なあむ

やどかり和尚の考えたこと

大震災117 大槌町の一周忌

2012年03月12日 14時52分15秒 | 東日本大震災

20120311_115223 昨日の一周忌は大槌町で迎えました。

11時、江岸寺さんの法要に参列しました。

亡くなられた方々の戒名を読み上げました。驚きました。

全ての戒名に「観音」の号がつけられています。「観音〇〇居士」「観音〇〇大姉」という具合です。

亡くなった方を観音様に見守っていただきたいという願いなのか、あるいは、観音様になって生き残った者を見守っていただきたという思いなのか、と考えながら次第に涙があふれてきました。

法要が終わってから方丈様にそのことをお聞きすると、津波で亡くなられた方に「波」などの文字は使えなかったし、でも、みんな一緒に亡くなったんだと分かるようにしたかった、と。

全ての精霊に「観音」の文字を与えられた方丈様の熱き思いを感じました。

その後吉里吉里の吉祥寺さんに伺い、午後には読経しながら浜を歩く「托鉢」に参加、2カ所の浜で慰霊法要に臨みました。

チラチラと小雪の舞う寒い日でした。

去年の今日、こんな寒い中でズブ濡れになった人はどれ程寒かっただろうか。

秋田から駆けつけた若い和尚さん方も加わって、粛々と黙々とお経を読む中、大勢の遺族の方々が海に向かって焼香と献花をされました。

仲間を失った消防団員の一行も真剣な表情で焼香されます。

お経を読む声が、寒さのせいばかりでなく震えました。

2時46分、サイレンを合図に全員が海に向かって合掌。

「黙祷」などのかけ声もありません。

挨拶も言葉も音楽もありません。何の説明がいりましょうか。

全員の心はみな同じでした。

静かに、被災者の皆様と一緒に、同じ時間を過ごせたことがありがたいと思いました。

被災遺族にとって、一周忌はイベントではありません。

タレントを使って、誰が主役か分からないような、大騒ぎをして、それが終わったらぱったりと冷めるような、それはおかしいでしょう。

生活は毎日のことです。一日何かをやれば済まされることではありません。

二年目は、これまで以上に発信し続けなければならないと思いました。

Dscn2378