の混血児のような動物の顔が見える。脅かされ、後じさり、息も塞って、
「猿!……猿!」
目も離さずに見るうちに、鏡面の動物の顔は、だんだん大きくなり、活々とし笑うように震えながら、鏡の中から抜け出して来る、ヨハネス、一歩、一歩と後退りながら、
「何だ! 貴様は、何だ!」
一切構わずその動物の顔は、刻々、延び、拡がり、迫って来る。ヨハネス、狂ったように扉の方に走けつける。開かず。窓の方に走りよる。動かず、
「ああ! ああ! エッダ!」
両手を投げあげ、気絶して床に倒れる。震えつつ、しぼみつつ、奇怪な大きな顔は消え失せる――静かな、小さい蝋燭の瞬。――

――宮本百合子「猿」


「ウルトラセブン」の「恐怖の超猿人」はなんとなく、この番組もネタに困ってきたかな、と思わせるエピソードであるが、怪獣の髪の毛が不気味で、動物の動物性に対する感覚を正直に示していると思う。その点で、「猿の惑星」よりもクリティカルだったのではなかろうか。我々にとっての動物や自然は、どこまでいっても恐怖につきまとわれている。

わたくしも、いろんな神社やお墓を巡ってきたが、――おおくは大木の根や藪に覆われて墓石や塔が浮き上がったグロテスクな風景のなかに置かれている。我々がむかしから自然を恐れているのは、こういう風景を見てきたからというのもあるかもしれない。仏像や地蔵も川や土の中からでてくる。わたくしは木曽の生まれだから自然のなかで育ったところがあるけれども、まだ植物なんかが謙譲の美徳に溢れていたきがするのだ。平地にでてみたら、植物は一年中成長を続けており、人工物を翻弄している。

一種の「ニル、アドミラリイ」の気象をや養ひ得たりけむ、あらず、これには別に故あり。


「舞姫」では「あらず」なのだから、文脈上は否定されているのだが、鷗外がなんとなく「ニル・アドミラリイ」(無感動)の人であるのは印象としてはなくはない。一葉の表現する韻律としての人情に比べると、鷗外は人情を形而上に連れ去ろうとしているかのようだ。ファウストの結末のようなものかもしれない。「舞姫」の結末は、しかしその快楽を許さなかった。鷗外はもっと器械になりきれない器械をみていた。下のような言語=車のようなものである。自然物ではないが、人工物にしては扱いに困るたぐいのものである。

この車にあえば、徒歩の人も避ける。騎馬の人も避ける。貴人の馬車も避ける。富豪の自動車も避ける。隊伍をなした士卒も避ける。送葬の行列も避ける。この車の軌道を横たわるに会えば、電車の車掌といえども、車をとめて、忍んでその過ぐるを待たざることを得ない。
 そしてこの車は一の空車に過ぎぬのである。


今日は、この「空車」と「小説神髄」を比較して江藤淳の位置づけに至るような、たいそうな内容を授業中でっち上げた。こういうでっちあげは、墓石や神社を持ち上げる自然に属するのか、人工物に属するのか。

手には職、心にも職

2022-11-14 23:27:24 | 文学


「弟八弥事、変化にもせよ、親の形と見て、これに手づから弓矢の敵対、不孝の心ざしふかし」と、御取りあげもなく、この国を立退きける。

「本にその人の面影」には、狸が化けたところの母親が庭に出てきたところを「なぜ成仏しないのです」と泣いた兄に対して、いきなり弓矢で狸を射殺した弟がでてくる。兄は取り立てられたが、弟は取り立てられなかった。理由は、上の如しである。変化したものとは言え親の形をしているものを射るとは不孝以外のなにものでもないというわけだ。

はたして、弟のような目に見えるものを信じない合理性と、見えてしまったものに直情的に反応する兄のどちらが、「使える」奴なのであろうか。これは案外難しい問題である。江戸時代は、弟のような戦場で役に立つような猜疑的合理性よりも、表面に現れるものに対して素直な平和な感性が重要だったのかもしれない。それにしても、対比が極端だ。もう少し迷う人間はいないのか。兄も弟も反応自体がはやすぎる。たぶんこの方々は勉強が足りないのだ。

勉強そのもの自体がアンバランスをもたらすのはたしかである。そのアンバランスに早く反応するタイプの人間は、はやいうちにそのバランスのとれた世界に憧れて時間をかけて人生を歩むのかもしれない。――つまり、授業中なにがおこなわれているのかさっぱりな状態のなかで生きる面白さをみつけることが必要だった人は、その面白さも若い心と体によって咀嚼されていくと思うのである。しかし、歳とって同じような状態に立ち至ったエリートは、体が動かないから面白さを咀嚼出来ないんじゃないか。で、面白さじゃなくて脳内の快感を目指す。その結果が社会へ悲惨さをもたらす。

彼らは、勉強を頭脳だけでやりきったと思っているのが間違いで、若いから気付かなかっただけだ。役に立つ学問を、みたいな考え方というのは、悪い意味で脳みその働きをいかにも司令塔みたいに考えすぎている。それは同時に仕事や労働すら頭でなんとかなるみたいな考え方でもある。手に職をつけるみたいな考え方の方がまだ役に立つのだ。というより実態に即している。実際は勉強だって頭と同時にどこかしら体が動くことで成り立つわけで手に職をつけているわけである、レポートも卒業論文も。

卒論はとにかく手を動かせみたいな指導が昔からあるけど、あれはその実、意味的には頭を動かせと同じであり、でも手をなんとかしないと頭が働かないからなのである。ほんとは足も動かした方がよい。でも、それだとなかなか文章そのものは出来上がらない。つまり最終的にかなり長い時間、頭の回転だけ激しくしなきゃいけないわけだが、――たしかにそれはちょっとおかしい状態だ。しかし仕事はけっこうそのアンバランスに耐えなきゃいけないことばかりで、実際いい練習なのである。卒論に耐えられりゃあとは耐えられるみたいな言い方が昔からあるのはそのせいである。

だいたい、アクティブラーニングに対して座学を対置するレトリックが一時期流行ってたが、座学みたいなイメージがそもそも学問の実態を誤認しているわけである。実際失敗したグループワークの方が座ってるだけになってる。

こういう誤認はさまざまなところにあって、実際、PDCAサイクルみたいな超絶観念論もその所産である。そんな観念サイクルをエンジンに出来ると考えてる時点で病的ななにかさえ感じる。義務教育あたりで、教員がひたすらそういう観念の旗を振ってコントロールするようなかんじでやってると、コミュニティや仕事の《通常運転》こそ有能さが必要である所以が分からなくなるんじゃないだろうか。で、常に改革やスクラップあんどなんとかで世の中維持されると錯覚する。こういう輩は、気を遣ってうまく仕事を運用するみたいな繊細な仕事を、過保護だとか同調圧力とか集団主義とかいって批判しかねない。主体がニコニコ活き活き働くみたいなファンタジーをまずやめた方がいいのである。仕事はそもそも極めてコマイところに気を遣って行う点でとても難しいものである。

悪人と悪心は存在する

2022-11-13 19:22:03 | 文学


程なく家富みて、その後は、下々もあまたつかひ、万太郎も、十六になりて、角前髪の采体も、これをうらやみぬ。されども、形に心は違ひ、不孝第一の悪人、年中、親の気を背きしを、継母、よろしく取りなし、ひそかに異見をする中にも、人の嫁などたよるを、頻りに申せば、かへつて悪心をおこし、日頃の恩を忘れ、「継母の難をたくみ、追出すべし」と思ひて

何もかもうまくいかなくなった男が子どもを捨てようと思ったがすんでの所で思いとどまる。のみならず、ある村で美しい嫁をもらって家も富み始めた。その子は十六になって美しく成長したのだが、「形に心は違」っていた。他人の妻を誘惑したりするのである。それに継母が意見すると反発して、継母を追い出そうと画策する。その子は継母が自分を誘惑すると父親に嘘をいい、継母は離縁されてしまう。周りからも疎まれ遠くに逃げようとしたが、落雷で即死する。彼が連れていた馬だけが残っていた。

親不孝の話というか、この親の不幸は一度子を捨てようとした因果なのかわからないが、――たしかなのは、この子が「悪人」であり、「悪心を起こした」ということである。

最近は、悪人や悪心などというものの存在はほぼ否定されていて、なにかの因果でそうなってしまった、という説明が多い。そうかもしれないが、そういう説明が我々の人生に役立つとは限らない。実際に心に「見える」のは「悪人」や「悪心」だからである。原因が何かあったとしてもそれは変わらない。

例えば、誰かを「空気が読めない」という判断を下すと、いまは倫理観ではなく、本心がどうあろうと自分を制御する能力・生理的な力がないとかいう話になりそうである。しかし、人の心はそんな簡単じゃなく、極言すると、本心の性質によって決まるものも当然多いように思われる。問題行動を起こす学生に作法とか処世としての方法だけ教えても駄目なものは駄目なのである。

人間を極限まで生物としてみることと、生物から何かを教わるみたいな態度とは大きく違う。長沼毅氏の『辺境生物はすごい!』は「人生で大切なことはすべて彼らから教わった」という副題がついている。たしかに案外人生論が多く、例えば、個性尊重教育が批判されている。生物は模倣と反復をすべきで人間も同じだと。――なんか我々は他の生物をみていると人間に説教しがちであるという、そんな気がする。しかし、この現象をあまり軽視しない方がよい気がする。われわれの倫理は、彼らから何かを受け取って存在していると見たほうがよいかもしれない。そういう意味での共生なのかも知れないのである。

我々は自分の群れだけではむしろ動物的に野蛮になってしまう。倫理が降りてくる契機がないからだ。

「くさい仲、というものさね。」
 酔うにつれて、荒涼たる部屋の有様も、またキヌ子の乞食の如き姿も、あまり気にならなくなり、ひとつこれは、当初のあのプランを実行して見ようかという悪心がむらむら起る。
「ケンカするほど深い仲、ってね。」
 とはまた、下手な口説きよう。しかし、男は、こんな場合、たとい大人物、大学者と言われているほどのひとでも、かくの如きアホーらしい口説き方をして、しかも案外に成功しているものである。


――太宰治「グッド・バイ」


何が「案外に」なのかは知らないが、太宰は「悪心」をいつもこうやって他人に転嫁して合理化していた。「グッド・バイ」は高峰秀子のための作品だった。

新東宝が私のために一本書いてくれって、太宰(治)さんに頼んだ作品です。それで鎌倉の料亭で顔つなぎしたんだけど、太宰さんはきったなくてね、(中略)なんか野良犬が照れちゃったみたいな人だった。

さまざまな学者は秀子様の太宰へのコメント「なんか野良犬が照れちゃったみたいな人だった」を反芻すべし。ちなみに野良犬だった太宰はまだましで、人間面をしている学者たちは照れることも忘れてしまった。

倫理的な下半身

2022-11-12 23:35:06 | 文学


一とせあまりも、程過ぎて、書置きせし枕、とり出しみれば母親の筆にして、書き付けおかれし。 「世を見るに、嫁としよりて姑となる。人の心のおそろしきに、艶しき狼を恐れる。子のかはゆさあまりて、をしからぬ身なれば、千とせもちらぬ花嫁子に、命をまゐらす」と、書き残されし。これを聞きつたへ、人のつき会ひかけて、おのづから、取りこもりてありしが、夫婦、さし違へて果てける。

これは不孝話には違いがないが、嫁姑のお話にみえる。よい姑に嫉妬した嫁が家を出て行ってしまい、それ苦にした姑が死ぬと、嫁が喜んで帰ってきた。夫の方は大して深く考えもせず、残された親父も放置していた。すると、嫁が出て行ったときに嫁が手紙を書き置いていた枕には、死んだ母親(姑)の言葉が書かれていた。自分も姑になる嫁なのに自分(姑)を恨んでいるとはなんと人の心はおそろしいものだろう、これにくらべれば狼などかわいいものである、子の可愛さ余って自分なんかどうでもよい身だから、嫁に命をくれてやるわ、――のような文意であろうか。。

嫁姑問題とは、やはり不孝の問題なのである。そして、不孝の問題はつねに嫁姑のような嫉妬の問題を引き連れてくる。ここでは、最終場面で母親(姑)の遺言が枕から発見されて、まるで母親がよみがえったかのようだが、もともと嫁姑の問題は、夫にとっての母親への愛や、嫁にとっての夫からの愛といったものが、改めて幽霊的に復活してしまう問題であって、それは不孝なことが起きがちだからといって復活をやめることが出来ない。生きることは、それをなんとかしてしまう人間であることであるが、それを全員の死で解決させようとするのが、不孝の観念である。結局、これらを軟着陸させるのが生き方の問題なのであるが、それがいまのわれわれと違わない倫理観である。我々は、こういう、面倒くさい生き方を強いられたから、成長を強いられていた。これが最近揺らいでいるのは確かかも知れない。生まれたときから、死ぬまで家族が仲良くしてれば万事OKというわけで、全員が子どもみたいな顔つきで老いて死んで行くことになる。

いまごろ言っても遅いけど、近代文学の理解に壁があるのは、明治大正昭和が遠くなったこともあるけれども江戸の文藝に対する我々の無知にも原因がある。源氏平家だけ読んでる場合ちゃうのである。我々の倫理的な下半身というか、そういうものの理解は文学にとって重要で、やっぱり江戸期辺りまで辿ってみる必要がある。我々は保守しようにも改革しようにも、何を、の部分の把握が怖ろしくめちゃくちゃなのであり、昔からそうなのであるが、やはり倫理的な判断を下している主体は物語に確かにあって、それが我々にもまだ流れ込んでいる。

私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかもしれない。食べさせたら、よろこぶだろう。父が持って帰ったら、よろこぶだろう。蔓を糸でつないで、首にかけると、桜桃は、珊瑚の首飾りのように見えるだろう。
 しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。


――太宰治「桜桃」

幽霊・孝行・家族

2022-11-11 22:40:14 | 文学


かかる時、旅人と見えて、馬・乗物をつらせ、用ありげにたたずみ、この老人の面影をしばらく見定め、「橋本内匠様か」と、取付きぬれば、「金弥か」と、親子の縁きれず。


「善悪の二つ車」は、不孝話としては歪な気もする。親不孝な悪友が乞食におちぶれていたところ、老人に出会い、その老人を背負って親孝行な乞食のふりをして乞食業を軌道に乗せたところ、その老人が実は落ちぶれた武士であって子に巡り会う。で、老人を大切にした方は召し抱えられ、邪険にしていた方は惨めに死ぬ。結局、親孝行をウソの上で遂行してた人間が不孝をチャラに出来たわけで、ウソに利用されていた老人にも子が現れてそれが善の執行者となっている。こうみてみると、西鶴は、孝行の虚構性を十分意識していて、それが国家の体制ともひそかに手を結び合っていたことを意識して書いているような気もしてくる。

親というのは、生きていても幽霊みたいなところがある。これを意識しすぎれば父権ということになるのかもしれない。諸井誠氏は「神話とオペラ」(『新しい大地の詩』)は、オペラにおける父権的なものと母権的なものの絡まり合いを論じている。最後の部分で、ベルカント唱法を父権的で謡が母権的と言っている。なんだか反対でもいいような気がするのだが。。。諸井氏の論考は、コンピュータ以降の文明論がかえって父権的になる、すくなくともそういうことを思いがちである予感があったようで、それへの対抗として、マーラーから始まる20世紀の芸術の母権性の獲得を否定的媒介に、自分でも日本の音楽の母権性みたいなものを打ち出そうとしていたようにみえる。しかしそれは、父権との関係において成立する、弁証法的なものだった。今の方が、どちらかが勝つみたいな馬鹿馬鹿しいことになっている。諸井氏の予感は当たった。

まだ、親不孝への意識が強烈だった時代は、親をいかにして不孝や報恩みたいな桎梏から救うか、父権母権双方の試みがあったような気がする。上の話だと、国家を支える武士が登場して商人達を律している気がする。結局、親子の関係がそれ自体「力」となりにくい我が文化の事情がある。唯一の例外が、ヤクザや学者や芸能者の親子である。

さっき、「ゴッドファーザー」を見直してみた。やっぱり美的に大傑作だったが、それにしても、この物語の「ファミリー」への執念は異常である。「パート2」のおわり辺り、食卓でマイケルが真珠湾攻撃に怒ったアメリカ市民として海軍に入ったといって、兄貴のソニーに怒られる場面、ほんとはマイケルの父親(ゴッドファーザ-)のマーロン・ブランドが出演する予定だったそうだ。この話はアメリカ国家とマフィアのファミリーの関係の話なのだからこの場面は決定的に重要である。「パート2」は、その関係が徐々に変容してしまう様を描いている。国家ではなく移民の「ファミリー」の長であるブランドが出てくれば構図ははっきりするけど、マイケルの過去の空想からなるこの雰囲気は壊れそうだ。だから、でなくてよかったかもしれない。たしか監督もそんなこと言ってた。父ブランドは幽霊だからいいのだと。

果たして論文で、重要な事項を幽霊として書かずに存在させることは可能であろうか。

教育と修養

2022-11-10 23:20:51 | 文学


「出て行かれる路は一つしかない。」
「と云ふのは?」
「それはお前さんのここへ来た路だ。」
 僕はこの答を聞いた時になぜか身の毛がよだちました。
「その路が生憎見つからないのです。」
 年をとつた河童は水々しい目にぢつと僕の顔を見つめました。それからやつと体を起し、部屋の隅へ歩み寄ると、天井からそこに下つてゐた一本の綱を引きました。すると今まで気のつかなかつた天窓が一つ開きました。その又円い天窓の外には松や檜が枝を張つた向うに大空が青あをと晴れ渡つてゐます。いや、大きい鏃に似た槍ヶ岳の峯も聳えてゐます。僕は飛行機を見た子供のやうに実際飛び上つて喜びました。
「さあ、あすこから出て行くが好い。」
 年をとつた河童はかう言ひながら、さつきの綱を指さしました。今まで僕の綱と思つてゐたのは実は綱梯子に出来てゐたのです。
「ではあすこから出さして貰ひます。」
「唯わたしは前以て言ふがね。出て行つて後悔しないやうに。」
「大丈夫です。僕は後悔などはしません。」
 僕はかう返事をするが早いか、もう綱梯子を攀ぢ登つてゐました。年をとつた河童の頭の皿を遥か下に眺めながら。


――「河童」


芥川龍之介は河童に恐怖を抱く面白いひとであるので、変化には基本的に耐えられないタイプであろう。これに比べると、「第百階級」みたいないい加減な数の増殖を押し立ててみせる詩人なんかが長生きしたのは当然だ。草野心平の「憧れの万里の長城」という文章、暴君と人民の労働は大変なもんだみたいな平板なこと言ってると思いきや、最後の最後に来て、万里の長城で女医師の李さんに腕をかしたりした、みたいな記述でしめるところがさすがであった。

しかし、こういう感じの人間はいなくなったかもしれない。品格とエロスが同時に存在しているような人間である。これは「蒲団」のようなものの変形としてありうるのである。それは理念化すれば透谷の内部生命とか言わなくちゃならないのかも知れない。そのときある種の論理的流れが、文の連なりの奧にもう一つあるような文章がやはりすごいわけだが、――もうなかなかそういう書き手は少ない。

これに対して、とにかく表象を大事にしたいタイプが戦後では威張っていた。田辺聖子の「女王卑弥呼」なんかを読んだけど、けっこう読ませる。この「読ませる」というやつ、表象の力なのである。こういう場合、作家の思想はイデオロギー化しやすい。フェミニストの台頭には、こういう事情も不幸も孕んでいたところがある。

昨日からネットの一部では、大学の研究者は文系学部生に教育に向いてない、みたいな経済評論家の記事が話題になっていた。「大学の授業が退屈」みたいなイメージを使った、それってイメージですよね、みたいな文章であったが、――確かにそういうイメージは考えなくても出てくるものだとはいえ、現実にはそこには大学教師の個人的な「個」に対する無数の不満や異論や違和感や、あるいは学生の能力やなにやらが絡まり合っている。その絡まりは、大学の授業が退屈ではなく刺激的だと言っても当てはまってしまうような内実を持っている。もともと、教育の内実を観察すること自体が難しいのだ。自分が教育に向いていると思っている教師がいたらまだ学生かちょっと呆けてきたのかどちらかだ。

わたしは大学院に至るまでごく一部の演習を除いてたいがい授業というものは難しくて眠かったものもあったし、容易すぎて退屈だったものも多かった気もするのだが、――自分で行う授業は塾でも高校でも大学でも大概楽しい。わかったぞ、学生が授業をやればいいんだ。おれは向いてないから代わりにやればいいのではっ。ちなみにそれは反転授業などというつまらんものではない。そんな反転を行ったら学生たる俺がまた主導権を握って楽しく喋ってしまうではないか。

ちなみに、確かに大学の授業が一部つまらないことはたしかである。理由としては、――講義者本人がつまらない人間である。つまらない研究をしてるので面白くも何ともない。講義内容が端的に間違っている。何かに操られているとしかおもえない。俺の知らないことを喋っている(New)。受講生の精神と頭がエトセトラなど様々である。独創性を少しは目指す大学の授業だから、よけいそういう水準からみたつまらなさも発生するし、意味不明さも発生しよう。

で、そうだからといって、大学を道具として扱い、目的に従属させれば退屈でなくなるのか。しかし、語学学校や予備校、専門学校の授業は実用的な目的がはっきりしているから授業は退屈でなくなってるみたいな現実が果たしてあるのであろうか。一度、そういうところの教壇に立ってみてくれよ、当然だけどとっても大変に決まっている。教員としての知性とは何かみたいな問題だってそもそも解決済みの問題ではない。様々なひとが研究中なのである。教育に対する研究が難しいのは、不都合な側面を修正すること以上に、果たして普通運転の状態とされているものを維持出来るのかというものすごく手間のかかることを強いられるからだ。大学の教育だって本当はそうなのである。

戦前の世界だって、一応試行錯誤はあったのだ。先日、大澤絢子氏の『「修養」の日本近代』をざっと読んだ。修養には《宗教っぽいもの》からいろいろなものが修身などに対立して詰め込まれたが、これは案外教養教育に近い機能を持っているのかもれん。松下幸之助のなんとかとかがありがられたり、大企業の親玉が新興宗教に嵌まったりするのはそのせいであろう。教養教育、いや「修養」は実学なのだ。――思い切って大学の共通科目を「修養」とすれば、役に立つことやろうマインドと哲学宗教も知っとけマインドを結合出来るのではないだろうか。冗談です。

「見苦しく、最後を取り乱しぬ」蚯蚓たち

2022-11-09 20:24:47 | 文学


この子、大勢の中に畏まり、申し出すこそ、恐ろしけれ。
「私の親は、ともし油売りが、肌に金子八十両付けしを、この五年あとに切つて、それより手前よくなられし。 しかもその夕暮は、雨風のして、二月九日、虫出し神鳴、 ひびき渡りし」と、正々と語れば、おのおの、肩風して、この悴が顔を、 ながめし。
「いかにも 、その頃、亀が井の谷にて、油売りを闇打ち、 色々、御穿鑿、今にしれず」と、あつて過ぎたる事を、思ひおどろ合はせて駭きける。
  物に因果あり、その中に、その油売りが従弟ありて、この事を、聞きとがめ、「このままは、おかじ」と、俄に、親類を集め、内談するを聞きて、金太夫、たまりかね、科もなき女をさし殺し、己れも同じ枕の見ぐるしく、最後を取り乱しぬ。
 その分に済みて、悴子はたたずむかたもなく、その日は、 我が家にありしが、暮天に、行方見えずなりにき。今に、不思議の晴れざる事。


本朝二十不孝のなかでも盛り上がりの点で出色であるこの話。生まれた子は非常に賢く大人のようだったが行灯の油などを呑むのを好む異常さを持っていた。五歳の初袴の時、みんなのいる前で、自分はこの親が殺した油売りである、と告白した。これも驚きだが、「物に因果あり」、その油売りの従弟がその場にいあわせた。親戚連中を集め、このままでは済まさぬ、と相談したので、その親(金太夫)は、妻を殺し、自分も果てた。息子は行方知れずになった。

因果応報の話とは言っても、子が親の犯罪をしゃべり出すというところは一応親不孝の反転ではあり、応報には違いないのだが、語り手が「因果応報」だと言っているのはむしろ、初袴の場に殺された人間の親戚が混じっていたことだ。因果応報というのは、なんだか知らない因果が空中を跳んでいるのではない。人間関係の広がりの中に必ず応報の因が含まれているということであった。いまだってそうである。そういえば、インターネットは、その因果応報システムのをあからさまに顕在化した。キャンセルカルチャーとか罵倒の応酬みたいなのは、その現代版である。我々は群れの中で小競り合いをしている気味の悪い生き物に過ぎない。

我々は、そもそも自分たちの醜悪さ・不気味さを誤認している。もしかしたら誤認するために犬猫を飼ったりしているのではなかろうか。映画「イノセンス」は、人形は美しいのは当然として、動物と人間がどちらが見るに耐えうるのか、みたいな問を使っていた。その動物は主として「犬」であった。しかし押井守はやはり人間に対して優しい。なぜ犬ではなくほかの動物でないのか。押井の話が、人形と動物と人間を類似性の世界に閉じ込めたい欲望の話だからである。そういえば、漱石の猫は人間をあるべきところに毛がないまるで薬罐だみたいなこといってたが、薬罐は動かない。つるつるしていてくねくね動いているところは、我々は犬猫はむろん、猿というより蛇や蚯蚓に近い。まさにこいつらを不気味に思うのはフロイト的なウムハインリッヒの世界なのである。

ウィリアム・ブクローの美しい赤ん坊の絵を見ていたらそう思ったのだ。

遠くへ行きたい。どこでもいいから遠くへ行きたい。遠くへ行けるのは、天才だけだ。(寺山修司)


蚯蚓たる我々は飛行機などに乗って遠くにゆく。寺山の言いたいことはわかるのであるが、吉本隆明はこういうタイプにもっと絶望せよと言っておかないから、孤独になったぐらいで人間になったと勘違いする輩を多く生み出してしまった。

皆既月食

2022-11-08 20:17:32 | 日記


皆既日食である。

文芸上にて理想派と謂ふところのものは、人間の内部の生命を観察するの途に於て、極致を事実の上に具躰の形となすものなり。絶対的にアイデアなるものを研究するは形而上学の唯心論なれども、そのアイデアを事実の上に加ふるものは文芸上の理想派なり。ゆゑに文芸上にては殆どアイデアと称すべきものはあらざるなり、其の之あるは、理想家が暫らく人生と人生の事実的顕象を離れて、何物にか冥契する時に於てあるなり、然れども其は瞬間の冥契なり、若しこの瞬間にして連続したる瞬間ならしめば、詩人は既に詩人たらざるなり、必らず組織的学問を以て研究する哲学者になるなり。詩人豈に斯の如き者ならんや。
 瞬間の冥契とは何ぞ、インスピレーシヨン是なり、この瞬間の冥契ある者をインスパイアドされたる詩人とは云ふなり、而して吾人は、真正なる理想家なる者はこのインスパイアドされたる詩人の外には、之なきを信ぜんとする者なり。インスピレーシヨンを知らざる理想家もあらん、宗教の何たるを確認せざる理想家もあらん、然れども吾人は各種の理想家の中に就きて、斯の如きインスピレーシヨンを受けたる者を以て最醇最粋のものと信ぜんとするなり。インスピレーシヨンとは何ぞ、必らずしも宗教上の意味にて之を言ふにあらざるなり、一の宗教(組織として)あらざるもインスピレーシヨンは之あるなり。一の哲学なきもインスピレーシヨンは之あるなり、畢竟するにインスピレーシヨンとは宇宙の精神即ち神なるものよりして、人間の精神即ち内部の生命なるものに対する一種の感応に過ぎざるなり。吾人の之を感ずるは、電気の感応を感ずるが如きなり、斯の感応あらずして、曷んぞ純聖なる理想家あらんや。
 この感応は人間の内部の生命を再造する者なり、この感応は人間の内部の経験と内部の自覚とを再造する者なり。この感応によりて瞬時の間、人間の眼光はセンシユアル・ウオルドを離るゝなり、吾人が肉を離れ、実を忘れ、と言ひたるもの之に外ならざるなり、然れども夜遊病患者の如く「我」を忘れて立出るものにはあらざるなり、何処までも生命の眼を以て、超自然のものを観るなり。再造せられたる生命の眼を以て。


――「内部生命論」


今日は、授業で、北村透谷の「内部生命論」を説明したので、あれだな再造されたる生命の眼をもって日食をみる――、さすれば、瞬間の冥契によって、梅干しに見える。



月見団子がセンシュアル・ウォルドを離れて枝まで飛びました。

機械

2022-11-07 23:38:59 | 文学


「ウルトラセブン」でかなり後世に影響を与えたのはロボットの造形だろうと思う。もともとSFには非生物的なロボットと生物的化け物の緊張関係があったが、「ウルトラセブン」にはその緊張関係が生々しい。セブン自身はウルトラマンよりも器械的であるが、ちょんまげがナイフになって飛び回る以外は案外人間的な柔らかさをまだ持っていた。その一方で難くて強いロボットが出現して、セブン自身では倒せない。上のクレイジーゴンもキングジョーも人間の兵器と協力してやっと倒すことが出来た。

もし機関車さへしつかりしてゐれば、――それさへ機関車の自由にはならない。或機関手を或機関車へ乗らせるのは気まぐれな神々の意志によるのである。ただ大抵の機関車は兎に角全然さびはてるまで走ることを断念しない。あらゆる機関車の外見上の荘厳はそこにかがやいてゐるであらう。丁度油を塗つた鉄のやうに。……
 我々はいづれも機関車である。我々の仕事は空の中に煙や火花を投げあげる外はない。土手の下を歩いてゐる人々もこの煙や火花により、機関車の走つてゐるのを知るであらう。或はとうに走つて行つてしまつた機関車のあるのを知るであらう。煙や火花は電気機関車にすれば、ただその響きに置き換へても善い。「人は皆無、仕事は全部」といふフロオベエルの言葉はこのためにわたしを動かすのである。宗教家、芸術家、社会運動家、――あらゆる機関車は彼等の軌道により、必然にどこかへ突進しなければならぬ。もつと早く、――その外に彼らのすることはない。


――芥川龍之介「機関車を見ながら」


芥川龍之介はなんのつもりか、自分を蒸気機関車だと思っていた。むろんそこには自分でレールを敷けない絶望があった。しかし、ロボットや人工知能の発達はそのことすら忘れさせる。芥川龍之介はレールを自分で敷くためには死ぬしかなく、死ぬことによって生きることにしたのだが、それにしては、作品の方も生きている感じがする。これでは、死者としての生をいきることは出来ない。そこで、空しく生きることによって死者としての生を選択する連中が芥川龍之介以降現れる。むろん、あとには何にも残っていない。

超克論

2022-11-06 23:54:52 | 思想


思想そのものは実は「思い煩い」であり、袋路である。はてしなき迷路である。知識階級とは、この意味においては、永遠の懐疑の階級なのである。立命のためには知性そのものを超克しなくてはならぬ。知性を否定して端的に啓示そのものを受けいれねばならぬ。それは書物ではできない。その意味においては、弁証法的神学者がいうように、聖書でさえも啓示を語った書ではあるが、啓示そのものではないのである。
 かように書物と知性から離れて端的に神の啓示につくまでの人間超克の道程に読書があるのである。読書は無意義ではない。啓示を指さす指である。解脱への通路である。書を読んで終に書を離れるのが知識階級の真理探究の順路である。


――倉田百三「学生と書物」


こういう超克にはろくなことがない。実際には、書物を読むのをやめただけなのになにかが超克されたと思い込む。

諸井誠氏の『音楽の現代史』は高校生の頃だったか、出版された当時読んだ覚えがあるが、これはいま読むと案外難解な書であるように思われる。これは政治の現代史と現代音楽史をミックスさせたような時空に向かっている。諸井氏自身は「現代史の視点で、音楽と政治の関係を解き明かす」と言っているのだが、実際はちょっと違っている。諸井氏は、『交響曲名曲名盤100』の最後でも、ショスタコービチの「死者の歌」とメシアンの「トゥーランガリラ」を、死と生の関係としてとらえて、その間で交響曲が死んだ、みたいなことを書いていた。西洋音楽の精神が擬人化されている。文学でもこの時代は似たような文学史があるように思うが、学生時代の私の疑問は、こういう試みが何故に、音楽の擬人化に留まり、歴史の植物化、つまりシュペングラーみたいな感じにならないのかだった。

諸井氏自身は、親父譲りの西洋近代の超克的な意図を明らかに持った曲をかなり書いているようにおもえるが、西洋音楽を語るときには、日本の現代音楽の軸が抜けている場合が多かったのかも知れない。これは冷戦もてつだっていて、『音楽の現代史』は、着地点がソ連と米国の生み出したものの意味だったし、ひいてはあとがきでも「政治音痴は音楽家であっても許されない」みたいなことが書いてある。本の中ではそれほど単純化はされていないが、やはり政治というのが米ソの対立の観念に解消されている感は否めないところがあるとおもうのである。これは諸井氏に限ったことではない。この書は86年の冷戦末期に書かれていた。まだ、その対立が終わらないような気がしていた頃である。

で、この対立を所与のものとしてそれを越えようとすると、その観念そのものの全面的否定たる「近代の超克」が、ナショナリズムに接近しすぎる次第となる。そしてそのナショナリズムは対立を政治と考えていた事そのものを否定した、――政治の否定となりがちなのである。政治の否定とは単純に、国民の思考停止を意味する。上の「思い煩い」は本質的に政治にしかない。それを否定した地点が「超克」である。

最近は、ウクライナの件で、どうみても米ソの戦争が再発したこともあり、ますます、こういう対立を越えたいみたいな意識がそこここで出てきている。しかし、我々の「近代の超克」は、どうみても世界の思想を股にかけた怖ろしい知の巨人にしか出来ないことであって、実際は、島国の小国である。完全に素人の妄言だが、――我が国が戦争をはじめるというときに、常に、第二次世界大戦がそうであったように、途中で敵じゃなかったやつが敵になったりしても、相手が全く言うことを聞いてくれないような四面楚歌の状況を考えておく必要がある、と思う。つまり台湾やアメリカは本当に味方であり続けるのかというね。。。なぜ四面楚歌になりがちなのか、簡単に勝てると相手が思うからである。これはいまでも否定できない、我々の条件である。

中年の戦争

2022-11-05 23:26:35 | 文学


熊さんはある時、自分の仕事場の三宅坂の水揚ポンプの傍に、一本の草の芽が生えたのを見つけました。熊さんは朝晩その草の芽に水をやることを忘れませんでした。可愛いい芽は一日一日と育ってゆきました。青い丸爪のような葉が、日光のなかへ手をひろげたのは、それから間もないことでした。風が吹いても、倒れないように、熊さんは、竹の棒をたててやりました。
 だが、それがどんな植物なのか、熊さんにはてんで見当がつきませんでした。円い葉のつぎに三角の葉が出て、やがて茎の端に、触角のある蕾を持ちはじめました。
「や、おかしな花だぞ、これは、蕾に角が生えてら」
 つぎの日、熊さんが、三回目の水を揚げたポンプのところへやってくるとその草は、素晴らしい黄いろい花を咲かせて、太陽の方へ晴晴と向いているのでした。熊さんは、感心してその見事な花を眺めました。熊さんは、電車道に立っている電車のポイントマンを連れてきて、その花を見せました。
「え、どうです」
「なるほどね」ポイントマンも感心しました。
「だが、なんという花だろうね、車掌さん」熊さんはききました。
「日輪草さ」車掌さんが教えました。
「ほう、日輪草というだね」
「この花は、日盛りに咲いて、太陽が歩く方へついて廻るから日輪草って言うのさ」


――竹久夢二「日輪草」


村松梢風の息子で慶応の先生だった村松暎が、『文藝春秋デラックス』の古代七不思議の特集で、万里の長城をつくった中国人なのでソ連の厭がらせにかかわらず核兵器つくれた、みたいなこと書いていたのをおぼえている。国防の創意工夫の歴史性が違うんだよという理屈だとおもう。そういえば、ちょっと複雑な関係で、プロレス論の村松友視という人もいた。我々は、いつも、論理能力と事実を認める勇気と事務能力をほっぽらかして戦争をやったりするが、やはりそれは創意工夫の対極に暴力を置きがちだということが関係しているかも知れない。

創意工夫というのは、事務的・機械的な側面をもつものである。声優のせかいなんか、独特な非現実性を獲得しているのだが、感情的なものを喚起するものである。プロたちはすごく技術的な問題をクリアしているだけが、聞く方は異なっている。本来、しゃべり言葉というのはそんなに声色がはっきりしているものではないと思うのだ。そういえば、今日、萩原朔太郎展をみてきた。朔太郎の五〇代での朗読の録音が祝詞みたいな?棒読みで面白かった。我々はアニメ声優文化が浸透して声色使いすぎなのである。朔太郎の場合、詩の内容がもはや感情ではないので、その意味でも当たり前であるのだが。。。。これに比して、戦後の文化は明らかに「感情化」を進めたのである。暴力の代わりに。

この感情化は、表情にも現れていて、表情が感情を顕す際にはかならずずれがあるので、感情的な人間は非常に不気味な顔をしているものだ。菊池寛記念館は菊池寛の展示も面白いけど、芥川・直木賞の受賞者の顔写真のパネルが壮大に並んでて毎年追加されていっている。で、細と一緒に行ったとき、「芥川賞の人たちの顔悪くなってるよね」とかわたくしか細が言っていたが、西村賢太と宇佐見りん氏以外は、なんか喧嘩を売られているような感じがするのだ。

それはもしかして年齢の問題なのだろうか、と考えて菊池寛を確認すると、彼は友人の芥川などが若死にしてるから長生きのようにみえるんだけど、60に届いてないのだ。朔太郎も55歳であまりかわらない。

ジャーナリストの本質的な使命は、単にニュースを報伝するといふのでなく、筆説によつて時代を指導し、文化の新しい思潮を批判し、所謂「社会の木鐸」たる責務を果す事にある。

――萩原朔太郎「詩人とジャーナリスト」


朔太郎は五〇頃、大量に雑文的なものを生産していて、これが案外寿命を縮めているのかもしれない。昭和12年頃のことである。戦争が始まった頃、ジャーナリズムで活躍を強いられたのであった。誰かも言ってたと思うけど、京都学派は戦地にゆく若者のために屁理屈?をでっちあげた節がある。朔太郎だってその可能性はあると思う。日本浪曼派の世代が朔太郎を偶像化している部分があるのはそういうこともある。偉そうなリベラルたちは自分たちが死んでも革命に戦争を転化出来ればいいと思っている。おれたちを殺す気か、と。しかし、当時の「文壇」がそういう抑圧の中のいいひとたちばかりではあったとは限らない。

菊池寛の文藝春秋の創刊の辞かなんかに「自由に物をいえる場所をつくる」みたいな言葉があって、これはいわば文壇そのものが昔の2ちゃんねる的な性格を伴っていたことの証拠にもおもわれるのだ。戦時下のジャーナリズムの一部の文学者はある種の抑制を失っている。老年の知恵がいいとは言い切れないが、昭和10年代の菊池寛や朔太郎の時局への発言は、年長者の諭しにはみえず、青春時代の鬱屈を時代に乗じて晴らしている側面もあるだろうが、壮年の自信過剰な傲岸さすらある。結局、かれらは40、50になったばかりだったという感じがするわけで、昔だからと言って過剰に成熟を期待してはならない。

太陽に引かれてついて行ってしまうのは、体力を失いつつある中年である。

二つの塔

2022-11-04 23:19:36 | 文学


おれは泳ぎが出来ねえのだ。白状する。昔は少し泳げたのだが、狸も三十七になると、あちこちの筋が固くなつて、とても泳げやしないのだ。白状する。おれは三十七なんだ。お前とは実際、としが違ひすぎるのだ。年寄りを大事にしろ! 敬老の心掛けを忘れるな! あつぷ! ああ、お前はいい子だ、な、いい子だから、そのお前の持つてゐる櫂をこつちへ差しのべておくれ、おれはそれにつかまつて、あいたたた、何をするんだ、痛いぢやないか、櫂でおれの頭を殴りやがつて、よし、さうか、わかつた! お前はおれを殺す気だな、それでわかつた。」と狸もその死の直前に到つて、はじめて兎の悪計を見抜いたが、既におそかつた。
 ぽかん、ぽかん、と無慈悲の櫂が頭上に降る。狸は夕陽にきらきら輝く湖面に浮きつ沈みつ、
「あいたたた、あいたたた、ひどいぢやないか。おれは、お前にどんな悪い事をしたのだ。惚れたが悪いか。」と言つて、ぐつと沈んでそれつきり。


――「お伽草紙」


太宰のいやらしいところは、人(狸)の最期に際して「夕陽にきらきら輝く湖面」みたいなことを嬉しそうに書いてしまうところで、「走れメロス」でも何回かメロスの死が近づいたところで、美しい情景が作者の頭に来迎のように殺到する。太宰は書く主体ではない。死にかかって来迎の侵入を受けているのである。

心には二つの塔あり。

「楕円」とか二つの焦点が、とかバイナリーがーとか様々言われているが、いずれも心がなんとなく平面的に捉えられているのが不満である。塔の斜面を滑り落ちるものに対して我々は無神経であり。二つの塔から見える一つの像が主体と錯覚する。主体性の如きは外部や自分擬きとねじれたり密通しているのが当たり前なんで、自分の考えはどうでもよいんだよぼけっ、という主体性ぐらいがちょうどよい塩梅で主体的である。捨て身の体当たりというではないか。笠こ地蔵のお爺さんは、つい笠を地蔵に載っけてしまったのだ。たぶん地蔵が我々に似ていたからで、別に地蔵が生きていたからではない。そして、一つの塔からは地蔵が正月のご馳走などを運んでくる。もう一つの塔は寒すぎて凍っていたに違いない。

戦前の惨状からして、「命令」は確かに存在するものがおおいが、成果というものに関して言うと、国家を代表格としてほぼ嘘をついていると言ってよい。我が国は、何をやれたか、やったかに関して、源氏物語の主人公の浮気より不確かである。もっとも源氏物語が現実と混じりあってるように、現実も命令の浸潤をうけてる部分が風船のように膨らんでいる。頭の中で。こういう不安定な二項対立みたいなもののなかで生きている我々である。二項対立と見える物は、二つの塔であり、さまざまなファクトがその斜面を滑り降りて行く。そういう我々は、案外、数を数えるみたいなものに確かさを覚えていて、昨今の算数エビデンス主義みたいなのもそれかもしれない。

古典文学に現代的なものを見出すのはよくあることだしそれは古典文学に限らないのだが、いずれにせよ、どう現代語訳したらよいかわからず、どう解したらいいか不明な箇所が大量にありさまざまなことが分かってないことを無視できるならそれでもよいのだ。――いや、やはりそれは二つの塔を無視するこである。戦後の文学研究にだって、戦前への反省があって、古典に対して分かったような口をきくとえらいことになるという雰囲気があった。最近は一部で、一部の学校教育と結びついて分かったような口ぶりが復活している。

こういうときに、もう一つの塔を復活させようとして、思いつきに頼る人もいる。ツイッターなどが流行るのはそのせいである。一方の塔が、論理的に、つまり命令にしたがって嘘をつき続けている時に、条件反射や機械的なものに従ってしまおうというのである。AIもそういう意味で非常に刹那的な希望を表現している。「曰く、惚れたが悪いか。」は、ある意味でAI的なのである。

かかるときに、共同研究というのはそういう刹那的な希望に縋って思いつきで全精力をつかってしまうようなタイプが人の手を借りて5カ年計画でなんかできたよといういえるので便利である。しかし、――すなわち、そういう協同計画以外では案外放言野郎でおしまいになるということを意味しているのであった。かくいうわたくしが案外放言野郎になってきているのでよくわかる。で、ますます共同研究をやるにはふさわしくない訳わからんひとへと変化していくのであった。

竜に精ありて

2022-11-03 23:29:39 | 文学


この事、宿に帰り、親に語れば、「されば、人間は、欲に 限りなし。この上の願ひ、何かあるべし。平に止めよ」と、 様々異見せしに、却って、親に嘘をなし、己が一子に、武助といひし、十四になるを、引き連れて、かの淵に行きて、 次第を語り聞かせ、「我がごとく、取りならへ」と、親子とも、入りしに、最前の竜に精ありて、武助をくはへて、振るとみ えしを、かなしく、藻屑の下に、身を沈め、二人ともに、息絶えて、二十四時を過ぎて、骸の上がりけるにぞ、見る人、 親の恥なりと憎み、哀れと云ふ者なし。

川の中に漆の山を発見しもうけていた息子が、脅しのために竜の人間を川に浮かべていた。こんなに分かりやすい物体を置いておいて何にもなかったのだから、相当前から竜は「精」をもっていたのではないかと思う。いまでも、方便のためにつくった制度が人を抑圧するのはいつも起こっている。竜はいまでも実在する。

ところで、作品とは「竜」なのであろうか。それ自体で力をどの程度持つのか。古典の世界は傑作群が数珠つなぎになっているように一見みえるが、――たとえば、源氏物語が中心だったのかもしれないしそうでないのかもしれないが、我々が想像もつかないほど多くの物語や歌が読まれ大量消費され記憶されていると考えないと、あれほどの歌の洗練があるわけないと、わたくしの「経験」は告げる。源氏物語以降もたぶん、源氏がやってないことをいかにやれるか広範囲に二次創作的なことが大量に行われていないと、「夜の目覚」みたいな内容は考えにくいような気がする。孝標の女だけが現実の力を受け止めて差異化したとは思えない。

しかし、紫式部日記や更級日記だと案外、物語が理解できて学があるのは自分だけ、みたいな自意識も見えなくはない。平安時代にもあれかな、口に出すのも恥ずかしいライトライトノベルみたいなものがあるのか。あるいは、文字に書かなくても、性悪源氏物語ものをみんなで脳内創作していたのか。。。

和歌の世界はまだまだ勉強不足で苦手なんだが、一時期はやった「声に出して読みたい日本語」とは基本別物だと思う。むしろ口をついて出てきてしまうもので、これが、言い方は難しいがかなり本当に社交そのものに似ていた可能性があり、歌う歌にも似ていたと思う。しかし、わたくしはどちらかというと踏歌とか歌垣とそこから発展してしまった和歌の世界は別種のものと考えてみたいと思う。和歌の贈答は躍動感を抑制しているようなところがあるような気がするからだ。和歌から藤村の詩ようなものがでてくるのはそのためのような気がする。そしてそういう抑制に対する反発もつねにあって、現在もある。それは文学の集団性への反逆に対する反発である。

不孝というのは、個に対する集団性の反発が当然絡んでいる。不孝を詰るのが親ではなく、世間であるのはそのせいである。しかしこれは我々の意識上の反発であるから、実際行っている個の行為と集団の行為は、つねに反発というだけでは様相を片付けられないめちゃくちゃなものである。そして、作品自体の集団のあり方もそうなのである。

文学の問題としては、――すごく雑な言い方すると、古典も近代にも文学には集団性があってこその隠れた黙読の次元があって、それこそが重要なわけである。言葉の意味に接近する注釈は絶対に必要だが、それでいささかもよくわかるようになるとは限らないというのがおもしろさでもある。しかしこれが集団性の中におかれると面白さではなくなってしまうのが常である。しかもだからといって集団性を切り捨てると、黙読の次元そのものを失うのである。

赤い襟まき

2022-11-02 23:49:03 | 文学


ちょうど二年めの春であります。お花の姉が、病気にかかったので、お花は、田舎へ帰ることになりました。もう、そのころは、彼女は、東京のほうが、田舎よりもよかったので、帰るのをいやがりました。
「また都合がついて、出てこられるようになったらおいで。」と、家の人々は、お花の帰るのを惜しんだのでした。
 彼女は、ふたたび田舎の人となってしまった。その後、たよりがありません。東京の夏の空に赤い雲が、旗のようにただよって見えると、
「お花のえり巻きのような雲だね。」と、坊ちゃんがたは、空を仰いでいいました。
「ほんとうに、とんびがさらっていって、捨てていったのかもしれないよ。」
 赤いえり巻きのような雲は、高い煙突の上に、また光った塔の上に、風に吹かれて、ただよっていましたが、また、いつのまにか消えてしまいました。
 こうして、今年の夏も、暮れてゆくのでした。そして、北の方の田舎には、もう秋がきたのです。木枯らしが、海の上を吹き、野を吹き、林を吹きました。その時分になると、真っ赤ないすかが、どこからか飛んできて、木の枝にとまって鳴いたのです。
 もし、これをお花が、圃に出て見たなら、かならず、自分のなくなった赤いえり巻きを思い出し、東京の坊ちゃんたちのことを思い出したでありましょう。


――小川未明「赤いえり巻き」