50前後にして食品メーカーの常務に上り詰めていた芹澤が、部下の不祥事の処分の軽減をその妻珠美から求められて性関係を持ったことを契機に退職して、珠美との交際を続けながらぶらぶらと人生を考え、独身を通してきた人生を考え直すという小説。
東日本大震災後に流行った人との絆を求める作品群と同じ志向かなと思います。さすがに今さらそういう書き方もできないので、東日本大震災は描いてませんが、「こんなに揺れたのは、東北の大震災以来だ」なんていう地震も登場します(69ページ)し。学生のとき映画作りに邁進しながら医師になり50歳にして癌で死んだ親友、会社人間で出世してブラジルの関連会社の社長として海外出向中にヘリの事故で九死に一生を得て家族のために生きようと考え直す元仲間のエピソードを配することで、独身を貫きいつでも自分を差し出せる覚悟で仕事をしてきたからこそ出世できたと自負する芹澤の変化を引き出そうという趣向です。
しかし、その芹澤の人生観の形成に関しては、5歳の時に2歳年下の妹を亡くし、その時に「我が身の不運と力不足と両親への不信と祖母への怒りと、そして何よりも人間の死の理不尽さを痛切に感得した」「あのとき、私は、一足飛びにおとなになったのだと思う」という芹澤が、その後「この妹の死によって、もう二度と元に戻れなくなるだろう」と考え、私たちのいる世界を「子供のいない世界」=「子供の感情がわからなくなった人間たちがいる世界」と捉えていると紹介しながら、それが芹澤の一連の行動とはあまり結びつかず、小説の冒頭とラストでしかめつらしく観念されているだけなのが、何だかなぁと思えました。
芹澤と珠美の、1回Hしちゃったけど、その後はHしないままデートを重ねる関係というのも、ちょっといい感じにも思えますが、それが珠美自身が芹澤の元部下で、やはり芹澤の元部下の小堺の妻という設定では、小堺が2人の関係を知りつつも芹澤に感謝の意を表していると言われても/そう言われるとなおさらいやらしく感じるところもあり、あんまり爽やかには受け止めにくいところです。
冒頭の、小堺の不祥事。小堺が、勤務先の女性と不倫の関係を持ち、それに嫉妬したその女性の元夫が小堺が女性宅に置き忘れたノートパソコンから会社保有の顧客の個人情報を盗み出して流出させたというものですが、これに対して芹澤が考えた処分が懲戒解雇というのは、労働側の弁護士としては驚きです。主人公の常務の芹澤は懲戒解雇が当然と考え、「温情派でならす副社長」が降格を主張し、中を取って諭旨解雇(自主退職の形式を取る懲戒処分。退職金は支払うのが通例)にしたという設定ですが、従業員が意図的に顧客情報を漏洩したのならともかく、単にノートパソコンを置き忘れたレベルのミスで、その後会社に対して取り繕うためにノートパソコンを紛失した旨の虚偽報告をしたという点を併せても、懲戒解雇はもちろん、諭旨解雇だって無理だと思います。裁判になれば、会社側の敗訴は必至。経営者側では、それがわかっていても、裁判までする労働者はほとんどいないからやり得と考える者もいれば、会社側のこのレベルの感覚が正しいと思い込んでいる者もいます。経営者や世間一般の感覚がこのレベルでは、労働側弁護士には楽勝ですが、こういう本来無茶な理由での解雇が横行する中で、日本の裁判所の解雇基準は厳しすぎるなんて言う輩がいるから困りものです。
白石一文 新潮社 2015年9月30日発行
東日本大震災後に流行った人との絆を求める作品群と同じ志向かなと思います。さすがに今さらそういう書き方もできないので、東日本大震災は描いてませんが、「こんなに揺れたのは、東北の大震災以来だ」なんていう地震も登場します(69ページ)し。学生のとき映画作りに邁進しながら医師になり50歳にして癌で死んだ親友、会社人間で出世してブラジルの関連会社の社長として海外出向中にヘリの事故で九死に一生を得て家族のために生きようと考え直す元仲間のエピソードを配することで、独身を貫きいつでも自分を差し出せる覚悟で仕事をしてきたからこそ出世できたと自負する芹澤の変化を引き出そうという趣向です。
しかし、その芹澤の人生観の形成に関しては、5歳の時に2歳年下の妹を亡くし、その時に「我が身の不運と力不足と両親への不信と祖母への怒りと、そして何よりも人間の死の理不尽さを痛切に感得した」「あのとき、私は、一足飛びにおとなになったのだと思う」という芹澤が、その後「この妹の死によって、もう二度と元に戻れなくなるだろう」と考え、私たちのいる世界を「子供のいない世界」=「子供の感情がわからなくなった人間たちがいる世界」と捉えていると紹介しながら、それが芹澤の一連の行動とはあまり結びつかず、小説の冒頭とラストでしかめつらしく観念されているだけなのが、何だかなぁと思えました。
芹澤と珠美の、1回Hしちゃったけど、その後はHしないままデートを重ねる関係というのも、ちょっといい感じにも思えますが、それが珠美自身が芹澤の元部下で、やはり芹澤の元部下の小堺の妻という設定では、小堺が2人の関係を知りつつも芹澤に感謝の意を表していると言われても/そう言われるとなおさらいやらしく感じるところもあり、あんまり爽やかには受け止めにくいところです。
冒頭の、小堺の不祥事。小堺が、勤務先の女性と不倫の関係を持ち、それに嫉妬したその女性の元夫が小堺が女性宅に置き忘れたノートパソコンから会社保有の顧客の個人情報を盗み出して流出させたというものですが、これに対して芹澤が考えた処分が懲戒解雇というのは、労働側の弁護士としては驚きです。主人公の常務の芹澤は懲戒解雇が当然と考え、「温情派でならす副社長」が降格を主張し、中を取って諭旨解雇(自主退職の形式を取る懲戒処分。退職金は支払うのが通例)にしたという設定ですが、従業員が意図的に顧客情報を漏洩したのならともかく、単にノートパソコンを置き忘れたレベルのミスで、その後会社に対して取り繕うためにノートパソコンを紛失した旨の虚偽報告をしたという点を併せても、懲戒解雇はもちろん、諭旨解雇だって無理だと思います。裁判になれば、会社側の敗訴は必至。経営者側では、それがわかっていても、裁判までする労働者はほとんどいないからやり得と考える者もいれば、会社側のこのレベルの感覚が正しいと思い込んでいる者もいます。経営者や世間一般の感覚がこのレベルでは、労働側弁護士には楽勝ですが、こういう本来無茶な理由での解雇が横行する中で、日本の裁判所の解雇基準は厳しすぎるなんて言う輩がいるから困りものです。
白石一文 新潮社 2015年9月30日発行