伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

罪を犯した人々を支える 刑事司法と福祉のはざまで

2024-06-10 23:13:14 | 人文・社会科学系
 元家庭裁判所調査官として長らく少年(刑事)事件に取り組み、その後学者、社会福祉士となっている著者の立場から、現在の日本の刑事司法について検討しあるべき姿に向けて提言する本。
 「今の裁判は、関係者が寄ってたかって被告人に恥をかかせ、人格を貶めているようにしか見えない」(10ページ)というあたりに著者のスタンスが見え、その視点に清々しさを感じます。
 第1章の岡山地裁での刑事裁判傍聴、第2章の統計による刑事裁判の流れというか犯罪者の処遇・振り分けは、初心者には読むに値すると思いますが、著者の言いたいことは、第3章後半の刑事手続下にある人の「福祉ニーズ」と第4章の刑事手続きと被告人の刑事裁判後の更生に向けた社会福祉士の取り組み・活動にあると思います。実践の拡大も、それを弁護士が担いあるいはそこに弁護士が関わっていくことも、大変なことだとは思いますが。


藤原正範 岩波新書 2024年4月19日発行
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腐敗する「法の番人」 警察、検察、法務省、裁判所の正義を問う

2024-06-08 22:52:17 | 人文・社会科学系
 警察の利権、警察の利害に乗せられたあるいは翼賛するマスコミ、検察の奢りと組織の論理、矯正の実情、最高裁の行政との癒着、お上の意に沿わぬ判決を書く裁判官に対する処遇差別等を論じた本。
 権力組織の問題点を弾劾・断罪する論調は、私のような権力者嫌いの者には心地よく読めます。もっとも、裁判所批判の中で書記官・事務官・調査官らの労働条件が恵まれ、産休・育休等が充実していることを、利用者のことを第一に考えていないなどと批判しているくだり(187~192ページ)は、労働者の権利をやっかみ引きずり下ろそうとする、著者自身が使用者側に味方しているようなもので不快に思えました。
 学者さんが書いたものにしてはなのか、学者さんが書いたものだからなのか、書かれていることの多くが他人が書いたものからの引用で、業界人にとっては既にどこかで聞いたようなことが大半で、まぁ取りまとめてはいますがあまり新味は感じません。
 またどうしてだか報道で有名な固有名詞があえてイニシャルにしてあって、それが貫かれているならまだそういうポリシーかと思いますが、実名記載のものもありその基準もテキトーな気がして、ちょっと残念です(村木局長:なぜかこの本では村木局長は一貫して匿名、が逮捕・起訴された冤罪事件で証拠のフロッピーの作成日付を改ざんして実刑判決を受けた主任検事について、118ページでは「元主任検事は刑務所を出所後、社会で発生している事件の解説をインターネットで行い、閲覧者の関心を集めている」と匿名で書きながら、213ページにはその実名が書かれてるとか、著者の考えは私には理解できません)。


鮎川潤 平凡社新書 2024年2月15日発行

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同性婚と司法

2024-05-19 23:34:25 | 人文・社会科学系
 元最高裁判事の著者が、同性婚を認めていない現行法制度が憲法違反であることを論じた本。
 著者の問題意識は、「同性愛者同士が自己の性的指向を踏まえた恋愛、性愛に従って、永続的な精神的及び肉体的結合を目的として、真摯な意思をもって共同生活を営んでいるという同性婚状態にある場合であっても、婚姻によるかけがえのない個人の尊厳としての喜びを享受できないという深刻な不利益を甘受せざるを得ない」、これは個人としての尊厳が損なわれている、まさに憲法13条の幸福追求の権利が損なわれている深刻な状態というべき(8ページ)という点にあります。実に熱い語りです。
 著者はこれまでの同性婚を認めていないことの立法不作為の国家賠償請求に関する5つの地裁判決、アメリカの連邦最高裁判決、さらには日本の最高裁での議員定数や非嫡出子の相続分に関する違憲判決などを紹介し論じた上で、憲法第24条の「両性」は「当事者」、「夫婦」は「双方」と読み替えればよく、それが憲法の「文理解釈」としても許容される、それが無理なら憲法第24条第2項を類推適用することにより同性婚を認めていない現行法制度が憲法第24条に反し違憲であるとの結論を導くことができるとしています。生え抜きの裁判官にして元最高裁判事(現在は退官して弁護士)の主張としては大胆なものと言えるでしょう。
 ただ、保守派の伝統的価値観にそぐわないために法改正が進まず(頓挫し)法律婚による多数の利益を受けられない問題が継続している点で類似の状況にある夫婦別姓問題では、著者が2015年12月16日最高裁大法廷判決で、憲法違反の反対意見を書いた5人の裁判官に与することなく、夫婦別姓を認めない現行制度は憲法第13条にも第14条にも第24条にも違反しないという多数意見であったことと、同性婚についてのこの熱意の落差はどう考えればいいのか、この本では夫婦別姓には文字通り一言も触れられていないのでわかりませんが、ちょっと悩ましく思いました。


千葉勝美 岩波新書 2024年2月20日発行
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日本のコミュニケーションを診る 遠慮・建前・気疲れ社会

2024-05-06 22:23:47 | 人文・社会科学系
 イタリア人精神科医の著者が日本社会のコミュニケーションの特徴やその背景について論じた本。
 外国人の立場で日本社会・文化の西洋諸国との違いを論じるよくある類いの本です。その手の本は、基本的に著者が外国人であることを基礎として著者が育ってきた西欧社会ではというものの見方を売りにするはずですが、この本では核心をなす日本社会の特徴に関する記述の多くが、誰々の研究によれば…という自分以外の権威をベースに、しかも折々にステレオタイプの2分論に与するものではないがという趣旨のエクスキューズを置きながら、自分もこう思うというような書き方をしています。類書とは違うということを示したいとか、読者への忖度で自分は単純に決めつけるわけではないという姿勢を示したいとかの思惑があるのでしょうけど、私にはただペダンティックな文章が頭に入りにくく、また中途半端な印象が残りました。
 一番最後によりよいコミュニケーションのための五つのモットーとして、①他者に嫌われてもいい、②人に落ち込んでいる姿を見せてもいい、③自分の意見を言ってみよう、④目上の相手でも断っていい、⑤自分のユニークさに自信を持って、自分を苦しませない行動をとってみようを列挙しています(188~191ページ)。他人の研究等に依拠した(あるいは権威を借りた)文化論よりは、精神科医としての著者の経験をベースに日本の患者・若者の生きづらさを考察してそういった提言に結びつけた方がより実りのある説得的な本になったのではないかと、私は感じました。


パントー・フランチェスコ 光文社新書 2023年9月30日発行
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基本的人権の事件簿〔第7版〕 憲法の世界へ

2024-04-15 22:11:32 | 人文・社会科学系
 憲法学者の立場から、基本的人権に関わる裁判の事例を採り上げて、論評した本。
 採り上げられている判決は著名事件や近年報道されたものが多いので概ね知っているものでしたが、事例の紹介や問題意識が憲法学者の視点だとこうなるのだなという点で勉強になりました。
 主張されている権利を認めるべきだ、認めなかった裁判所の姿勢はおかしいと明言するものから、やや及び腰に疑問を呈するものなど程度の差はあれ、大半は権利主張をしている側に同調する見解が示されている中で、剣道受講拒否事件(エホバの証人信者による格闘技拒否:212~221ページ)と退職者の同業他社への就職問題(241~249ページ)については双方の意見を紹介して中立的な姿勢で「考えよう」「なかなか難しい」とし、検索結果削除請求事件(100~111ページ)だけは、権利主張に対して否定的な見解が示されています。それは共著なので執筆担当者の見解の問題なのか、問題の性質によるものなのか。労働者の退職・職業選択の自由と企業の営業の自由、忘れられる権利と検索事業者(Google)で、前者を擁護・支持するのではなく後者に忖度するというのでは憲法学者としてはどうよという気がしますが。


棟居快行、松井茂記、赤坂正浩、笹田栄司、常本照樹、市川正人
有斐閣選書 2024年1月30日発行(初版は1997年3月10日)
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紛争地の歩き方 現場で考える和解への道

2024-04-13 22:27:34 | 人文・社会科学系
 カンボジア、南アフリカ、インドネシア、アチェ、東ティモール、スリランカ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、キプロスでの内戦・独立運動・民族対立・独裁打倒などから和平に至った経緯、現在も武力紛争中のミャンマーでの和解への展望を、学生時代以来の現地訪問の経験を披露しながら語った本。
 それぞれのケースごとに対立構造、力関係、戦闘・紛争が終了した経緯・原因、武力紛争終了後の関係と実情はさまざまで、関係者の心中・心情も一様ではないことがわかります。国際政治の難しさ・非情さを学ぶのに適したテキストかと思います。
 しかし、この本で著者が何を言いたいのか、著者のスタンスは、私には今ひとつ理解できませんでした。武力紛争の解決はきれいごとでは済まない、加害者に対する制裁や真相究明など正義を求めていては和平などできない、一応の平和が保たれ殺し合いがなくなれば、また経済的によくなればそれでいいではないか、少数派なり弱者なり被害者が妥協譲歩するのはしかたないではないかということが端々に読み取れ、著者の意見はそういうことなのかと読めます。「弱者に支援を差し伸べることは紛争を長引かせる。紛争の早期終結を図るためには逆効果だ」「より多くの人が紛争の犠牲になることを間接的に助長する」(217ページ)といい、ミャンマーで選挙に圧勝した国民民主連盟が軍部から政権を奪取しようとしたことを「軍部を牽制する実力が存在しない条件で、軍部の意に反した行為を試みることはクーデターを挑発しているといっても過言ではない」(281ページ)といい、末尾でも「真実・和解委員会や特別法廷の試みは、希望の星となり得たであろうか。それとも煩悩の火に薪をくべただけだったか」(340ページ)と結ぶのはそのことを示していると思います。そう言い切るのであれば、それはそれで理解できます。私は支持はしませんが。ところが一方で著者はそれぞれのケースで正義が実現できたかを問い、大学時代の恩師から言われたという人間社会における少数派や社会的弱者が幸せでない社会は多数派にとっても幸せな社会だとはいえないという言葉を紹介し「この言葉が、紛争解決、平和構築、そして和解の鍵を握るのだと私は確信している」(219ページ)と述べたりもしています。終章で和解についての著者の考えをまとめているはずなのですが、そこでも私は結局著者がどう言いたいのかがよくわかりませんでした。それぞれのケース自体を学ぶ本だと割り切ればいいかと思いますが、読み物としてみると不満感があります。


上杉勇司 ちくま新書 2023年4月10日発行
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仕事と江戸時代 武士・町人・百姓はどう働いたか

2024-03-21 22:31:03 | 人文・社会科学系
 江戸時代の旗本・御家人、武家奉公人、経済官僚、家持町人・地借・店借、商家奉公人、奥女中奉公・下女奉公・遊女、百姓、運送業、漁業、鉱山労働などのさまざまな立場、業種での労働について取りまとめて解説した本。
 人に雇われて働く、それも長期間安定して働く「正社員」のような雇用形態が歴史的にはまだ新しいもので、江戸時代までは自営業者が中心であったということが基本になり、その中で短期雇用がなされた場面や例外的に集団的な雇用がなされてきた業種などを解説しています。
 江戸時代はまだ奉公人が主人を訴えることは許されず(正確には、主人が許せば訴えられるが、許すはずがない)(主人を相手どることは忠義に反するから許されない)、賃金未払いがあっても泣き寝入りせざるを得なかった(192~193ページ)のだとか。民事裁判も、民の権利を守るのではなく、強きを保護して権力者に都合のいい秩序を守るための制度だったわけですね。時代劇でよく見られる「越後屋」と悪代官が示し合わせている図が頭に浮かびます。
 そういった事情もあってか、奉公人の待遇は劣悪で、大店の「白木屋」(後の東急百貨店)でさえ「採用された奉公人の半数弱が病気により退店あるいは死亡している」(161ページ)状態だったとか。
 遊女奉公の身代金は、民間の下女奉公の給金相場と比べて格段に高いわけではないが、前金で一括してもらえるのでその身代金を受け取る者のために多くの女性が遊女にされ続けた(180~183ページ)というのも悲哀を感じさせます。
 いつの世も、富豪や特権階級のために虐げられ踏みつけられる労働者が多数いることをも、改めて感じました。


戸森麻衣子 ちくま新書 2023年12月10日発行
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百人一首 編纂がひらく小宇宙

2024-02-29 23:20:21 | 人文・社会科学系
 百人一首の成立とその後の受容、浸透の経緯、理由を考察する本。
 1951年に発見された101首の「百人秀歌」は藤原定家の撰であるが、これと97首まで同じ歌を選び1首を差し替え3人3首を削り歌の配列を入れ替えた上で、百人秀歌になかった承久の乱で島流しとなった後鳥羽院、順徳院の2首を加えて最後に置いた「百人一首」は定家の撰ではなく後世の改編であるが、古典のテキストとしてのコンパクトさ、詞書きがなく歌のみで一首ごとに分解できそれだけで味わえる便利さというスタイル、改編により歴史的な悲劇性などのインパクトが加えられたことにより幅広く受容されたという説明です。
 ほとんどが同じ歌でも定家の「百人秀歌」が古今集以来の勅撰集の手法を踏襲して歌自体の配列で流れを出しているのに対し、「百人一首」は歌人の関係、確執、生い立ち、境遇での連なりに、その時代の読者が思いをはせることを想定しているというのは、そんなの知らない私には思いもよらないことでしたが、そう説明されるとなるほどと思います。そうだとすると、謎の無名の改編者は平安時代の王朝、歌人の歴史と事情に通じたかなりの教養人だったのでしょうね。
 小倉山の山荘の襖に100枚の色紙として貼られていたというのは、現実にはあり得ず、室町時代に連歌師宗祇らが広めたものだろうというのです(185~186ページ)。
 百人一首のそれぞれの歌よりも全体というか流れを見るという視点が私には新鮮でした。そうであれば、この歌人のベストはこの歌じゃないだろうという疑問も氷解します。


田渕句美子 岩波新書 2024年1月19日発行


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キリストと性 西洋美術の想像力と多様性

2024-02-12 23:33:14 | 人文・社会科学系
 キリスト教における「性」の扱い、イエスとヨハネ、イエスとユダ、さらにはマリアとイエスの性関係の示唆、異性装、聖痕と女性器のアナロジー等について論じた本。
 「キリスト教は性をめぐって、わたしたちが思っているよりもはるかに多様で豊かな想像力を育んできたのではないか」という問題意識ですが、「それが顕著にみられるのは、正当とされた教義や神学のなかというよりも、異端として排除され、民衆のなかで生きつづけてきた信仰とそれに関する美術においてである」(はじめに)とされてしまうと、そりゃあ異端とか「キリスト教系」新興宗教なら性的にオープンというかフリーセックス系のものもあって当然じゃないかと思ってしまいます。本文でも、福音書の中にイエスとヨハネのBL関係を示唆する記述を探すような場面や絵画でもダ・ヴィンチやジョットー、デューラー、カラヴァッジョあたりの絵にそのような痕跡を探すところは興味深く読みましたが、文学作品や「作者不詳」の絵、さらには近年の映画(ジーザス・クライスト・スーパースターとか)に性的な傾向や逸脱を見ても「だから何?」と思えてしまいます。


岡田温司 岩波新書 2023年10月20日発行

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古代アメリカ文明 マヤ・アステカ・ナスカ・インカの実像

2024-02-11 20:05:14 | 人文・社会科学系
 中央アメリカのマヤ文明(紀元前1100年頃から16世紀)、アステカ王国(15~16世紀)、南アメリカのナスカ(地上絵は紀元前400年頃から)、インカ(14~16世紀)の諸文明について、それぞれを専門とする学者が近年の研究成果に基づいて紹介し意見を述べた本。
 あとがきで「本書は、メソアメリカのマヤとアステカ、アンデスのナスカとインカを一緒に解説して、実像に迫る日本初の新書である」と書かれています(312ページ)。学者さんの分担執筆ということもあり、それぞれの研究と関心に応じて書かれていて、入門的な通史の記述がされているわけでもなく、新発見に満ちてはいますが、この1冊で全体像をという本ではありません。
 これらの文明は、いわゆる四大河文明(エジプト=ナイル、メソポタミア=チグリス・ユーフラテス、インダス、黄河)とは異なり、乾燥した大河流域ではなく、大型家畜なく基本人力の、鉄器の利用もなく、アンデスでは文字もなく、高度な文明が誕生し、世界にトウモロコシ、ジャガイモなどをもたらしてその後の世界に食文化革命を起こしたもので、著者らはこれらの文明の人類史上の重要性を強調し、偏った世界史観の是正を求めています(あと、もっぱら征服者の文献に基づいた偏見やマスメディアのオカルト的な扱いへの苦言も)。
 四大河文明との違いを論じている場面で、例えばマヤ文明で「巨大な公共祭祀建築の建設・維持は、支配層の強制力によってのみなされたのではない」「王や貴族の指揮下、農民たちが農閑期に『お祭り』のような行事として、楽しみながら建設に携わったのだろう」(81ページ)と書かれていて、本当であれば興味深いところですが、そう判断する根拠の記載がないのが残念です。またアステカについて、征服者の資料に記載された生け贄の人数には誇張が含まれていたことが現在ではわかっているとして生け贄を過度に強調し続けることを戒めています(104~105ページなど)が、では最新の研究ではどうかということが書かれていないというのも残念です。
 マヤ文明のところで、遺跡が密林に分布している上あまりにも巨大すぎて地上を歩いても遺跡と判断できずライダー(航空レーザー測量)を導入して初めて遺跡が発見できた(67~72ページ)とか、ナスカの地上絵も近年新しいものが多数発見されている上ナスカ台地(約400平方キロメートル:東京23区の約3分の2って)全域を高解像度の航空写真を撮影したらあまりにも膨大で人間が見て判定作業ができないのでAIに地上絵を学習させて候補探しをして新たな地上絵を発見した(182~187ページ)など、遺跡・考古資料が新しく発見されている途上で、新たな知見、新たな評価がこれからまだまだありそうというところが、私には一番勉強になりました。


青山和夫編 井上幸孝、坂井正人、大平秀一著 講談社現代新書 2023年12月20日発行

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