なあむ

やどかり和尚の考えたこと

雪です

2010年03月29日 22時40分21秒 | 松林寺

松林寺に居ます。
間もなく4月だというのに一人前の雪が降っています。
どこかで柄にもないことをして「だから雪が降るんだよ」と言われている人が大勢いるのでしょうね。
本当に3月に入ってからの寒さは、誰かが特別にすごくいいことをしたとしか考えられません。
そのせいで、寒さに耐えている人には死活問題ですから、笑い事ではありません。
天候不順や自然災害なども、多くの場合、普段厳しい状況にある人に更に追い打ちをかけるように厳しくのしかかります。
だからといって、何か手を差し伸べることは容易なことではありません。でも、せめて、そういう人もいるだろうなということを、頭の片隅に浮かぶような思考を持ちたいと思います。
『文殊師利涅槃経』というお経に「もし生身の文殊に会わんと欲せば、慈悲心を起こせ、文殊菩薩がこの世に出現する時には、貧窮孤独の身となって現れるからである」という一節があるようです。
その言葉を掲げて、鎌倉時代の叡尊・忍性らの僧たちは、ハンセン病患者を風呂に入れて、「さあ、文殊様の背中を流してさしあげよう」という活動を行ったと聞いています。
仏教は、決して、着飾って床の間に据えられるような存在ではありません。
生身の人間とどう向き合うか、地べたに座り、あるいは這いつくばり、同じものを食べ、同じものを飲み、汗の臭いのする距離で肩を寄り添う、それも仏教の姿です。少なくともそうありたいと願っています。