なあむ

やどかり和尚の考えたこと

想い出の使い方

2012年07月10日 22時22分56秒 | ふと、考えた

「想い出」の唯一の効能は、人生の最期に、もう不可逆的な状態だと自ら覚った時に、楽しかった記憶を、繰り返し繰り返し反芻することで、穏やかにその時を迎えることができる、ということではないか。

人間は未来に希望を持てないことで絶望するのでしょう。

しかし、「未来は定まっていない以上、全ての絶望は、勘違いだ」との言葉があるように、まだ時間があるのに絶望してしまうのは早合点というものでしょう。

会社が倒産しようと、恋人と別れようと、重い病気に罹ろうと、残りの時間があるのなら、絶望するのはまだ早い、最後まで希望を持ち続けていかなければなりません。

が、しかし、人間には、どうにもならない、最期の最期の時間がやってくる。

もう元に戻ることはあり得ない、誰かと会話することも、手を握ることもできなくなったその時、残されているのはわずかな時間だと理解するに充分な状況のその時。

それは、数日、あるいは数時間かもしれない。

人間に残された、死を迎える恐怖から解放される力、それは、楽しかったことを思い出すことなのではないか、とふと思ったのです。

それ以外の時は、想い出なんか、時間つぶしにしかならない。過去の栄光を思い出すことで、未来が色あせて見えてしまうことにもなりかねません。

どんな時にも、過去を振り返えらず、残された未来を見つめて生きるべきでしょう。

楽しい想い出は、最期の時にとっておくのがよろしい。