なあむ

やどかり和尚の考えたこと

日本人と行列

2012年07月15日 06時34分46秒 | ふと、考えた

昨日東京での法事の席で、震災直後の避難所で行列に並んで支援物資を受け取っていた光景の話題になりました。

赴任でしばらくドイツに暮らしていた夫妻の話では、ドイツでも他のヨーロッパの国でも行列というのを見たことがない、とのこと。

中国を初めアジア各国もそうだし、おそらくは南米などもそうだろうという話になりました。

ということは、行列は日本固有の光景なのか。

海外の震災報道では、「ありえない」という感歎の声とともに、日本人の人間性を高く評価されたようですが、それはもしかしたら、日本人の道徳的性格もさりながら、日本人は「行列が好き」という特異性もあるのかと思いました。

何を待っているのか知らないけれど行列があればとりあえず並んでみる、などという笑い話のような事実があるほど、日本人は行列が好きなようだ。

みんながいいというものはいいのだろう。行列の長いラーメン屋ほど旨いに違いない。行列に並ばないと損をするかもしれない。あれだけ待ってありつけたのだからこれは旨いと思いこむ。

それは、価値判断を大衆に依存する、個の未成熟という側面であるかもしれません。

それは、マスコミを無防備に信じてしまう、あるいは利用されてしまうという問題もはらんでいることでしょう。風評被害や差別の温床でもあり得ます。

かといって、個の成熟が、我が儘勝手、他を顧みない自己主張になってしまっては元も子もありません。

日本人の道徳的な性格は失わずに、もう少し個の成熟があればいいのではないか。特に政治家を選ぶ上ではそのように思います。

行列を、道徳的という一面だけを見て評価することによって、個の成熟を抑えることにならないよう注意しなければなりません。


縦と横の絆

2012年07月15日 06時34分07秒 | ふと、考えた

「絆」という文字は「糸」が「半分」と書いて、一人ひとりの力は非常に弱く、頼りなく、儚いものだから、他の糸と撚り合わなければ生きていけないという意味なのだ、と今年の正月気仙沼の漁師さんから聞いた話を、法事の席などで時折しているのですが。

昨日もその話をしていながら気がつきました。

これまでは、撚り合わせていく「つながり」を家族とか社会とか、横の関係ばかりについて話をしてきましたが、先祖から子孫までという縦のつながりもあるはずではないか、と気づいたのです。

つまり、社会的なつながりを横軸とすれば、命のつながりを縦軸とする二次元的な「絆」が必要なのだろうということです。

縦糸と横糸が織りなされて人生が形成されるのであれば、横糸ばかりのつながりを強化しても人生が強靱になることはないでしょう。

先祖からいただいたものを強く意識し、また子孫への継承も強く意識することで、しっかりした人生が織りなされるに違いありません。

仏壇を祀り、掌を合わせることの意義も「絆」と意識したいものです。

縦横のつながりが希薄になってしまっているからこそ、災害によって気づかされる「人間にとって最も大切なもの」。

その気づきを一過性のブームに終わらせてはならないでしょう。まさか、「絆」が流行語大賞になったりしないように、気づいたものは継続していかなければなりません。