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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
10月1日日曜日。
もう10月ですよ。
朝晩はめっきり肌寒くというか、本当に寒くなりました。
ストーブが頭に浮かんだり、庭木のことが気になったりしています。
まだ冬支度は早いはずですが、気温に応じて頭が自動的に考えてしまうことなのでしょう。
世界の情勢も国内の情勢もよろしくありませんね。
国政に、落ち着いた安定を望む気持ちはあるのですが、安定に乗じて何をやってもいいというような勘違いをされてしまわれるのは困ります。
ある程度の反対勢力があり、緊張感とバランスを保ちながらより良き道を選択する政治が望まれます。
北の動きについても気になることがあります。
他国の意見を全く聞かず、どんどん軍備増強を進めるのには困ったものですが、かといって、その国を戦争でつぶしてしまえというような空気には怖さを感じます。
戦争になれば、互いの兵士が犠牲になるばかりか、かの国だけではなく近隣諸国にも火の粉が及び、一般市民が巻き添えを食うことも避けられないと思われます。
もちろん、最も多くの死者を出すのはかの国となるでしょう。
そのことを、何となく「しかたない」あるいは、「当然だ」「やってしまえ」的な雰囲気になってきていることに寒気がするのです。
それとも、かの国の人々の死はとるに足らないものという考えなのでしょうか。
また、「斬首作戦」などという恐ろし気な言葉がテレビの報道番組で平気で使われています。
この作戦、これまでイラクのフセイン大統領、アルカイダのビンラディンに対してとられた作戦だと聞きました。
果たしてその作戦の後、平和で安定した社会が構築されたでしょうか。
むしろISなどの台頭を促し、かえって複雑な情勢を生んできたのではないでしょうか。
首謀者一人の命を奪うことで多くの人の命が助かるならばその方がいい、それが正義だというような響きに聞こえす。
しかし、「斬首」とは文字通り首を切る、命を奪うことで、人を殺すことを何の違和感もなく、正義の如くに語られること自体に異常さを感じます。
「殺すなかれ、殺させるなかれ」の仏教徒として疑義を感じざるを得ません。
どんな極悪非道の人だとしても、その命を奪うということには仏教徒として異を唱えていかなければならないと思います。
少なくとも、嬉々として賛成するような考え方には与(くみ)したくありません。
ああ言えばこう言う、というような子どもの喧嘩ではないのですから、もっと冷静に、智慧を使った解決方法を探るべきですし、そのようにアドバイスする人がいて欲しいと思います。
そのあたりが仏教徒の出番かと思うのですが、特にその業界からは何の発言もないようです。
一人一人の心の静けさを目指す社会、慈悲心で包まれるような社会の実現を願います。
それは、一人から始めなければ動き出しません。
相手の荒々しい心に対抗して自分も攻撃的になれば、荒々しい心だけが広まってしまいます。
攻撃的な人に対して慈悲心をもって向かう人になりたいと思います。
慈悲の社会化を目指します。
そんな為政者の出現を待望します。
(追加)
あ、そうか、慈悲心の大きい人は政治家になれないのか。
しかたないですね。
一般市民が何とかするしかありません。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
10月1日日曜日。
もう10月ですよ。
朝晩はめっきり肌寒くというか、本当に寒くなりました。
ストーブが頭に浮かんだり、庭木のことが気になったりしています。
まだ冬支度は早いはずですが、気温に応じて頭が自動的に考えてしまうことなのでしょう。
世界の情勢も国内の情勢もよろしくありませんね。
国政に、落ち着いた安定を望む気持ちはあるのですが、安定に乗じて何をやってもいいというような勘違いをされてしまわれるのは困ります。
ある程度の反対勢力があり、緊張感とバランスを保ちながらより良き道を選択する政治が望まれます。
北の動きについても気になることがあります。
他国の意見を全く聞かず、どんどん軍備増強を進めるのには困ったものですが、かといって、その国を戦争でつぶしてしまえというような空気には怖さを感じます。
戦争になれば、互いの兵士が犠牲になるばかりか、かの国だけではなく近隣諸国にも火の粉が及び、一般市民が巻き添えを食うことも避けられないと思われます。
もちろん、最も多くの死者を出すのはかの国となるでしょう。
そのことを、何となく「しかたない」あるいは、「当然だ」「やってしまえ」的な雰囲気になってきていることに寒気がするのです。
それとも、かの国の人々の死はとるに足らないものという考えなのでしょうか。
また、「斬首作戦」などという恐ろし気な言葉がテレビの報道番組で平気で使われています。
この作戦、これまでイラクのフセイン大統領、アルカイダのビンラディンに対してとられた作戦だと聞きました。
果たしてその作戦の後、平和で安定した社会が構築されたでしょうか。
むしろISなどの台頭を促し、かえって複雑な情勢を生んできたのではないでしょうか。
首謀者一人の命を奪うことで多くの人の命が助かるならばその方がいい、それが正義だというような響きに聞こえす。
しかし、「斬首」とは文字通り首を切る、命を奪うことで、人を殺すことを何の違和感もなく、正義の如くに語られること自体に異常さを感じます。
「殺すなかれ、殺させるなかれ」の仏教徒として疑義を感じざるを得ません。
どんな極悪非道の人だとしても、その命を奪うということには仏教徒として異を唱えていかなければならないと思います。
少なくとも、嬉々として賛成するような考え方には与(くみ)したくありません。
ああ言えばこう言う、というような子どもの喧嘩ではないのですから、もっと冷静に、智慧を使った解決方法を探るべきですし、そのようにアドバイスする人がいて欲しいと思います。
そのあたりが仏教徒の出番かと思うのですが、特にその業界からは何の発言もないようです。
一人一人の心の静けさを目指す社会、慈悲心で包まれるような社会の実現を願います。
それは、一人から始めなければ動き出しません。
相手の荒々しい心に対抗して自分も攻撃的になれば、荒々しい心だけが広まってしまいます。
攻撃的な人に対して慈悲心をもって向かう人になりたいと思います。
慈悲の社会化を目指します。
そんな為政者の出現を待望します。
(追加)
あ、そうか、慈悲心の大きい人は政治家になれないのか。
しかたないですね。
一般市民が何とかするしかありません。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。