なあむ

やどかり和尚の考えたこと

微風旋風4「心の柱を立てる」

2013年12月25日 19時37分46秒 | 微風旋風

3日から7日にかけて、私が松林寺とともに住職を務める山形県河北町の宿用院で、晋山式と授戒会が執り行われました。

晋山式は寺の住職の就任式で、宿用院では、この度私が退き、弟子が40世住職となりました。授戒会は、仏の戒律を守ることを誓うことにより、仏弟子の名前「戒名」を授かり、その証として「血脈」を頂く法要儀式です。キリスト教的に言えば(そう説明しなければならないのは残念ですが)「洗礼式」です。

宿用院の檀家を中心に170人が本堂で5日間の修行を積み、仏弟子としてのスタートを切りました。

3日目には、これまで犯してきた、自らも気づいていないほどの一切の罪科を全て懺悔する儀式があり、まるで一度母親の胎内に戻って生まれ変わる産道をイメージさせるような場面もありました。

宿用院では49年ぶりに挙行される法要でした。なかなか出会えない機会なので、参加した方にとっては勝縁だったと思います。

いずれの宗教にせよ、信仰を持つことはとても大事なことだと思います。

この国は、戦争の反省から宗教教育をタブー視して戦後教育を行ってきました。

国策として特定の宗教を教育するのは問題だとしても、戦前までごく普通の家庭や社会で行われてきた習俗としての宗教儀礼までも断絶させてしまったことは大きなマイナスだったと言わなければなりません。

昨年完成した東京スカイツリーは、日本古来の建築である五重の塔を参考にした「心柱制震構造」を採用しているのだとか。

あれだけの高さなのに、強い風が吹いても大きな揺れが来ても倒れないのは、中心に重心の掛る心柱があるからです。

人間にもそんな心柱があったらいいですね。それは信仰心でしょう。

信仰心は家庭や社会の習慣や儀礼から培われることが多いと思います。

人智を超えた大いなる存在に手を合わせる後ろ姿を見て育つことが、その一つでしょう。

将来に不安を感じざるを得ない現代の日本社会ですが、その原因として学校や政治に矛先を向けるばかりでなく、まずそれぞれの家庭から見詰め直してみることが肝要かと思うこの頃です。

(10月10日)