なあむ

やどかり和尚の考えたこと

大震災85 国の中の国境線

2011年08月25日 20時22分45秒 | 東日本大震災

20110824_110359 昨日は南相馬の避難所、原発から23キロにある原町第2中学校での炊き出しでした。

南相馬市は、市内を原発から20キロ線、30キロ線が横切り、3分割されている市です。学校の生徒は全て30キロ圏外に通っていて、移転できる人たちはすでに移転していました。

以前気仙沼にボランティアとして入っていた旧知が、今はここで活動しています。その彼から、「避難者が、毎日毎日同じような弁当ばかりを食べていて、元気がない、何か希望の見いだせるような美味しいモノが食べられないだろうか」という要望が入って、今回の炊き出しになりました。

持っていったのは河北名物「冷たい肉そば」。近くの小学校避難所2箇所の分も合わせて150食。

「かほく冷たい肉そば研究会」と「河北町環境を考える会」の有志9名で出かけました。

大好評でした。

避難所のボランティアは、「避難者が食事をお代わりする光景を初めて見た」「これまで話をしながら食事をすることはなかった」「みんなニコニコしていた」「炊き出しのトップ3に入る」と絶賛でした。

急遽、市の災害対策本部にも配達しましたが、こちらでも好評でした。

命をつなぐ食事を、「楽しく食べる」、ということの意義の大きさを感じました。

できたらまた来たい、と、メンバーは心に誓いました。今度は芋煮を持って。

20110824_144310 炊き出し後、20キロの検問所近くまで出かけました。

「あれが国境線です」とボランティアは言いました。

冗談ではありませんでした。

その先は、人っ子一人すまない、日本国内の「国境」というべき、冷気を感じる境界でした。

一つの国の中に「国境」があることに戦慄を覚えました。

放射能汚染は、もちろん怖いこと。

誰が悪い、国は何をしているのだ、というご意見はもっともなことではあるが、だけど、今現在も、「そこ」で暮らしている人が居ることも事実。

そこで暮らす人のことを考えず、危険だから近づかない、ということは、見捨てることと同じでしょう。

自分の心の中に「国境」を作ってはならない。