なあむ

やどかり和尚の考えたこと

微風旋風3「ゼロ」を生きる

2013年12月21日 11時04分42秒 | 微風旋風

毎日雨ばかりが続くと、カラッと晴れた青空を切望します。カラッと晴れ渡り暑い毎日が続くと、少しは雨が降ってくれることを願います。

酷暑が連続すれば早く涼しくならないかと思い、かといって肌寒くなれば暑かった日々を恋しく感じます。

お盆が過ぎれば今年の残された月日を数え、「今年もあと4か月か」などとため息をついて私たちは1年を過ごしています。

でもそれは、来年がまたやってくると思っているからですね。

来年が必ずやってくるなどという保証はどこにもないのに、なんとなくそう思っているから「今年も残すところあとわずか」などとのんきなことを考えてしまうのです。

雨が続いて夏が来るのを望み、暑い日が続いて秋を望むのも、梅雨も夏も来年またやってくると思っているからのことでしょう。余命半年の命には来年の夏も秋もありません。

「今」という季節を今生限りだと受け止めれば、雨も暑さも寒さも別の受け止め方ができるように思います。

加えて、過去の季節に心奪われ、未来の天候に気を病む必要はありません。

人との出会いも同じです。

過去の出来事にとらわれ、未来のつきあいを心配するのは無意味なことです。

常に「今」は、過去のゴールであり、未来のスタート地点。プラスでもマイナスでもないこのゼロの地点をどう生きるのか。

命は過去にも未来にもなく、今、ここにしかないのですから、それ以外の命題はありません。

禅の言葉に「前後裁断」があります。過去も未来も断ち切って、今を生き切ることを教えた言葉です。

誰しも過去の過ちを背負って生きています。

過ちは自分が犯した紛れもない事実ですから、そこから逃れることはできません。しかし、過去を背負った今ここがゼロ地点です。卑下することも自暴自棄になる必要もありません。

逆に、どれほど過去の実績があろうとも、今日の行いのマイナスが帳消しになるわけではありません。

雨の日は雨の中で、暑い日は暑い中で、過去や未来に逃避することなく、前後を裁断して、今をどう生きるか。

好時節到来。命に限りのあることを忘れずに今日を生きます。