伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

10分からはじめる「本質を考える」レッスン 親子で哲学対話

2024-08-18 20:17:51 | 人文・社会科学系
 哲学者である著者が、小学校高学年の娘と寝る前の10分間ベッドに寝転んですることにした哲学対話を紹介し、哲学対話を実践する意義と手法について述べた本。
 紹介されている対話の例を読むと、小学生が飾らない言葉で本質を突いた発言をしているのが微笑ましく、他方父親の方はそれを小難しくまとめようとしているのが苦々しく思えました。自分もまた子どもにこういう感じで対応していた(しかし自分自身は子どもによくわかるようにかみ砕いたつもりでいた)のかもと。
 対象が哲学でなくても、子どもと語り合う親密な時間というのは、著者もしみじみというように「宝物のような時間」(183ページなど)だと思います。私も、娘が小学生だった頃、寝る前の約1時間(10分では足りなくて)物語の読み聞かせ(寝かしつけ)をしていましたが、その頃の思いと考えが私のサイトの「女の子が楽しく読める読書ガイド」になって残っています(近年は更新していませんが)。著者の立場からは哲学を広め浸透させるための実践かも知れませんが、親子の大切な時間と関係を作る手段の1つとして読んでおいたらいいなと思います。


苫野一徳 大和書房 2024年5月30日発行
「教職研修」連載
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バロック美術 西洋文化の爛熟

2024-07-26 20:25:35 | 人文・社会科学系
 バロック美術についての解説書。
 バロック美術という言葉はよく耳にするのですが、どういうものを指しているのかよくわからずにいました。この本では、ポルトガル語で「歪んだ真珠」を意味するバローコに由来する、端正で調和の取れた古典主義に対して動的で劇的な様式を意味する、しかしバロックとは西洋の17世紀美術全般を指す時代概念でもあるとされ(はじめに)ルネサンスと啓蒙主義の間に位置する近代と前近代、科学と宗教が同居する矛盾した時代であったとされ、今ひとつ明確な定義というか概念がつかめない印象です。美術史的には、カラヴァッジョ、ルーベンス、ベルルーニ、ベラスケス、プッサン、レンブラント、フェルメールの時代ということで、そういうものとして理解しておけばいいということでしょうか。
 解説は時代や場所を追ってではなく、「聖」(キリスト教美術)、「光と陰」、「死」、「幻視と法悦」、「権力」、「永遠と瞬間」、「増殖」という7つのテーマを切り口としてなされています。私としては絵画論的な「光と陰」、「永遠と瞬間」のような解説が馴染み、作品自体よりも時代背景や聖堂・礼拝堂の由縁等に比重を置いた解説は今ひとつ読みにくくページが進みませんでした。通常目にしない壁画や天井画の画像をたくさん見れたことは収穫でしたが。
 光と陰を強調したカラヴァッジョの様式が多くの画家を惹きつけた背景に「強烈な明暗効果によってデッサン力が未熟であってもそれを糊塗して容易に情景を劇的に仕立てることができた」(64ページ)とされているのは目からウロコでした。


宮下規九朗 中公新書 2023年10月25日発行
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魔女狩りのヨーロッパ史

2024-07-03 00:53:59 | 人文・社会科学系
 15世紀~18世紀のヨーロッパでの魔女狩り/魔女裁判について検討し解説した本。
 魔女狩りが、社会の底辺層の嫌われ者・弱者に対して行われたのか、中流層以上の妬まれた者に対して行われたのか、魔女の告発は民衆が妬みであるいは信仰心や良心の痛みから行ったのか、支配層が権力を固めるために行ったのか、支配層・準支配層が政敵を陥れるために行ったのか、そのあたりの説明はいろいろで、シンプルな説明は難しいようです。「はじめに」でも「こうした活発な研究により、ヨーロッパの諸地域の魔女と魔女裁判のありようは徐々に解明されてきているが、全体から眺めるとまだ道半ばで、最終的な像を描くことはできていない」とされています。
 裁判の実例を紹介している第3章を読むと、自白至上主義と共犯者の自白(巻き込み自白)により、簡単に「有罪」とされるようすが、悲しくも情けない。しかし、自白や共犯者の自白が簡単にそして強固に信用されて有罪とされるのは、日本の刑事裁判でも見られることで、笑ってられない気がします。ヨーロッパでは18世紀初めには魔女狩りは終わったとされていますが、アフリカでは19世紀から20世紀にかけてリンチ殺人に近い魔女狩りが続き、今日でさえサハラ以南では天候不順や原因不明の死亡や事故、疫病に絡んで魔女狩りが頻繁に起きていると紹介されています(218~219ページ)。中世の迷妄などと言っていられないわけです(ヨーロッパでも魔女狩りの最盛期は中世ではなくルネサンス期だったわけですが)。簡単に人間の性と言ってしまいたくはないですが。


池上俊一 岩波新書 2024年3月19日発行
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実践!クリティカル・シンキング

2024-06-13 21:46:28 | 人文・社会科学系
 論理的思考力について考える本。
 表紙に「ある文章の中で行われている推論が、よい推論なのか、それともよくない推論なのかを『評価する』というクリティカル・シンキングの目的…」ということが書かれていて、私たち弁護士が(あるいは裁判官が)仕事がら行う証拠から認定すべき事実に至る推論(推認)の評価に役立つかもと期待して読みました。しかし、哲学や論理学上の概念(証拠は結論の「認識根拠」の理由なのだとか)や誤解を排除するための言葉の使い方などの説明が多く、論証する推論の評価の話は終盤でようやく出てきた(237ページあたりから)上に、疑わしい暗黙の前提をおくとか考慮に入れるべきことを見落とすとかの誤りに注意するなど、まぁ気をつけるべきことではあるけれどそりゃそうでしょうというところで、新発見ということは残念ながらなかったかなと思いました。


丹治信春 ちくま新書 2023年10月10日発行
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罪を犯した人々を支える 刑事司法と福祉のはざまで

2024-06-10 23:13:14 | 人文・社会科学系
 元家庭裁判所調査官として長らく少年(刑事)事件に取り組み、その後学者、社会福祉士となっている著者の立場から、現在の日本の刑事司法について検討しあるべき姿に向けて提言する本。
 「今の裁判は、関係者が寄ってたかって被告人に恥をかかせ、人格を貶めているようにしか見えない」(10ページ)というあたりに著者のスタンスが見え、その視点に清々しさを感じます。
 第1章の岡山地裁での刑事裁判傍聴、第2章の統計による刑事裁判の流れというか犯罪者の処遇・振り分けは、初心者には読むに値すると思いますが、著者の言いたいことは、第3章後半の刑事手続下にある人の「福祉ニーズ」と第4章の刑事手続きと被告人の刑事裁判後の更生に向けた社会福祉士の取り組み・活動にあると思います。実践の拡大も、それを弁護士が担いあるいはそこに弁護士が関わっていくことも、大変なことだとは思いますが。


藤原正範 岩波新書 2024年4月19日発行
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腐敗する「法の番人」 警察、検察、法務省、裁判所の正義を問う

2024-06-08 22:52:17 | 人文・社会科学系
 警察の利権、警察の利害に乗せられたあるいは翼賛するマスコミ、検察の奢りと組織の論理、矯正の実情、最高裁の行政との癒着、お上の意に沿わぬ判決を書く裁判官に対する処遇差別等を論じた本。
 権力組織の問題点を弾劾・断罪する論調は、私のような権力者嫌いの者には心地よく読めます。もっとも、裁判所批判の中で書記官・事務官・調査官らの労働条件が恵まれ、産休・育休等が充実していることを、利用者のことを第一に考えていないなどと批判しているくだり(187~192ページ)は、労働者の権利をやっかみ引きずり下ろそうとする、著者自身が使用者側に味方しているようなもので不快に思えました。
 学者さんが書いたものにしてはなのか、学者さんが書いたものだからなのか、書かれていることの多くが他人が書いたものからの引用で、業界人にとっては既にどこかで聞いたようなことが大半で、まぁ取りまとめてはいますがあまり新味は感じません。
 またどうしてだか報道で有名な固有名詞があえてイニシャルにしてあって、それが貫かれているならまだそういうポリシーかと思いますが、実名記載のものもありその基準もテキトーな気がして、ちょっと残念です(村木局長:なぜかこの本では村木局長は一貫して匿名、が逮捕・起訴された冤罪事件で証拠のフロッピーの作成日付を改ざんして実刑判決を受けた主任検事について、118ページでは「元主任検事は刑務所を出所後、社会で発生している事件の解説をインターネットで行い、閲覧者の関心を集めている」と匿名で書きながら、213ページにはその実名が書かれてるとか、著者の考えは私には理解できません)。


鮎川潤 平凡社新書 2024年2月15日発行

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同性婚と司法

2024-05-19 23:34:25 | 人文・社会科学系
 元最高裁判事の著者が、同性婚を認めていない現行法制度が憲法違反であることを論じた本。
 著者の問題意識は、「同性愛者同士が自己の性的指向を踏まえた恋愛、性愛に従って、永続的な精神的及び肉体的結合を目的として、真摯な意思をもって共同生活を営んでいるという同性婚状態にある場合であっても、婚姻によるかけがえのない個人の尊厳としての喜びを享受できないという深刻な不利益を甘受せざるを得ない」、これは個人としての尊厳が損なわれている、まさに憲法13条の幸福追求の権利が損なわれている深刻な状態というべき(8ページ)という点にあります。実に熱い語りです。
 著者はこれまでの同性婚を認めていないことの立法不作為の国家賠償請求に関する5つの地裁判決、アメリカの連邦最高裁判決、さらには日本の最高裁での議員定数や非嫡出子の相続分に関する違憲判決などを紹介し論じた上で、憲法第24条の「両性」は「当事者」、「夫婦」は「双方」と読み替えればよく、それが憲法の「文理解釈」としても許容される、それが無理なら憲法第24条第2項を類推適用することにより同性婚を認めていない現行法制度が憲法第24条に反し違憲であるとの結論を導くことができるとしています。生え抜きの裁判官にして元最高裁判事(現在は退官して弁護士)の主張としては大胆なものと言えるでしょう。
 ただ、保守派の伝統的価値観にそぐわないために法改正が進まず(頓挫し)法律婚による多数の利益を受けられない問題が継続している点で類似の状況にある夫婦別姓問題では、著者が2015年12月16日最高裁大法廷判決で、憲法違反の反対意見を書いた5人の裁判官に与することなく、夫婦別姓を認めない現行制度は憲法第13条にも第14条にも第24条にも違反しないという多数意見であったことと、同性婚についてのこの熱意の落差はどう考えればいいのか、この本では夫婦別姓には文字通り一言も触れられていないのでわかりませんが、ちょっと悩ましく思いました。


千葉勝美 岩波新書 2024年2月20日発行
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日本のコミュニケーションを診る 遠慮・建前・気疲れ社会

2024-05-06 22:23:47 | 人文・社会科学系
 イタリア人精神科医の著者が日本社会のコミュニケーションの特徴やその背景について論じた本。
 外国人の立場で日本社会・文化の西洋諸国との違いを論じるよくある類いの本です。その手の本は、基本的に著者が外国人であることを基礎として著者が育ってきた西欧社会ではというものの見方を売りにするはずですが、この本では核心をなす日本社会の特徴に関する記述の多くが、誰々の研究によれば…という自分以外の権威をベースに、しかも折々にステレオタイプの2分論に与するものではないがという趣旨のエクスキューズを置きながら、自分もこう思うというような書き方をしています。類書とは違うということを示したいとか、読者への忖度で自分は単純に決めつけるわけではないという姿勢を示したいとかの思惑があるのでしょうけど、私にはただペダンティックな文章が頭に入りにくく、また中途半端な印象が残りました。
 一番最後によりよいコミュニケーションのための五つのモットーとして、①他者に嫌われてもいい、②人に落ち込んでいる姿を見せてもいい、③自分の意見を言ってみよう、④目上の相手でも断っていい、⑤自分のユニークさに自信を持って、自分を苦しませない行動をとってみようを列挙しています(188~191ページ)。他人の研究等に依拠した(あるいは権威を借りた)文化論よりは、精神科医としての著者の経験をベースに日本の患者・若者の生きづらさを考察してそういった提言に結びつけた方がより実りのある説得的な本になったのではないかと、私は感じました。


パントー・フランチェスコ 光文社新書 2023年9月30日発行
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基本的人権の事件簿〔第7版〕 憲法の世界へ

2024-04-15 22:11:32 | 人文・社会科学系
 憲法学者の立場から、基本的人権に関わる裁判の事例を採り上げて、論評した本。
 採り上げられている判決は著名事件や近年報道されたものが多いので概ね知っているものでしたが、事例の紹介や問題意識が憲法学者の視点だとこうなるのだなという点で勉強になりました。
 主張されている権利を認めるべきだ、認めなかった裁判所の姿勢はおかしいと明言するものから、やや及び腰に疑問を呈するものなど程度の差はあれ、大半は権利主張をしている側に同調する見解が示されている中で、剣道受講拒否事件(エホバの証人信者による格闘技拒否:212~221ページ)と退職者の同業他社への就職問題(241~249ページ)については双方の意見を紹介して中立的な姿勢で「考えよう」「なかなか難しい」とし、検索結果削除請求事件(100~111ページ)だけは、権利主張に対して否定的な見解が示されています。それは共著なので執筆担当者の見解の問題なのか、問題の性質によるものなのか。労働者の退職・職業選択の自由と企業の営業の自由、忘れられる権利と検索事業者(Google)で、前者を擁護・支持するのではなく後者に忖度するというのでは憲法学者としてはどうよという気がしますが。


棟居快行、松井茂記、赤坂正浩、笹田栄司、常本照樹、市川正人
有斐閣選書 2024年1月30日発行(初版は1997年3月10日)
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紛争地の歩き方 現場で考える和解への道

2024-04-13 22:27:34 | 人文・社会科学系
 カンボジア、南アフリカ、インドネシア、アチェ、東ティモール、スリランカ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、キプロスでの内戦・独立運動・民族対立・独裁打倒などから和平に至った経緯、現在も武力紛争中のミャンマーでの和解への展望を、学生時代以来の現地訪問の経験を披露しながら語った本。
 それぞれのケースごとに対立構造、力関係、戦闘・紛争が終了した経緯・原因、武力紛争終了後の関係と実情はさまざまで、関係者の心中・心情も一様ではないことがわかります。国際政治の難しさ・非情さを学ぶのに適したテキストかと思います。
 しかし、この本で著者が何を言いたいのか、著者のスタンスは、私には今ひとつ理解できませんでした。武力紛争の解決はきれいごとでは済まない、加害者に対する制裁や真相究明など正義を求めていては和平などできない、一応の平和が保たれ殺し合いがなくなれば、また経済的によくなればそれでいいではないか、少数派なり弱者なり被害者が妥協譲歩するのはしかたないではないかということが端々に読み取れ、著者の意見はそういうことなのかと読めます。「弱者に支援を差し伸べることは紛争を長引かせる。紛争の早期終結を図るためには逆効果だ」「より多くの人が紛争の犠牲になることを間接的に助長する」(217ページ)といい、ミャンマーで選挙に圧勝した国民民主連盟が軍部から政権を奪取しようとしたことを「軍部を牽制する実力が存在しない条件で、軍部の意に反した行為を試みることはクーデターを挑発しているといっても過言ではない」(281ページ)といい、末尾でも「真実・和解委員会や特別法廷の試みは、希望の星となり得たであろうか。それとも煩悩の火に薪をくべただけだったか」(340ページ)と結ぶのはそのことを示していると思います。そう言い切るのであれば、それはそれで理解できます。私は支持はしませんが。ところが一方で著者はそれぞれのケースで正義が実現できたかを問い、大学時代の恩師から言われたという人間社会における少数派や社会的弱者が幸せでない社会は多数派にとっても幸せな社会だとはいえないという言葉を紹介し「この言葉が、紛争解決、平和構築、そして和解の鍵を握るのだと私は確信している」(219ページ)と述べたりもしています。終章で和解についての著者の考えをまとめているはずなのですが、そこでも私は結局著者がどう言いたいのかがよくわかりませんでした。それぞれのケース自体を学ぶ本だと割り切ればいいかと思いますが、読み物としてみると不満感があります。


上杉勇司 ちくま新書 2023年4月10日発行
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