なあむ

やどかり和尚の考えたこと

無常が迅速であればこそ

2011年03月06日 17時41分15秒 | 宿用院

  「無常迅速」

 無常の感じは若くてもわかるが

 迅速の感じは老年にならないと

 わからぬらしい    (倉田百三)

先日テレビで「年をとるにしたがって一日一年が短く感じられるのは何故か」というようなことを語っていました。その番組での答は、「人は初めての体験は長く感じるが、経験したことのある時間は短く感じる」というものでした。

たとえば、知らない道を行く時は長く感じるけれど、同じ道を帰る時には短く感じる。同じように、子どもの時は何でも初めての経験だから時間も長く感じるが、老人は日常が毎日の繰り返しなので短く感じるのだ、というのです。そうなのかもしれないと思いました。

しかし、もう一つ言えるとすれば、明日も今日と同じ一日が繰り返されると思うから、あっという間に過ぎてしまうのではないでしょうか。

もし命の期限がみえたなら、あだや今日一日をおろそかに過ごせるはずがありません。「それ」は明日かもしれません。

「無常」が本当に「迅速」であることが分かれば、老人だって一日は決して短くない、と思います。

明日の一日は、誰にとっても初めての経験なのですから。

寺報「なあむ」213号より


涅槃会

2011年02月16日 20時45分55秒 | 宿用院

20110216_202012 13日は宿用院の、昨日15日は松林寺の涅槃会(ねはんえ)でした。

涅槃会は、2月15日であるお釈迦様のご命日に、「涅槃図」を掛けて報恩感謝の法要をする仏教徒の大事なお勤めです。

どちらも、20名ほどの皆様と、お経を読み御詠歌を唱え、涅槃図のお話をしてお勤めしました。

違うのは「涅槃だんご」の配り方です。

宿用院では、お参りの皆様に袋入りの涅槃だんごを静かにお渡しするのですが、松林寺では例年、だんごを景気よく撒くのです。

節分とごっちゃになっているような気がしないでもないのですが、毎年大量のだんごを参詣者に向かって豪快に撒くのです。

年の数ほど拾うのがいい、などという言われ方もして、皆様必死になって拾います。

本堂中、着ているものも、粉で真っ白になりながら、大きな歓声を上げて大騒ぎをします。

おそらくは、雪に閉ざされた寒村の冬の娯楽の一つだったのではないかと思われます。

「昔は幻灯を見せてもらったっけな」などと懐かしむおばあちゃんの声などを聞くと、お涅槃の意味そのものよりも、お寺に集まって楽しむ機会を提供してきた意味の方が大きいのかと思います。それはそれで、お寺の大事な行事であったでしょう。

一年に一度、この時にしか拝めない「涅槃図」を来年こそは是非ご覧ください。宿用院の涅槃図も松林寺の涅槃図も、大変立派なものだと誇りに感じています。


坐禅会

2011年01月09日 23時18分18秒 | 宿用院

今朝は、宿用院今年最初の坐禅会でした。

宿用院に住職したての昭和61年10月に始めた月例の坐禅会。25年間続けて来られたのは不思議に思います。

基本的に毎月第2日曜日の朝6時30分から、坐禅を40分、経行(きんひん、歩く坐禅)をはさんで、講本の講読、今は中野東禅先生の『道元百話』を毎月1話ずつ読んでいます。

参禅者がいてくれるから自分も何とか坐れていると感謝しています。

それにしても、雪降りますね。

お寺が二つだと正月も二つあるという話をしましたが、雪の片付けも二つあり、体がきつくなってきました。夏の間の運動不足を解消して余りあります。


お寺の年末年始

2011年01月03日 20時56分31秒 | 宿用院

Photo 除夜の鐘のライトアップをしたところです。

宿用院では、私が住職したときから、大晦日11時30分より、30秒間隔で108声の鐘をついています。

つきに来てくれた方には、「除夜の鐘証」として、お札を差し上げています。

最初の3声をつくと、住職は本堂に入り、正月の祈祷が始まります。

約1時間かかって108声がつき終わり、ほどなく祈祷も終わります。

それから新春の酒盛りが始まり2時くらいにお開きになります。

終わると住職は松林寺に移動し(酒は呑んでいません)、松林寺で仮眠をして元朝祈祷をつとめます。

元朝祈祷の後は、松林寺新年会です。

「すまぶれ※」の男達としっかりと新年を祝い、途中で寝て明日にそなえます。

2日は、朝から宿用院に移動し、宿用院での正月祈祷、終わって新年会です。ここでもほぼいつものメンバーと最後まで新年を祝います。

3日は宿用院の総代、役員へ年賀の挨拶。

4日は松林寺地区の全戸お札配り。(お葬式もあります)

5日は役員お札配布と続きます。

これでなかなか正月も用事があるのです。

※「すまぶれ」については別項設けます。


寒い

2010年09月25日 15時27分22秒 | 宿用院

連日続いた雨が上がってみたら、涼しいのを通り越して寒くなってしまいました。
今日などは、よっぽど宿用院の火鉢を「開炉」しようかと思いました。
しかし、考えてみたらまだ9月だし、今から火を入れてもなぁと思い直し、グッと我慢しました。
宿用院では20年ほど前から火鉢を使っています。
冬のストーブの後先には非常に重宝します。
まだストーブを出すまででもない季節10月後半から、もうストーブをつけるほどでもない季節5月上旬に、ほのかな暖かさはホッとします。
自然に人は火鉢の周りに集まり、手をかざしながらニコニコします。
心の奥まで暖まる効果が火鉢にはあります。ストーブやエアコンには替えられない暖房器具です。
しかし今年の気候は異常ですね。
暑くも寒くもない、ちょうど良い気温はないのでしょうか。
猛暑を忘れて、暑さが恋しくさえ感じられます。


高野山と奈良

2010年09月15日 20時08分14秒 | 宿用院

高野山と奈良の旅は楽しかったです。
初めて訪れた高野山は、あの山の上に4000人が住む町なのだと聞いて驚きました。
その1割がお坊さんで、幼稚園小学校から大学まであり、ほとんどがお寺関係の仕事であることなどを知りました。
まさに、天空の仏教都市といったところでしょうか。
奥の院の弘法大師の御廟は、一種独特の雰囲気がただよい、永平寺の道元禅師の御廟である承陽殿と同じ空気を感じました。
奈良の各寺院は、遷都祭でそれぞれ御開帳などをしており、いい機会でした。
初めて訪れた秋篠寺、法華寺も良かった。
特に法華寺は、悲田院や施薬院などをつくって社会活動を行った光明皇后の寺で、その影響を受けたのが西大寺の叡尊上人で、その影響を受けたのがSVA創始者の有馬実成さんであることから、仏教社会活動の原点とも言える寺でした。
今回そのことが分かっただけでも行った甲斐がありました。
それから、それから、約束していた露の新治師匠とそのお友だちとも会って酒を酌み交わすことができ、満足して帰りました。
奈良はいつ行っても好きな場所です。


高野山と奈良へ

2010年09月11日 21時41分16秒 | 宿用院

明日から2泊3日で、高野山と奈良へ、宿用院の旅行です。
高野山は初めてですが、一度は行ってみたいと思っていました。
奈良は今年遷都1300年で賑わっているようです。セント君に会えるでしょうか。
今回は、奈良の中心部を避けて、周辺の寺院を回ろうと思っています。
室生寺、法華寺、秋篠寺、法隆寺、そして外せない唐招提寺です。
室生寺は五重塔の扉が開扉されているという噂ですし、唐招提寺は平成の大改修が終わっての公開なので、非常に楽しみです。
京都より断然奈良が好きなのですが、その中でも唐招提寺は好きですね。鑑真和上の熱意が今も生きているような感じがします。ここにはSVAの募金箱も置いてもらっています。
そして、奈良と言えば、松林寺にも宿用院にも来ていただいた落語家露の新治師匠がお住まいです。連絡したら宿まで来てくれることになりました。夜遅い時間になりそうなので、顔を見るだけということになりそうですが、これも楽しみです。
ということで、日常のことはすっかり忘れて行ってきま~す。


蛍節童女

2010年08月22日 20時58分49秒 | 宿用院

テレビではじめて「火垂るの墓」を観たのは今から20年ほど前でしょうか。

ストーリーの悲しさは、「ひまわり」や「砂の器」にも匹敵しました。

父を戦争で失い、母を病気で失った兄妹が、戦火の中でけなげに生きていく物語ですが、その妹、節子、の哀れさに胸が痛くなりました。

不憫で不憫で、しばらくは頭から離れませんでした。

池の畔で水に映った自分とあいこのじゃんけんを繰り返す節子。

栄養失調で下痢をする節子。

ドロップの缶に水を入れて味わう節子。

おはじきをドロップだと思ってなめながら死ぬ節子。

せつこーーー!

せつこーーー!

私は時折、節子の名前を呼んで涙を流します。

戦争で同じような思いをして亡くなったであろう多くの子どもたちのことを思い、代表して節子に戒名をつけました。

「蛍節童女」。

寺の法要や、永平寺や山寺に参拝した折りには、この戒名で供養を行ってきました。

明日は宿用院の夜の施食会です。また、供養をしようと思っています。

こどもたちに、あんな悲しい思いをさせてはなりません。

あゝ、それにしても、大阪のおきざりのこどもは・・・・


いろいろあります

2010年07月04日 17時17分28秒 | 宿用院

いろいろあります。
特派から帰って次の日はSVAの理事会でした。臨時理事会と海外事業部会、30周年記念事業委員会と、午前10時から午後6時まで連続の会議でした。頭も体も疲れました。
その疲れを癒そうと、最上町出身ママの店「どんぐり」にて慰労会。途中までは癒されたのですが、飲む量が一線を越えると新たな疲れの原因となります。
ようやくホテルにたどり着き、ゆっくり休もうと思っていると、明け方不幸の電話。これは、何日以内に5人の人に電話しないと不幸になるという電話ではなく、檀家さんが亡くなられたという意味。
疲れた頭と体のまま、予定より2本早い新幹線に飛び乗ったのですが、あいにくの土曜日で、さくらんぼ狩りか何かの観光客で満席。このまま3時間立ったままで帰る勇気がなく、断念して大宮駅で下車、待合室で2時間待って前日押さえたたった1席残っていた指定席で帰りました。
河北町の土建会社の講演を済ませてから枕経へ。
今日は法事3件と松林寺の梅花講恒例の講習会。夜に通夜というスケジュールです。
こうしてみると、かなりのハードスケジュールですね。
大変だと思えば大変ですが、あまりものを考えないと何とかなるものです。


中村ブン トリオ

2010年06月02日 18時13分57秒 | 宿用院

なあむご愛読のみなさま、「青春の痔」はお楽しみいただいたでしょうか。

バカな話をしているうちに、6月になってしまいました。

5月最終日曜日の30日、宿用院地蔵まつりが開催されました。

ゲストは、シンガーソングライター中村ブンさん。それに、ギタリストの箱守寿雄さん。そして、パントマイマーであり、サックス奏者であり、絵本「母さんの下駄」のイラストレーターであるパント末吉さんというお三方。

「涙と笑いのコンサート」と銘打ちましたが、まったくそのタイトル通りの内容でした。

中村ブンさんには、代表作である「母さんの下駄」をはじめとする感動の歌が何曲かあるのですが、他にも、聴く者を元気にする、応援歌のような歌も多いのです。

そして、トリオ漫才のような3人の組み合わせは、腹を抱えて大笑いするコンサートなのです。

来場者も、泣いたり笑ったりで大満足して帰られました。

終了後の羅漢クラブ打ち上げでは、サービス演奏もあり、夜中1時まで、延々と宴会が続きました。

もしかしたら、来年も別の形で河北町に来てくれることになるかもしれません。