山形県最上町の松林寺は元和元(1615)年に開かれた寺で、明後年に400年を迎えますが、途中に火災に遭い、現在残っている過去帳は260年前の宝暦3(1753)年からのものです。
過去帳とは、亡くなられた檀家の方の戒名を年ごとに記録しているもので、その当時の時代背景が想像されます。
ページをめくっていると、奇妙なことに気づきました。年によって、死亡者が少ない年と極端に多い年があります。
中でも、宝暦6年には何と71霊の戒名が記載されていました。その前後の年が10霊ほどであることを考えれば驚異的な数です。
これは何かあったのではないかと思い、「最上町史」をひもといてみると、案の定、前年の宝暦5年は最上地域内全域で大凶作となり、飢餓状態になったことが記録に残っていました。
米が全く実らず、ワラビやフキの根っこを食べたと記録にはありました。更には、稲わらを細かく切って煮て臼でついて作る「藁餅」の製法などの資料もありました。
それでも飢えをしのぐことはできず、餓死する人が絶えなかったということなのでしょう。ほとんど毎日葬式をしていたような状態だったろうと思います。
「明日は誰が亡くなるのか」、まさに地獄絵図の様相ではなかったでしょうか。
その後も東北各地は、大凶作、凶作、不作を繰り返すような時代が続きます。
昭和の初めにも大凶作が襲い、当地では娘たちが売られ、「身売りの村」などという不名誉なレッテルを貼られたこともあったようです。
それでも、われわれの先祖はこの地で生き継いできたのだなと、感慨と敬意を覚えます。
同時に、今の暮らしの何と不遜なことかと思います。
毎日毎日3300万食分の食糧を捨てている国、日本。そのことをきっと空腹とともに後悔する日が来るような気がしてなりません。
われわれは先祖の貯金を食いつぶして、子孫に借金だけを残す時代の人なのでしょうか。なんと情けない、なんと申し訳ない。
先祖の苦労に敬意を感じなければ、今ある生活に何のありがたさも喜びも感じることはできないでしょう。
概して幸せを実感することはかなわない。実にもったいないことです。
(11月7日)