8月に行われた板橋興宗禅師と服部料理学校服部幸應先生との対談の中で、服部先生が、日本国憲法作成に関わったアメリカ人から聞いた話として、「日本国憲法は、アメリカのある意図をもって作られた」という話をされました。
それは、その当時の日本国民は非常に人と人との連帯感、絆が強く、このままにしておくといつかまた戦争を起こしかねない、絆を弱めるように仕向けなければならない。という意図で、地域社会や家族のつながりよりも個を重視するように、個人の自由と権利を教育していくことにした。というような内容でした。
その「意図」の真偽はともかくとして、60年後の結果として、個人主義が強くなり、絆が弱くなってきたことは紛れもない事実です。
しかし、今回の震災で、外からの支援が来る前に地域の人々が助け合って生きてきた、共助としての「地域力」と、行列を作って支援物資を待つことのできる秩序と忍耐力、云わば「人間力」が、世界各国から「ありえない」と驚きを持って評価されたということは、これは我々日本人の特異性だというべきことでしょう。
どうして、日本民族はこのような「力」を身につけるに至ったのでしょうか。
専門家ではありませんが、色々考えてみるに、大陸や半島ではなく、島国という国の形、乾燥砂漠地帯と違う森林湿潤な環境、放牧と稲作の違いというようないろいろな条件が重なった結果かと思われます。
加えて、「和を以って貴しと為す」ということをこの国の憲法の第1条とした聖徳太子以来、この国の人々は個人の主張よりも他との調和を重んじてきた民族だと言えるでしょう。
その、太古よりの精神が、何世代にもわたって受け継がれ、DNAとして我々の命の中に確実に息づいているものと思われます。
それは、60年の戦後教育によっても揺らぐことなく生き続けてきました。
それが、いざという時にも現れたのが今回の震災だったのではないかと思えるのです。
そこで考えることは、日本人の「伝統の精神」とでも言うべき個よりも絆を大切にする心と、戦後に植え付けられた個の主張という教えが、世代間において断絶を起こし、またひとりの心の中においても、葛藤となっているのではないか、それがいろいろな面において、特に若い世代に歪となってあらわれてきているのではないか、という思いです。
例えば、競争原理の中で、個々の力をつけることによって国全体の底上げを図る、という考えがあります。しかし、本当にそれでいいのだろうか、競争といって仲間を出し抜くことが本当に目的なのだろうか、などと我々は悩んでいるのではないでしょうか。
他の民族が憎いからといって、国旗を焼いたり、卵をぶつけたり、テロを起こしたり、言葉汚く罵ったり、我々にはできません。
そういう行為が、強いことだとも、黙っていることが弱いことだとも思いません。
本当に強いのは、いざというときにも自分を見失わず、自分のことと同じように他のことを考えられる、共に痛みを分け合える、そういう人間ではないでしょうか。
日本人は本当に強い、と私は思います。
そのことに誇りをもって、我々の命に流れる精神に身をゆだねてもいいのではないか。
論理的に物事を捉える力も、知識も持ち合わせていないで、「絆」と「個人主義」を漠然と対立軸において考えてしまっている感じで、う~ん違うんだろうなと思いながら、何となく最近そんなことが頭に浮かんでいるのです。