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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
10月8日日曜日。
9月の初めにもちょっと触れましたが、9月の新学期に子どもたちの自殺が増える傾向にあるということで、関連の情報が流れていました。
今年はどうだったのか、気になっています。
クラスの中で仲間外れになる、無視されるというのは、子どもにとって世界の終りのような恐怖を感じることではないかと想像されます。
大人とは違う、思春期には思春期なりの悩みや苦しみがあるでしょう。
大人もみんな経験してきたことながら、今は正確に思い出すことができません。
もし今思春期の真っただ中で苦しんでいるのなら、申し上げたい。
今はとても苦しく、生きていることが辛いと感じていても、大人になればそのことを忘れてしまうことでもあるんだということ。
今の苦しみが一生涯続くということもないんだということ。
今は将来を考えることができないのだとしても、何とか耐えて、生き延びていけば、大人になって笑って振り返ることもできるかもしれないんだということ。
徒党を組みたがるのは、自分の判断や自分の意思を誰かに委ねたい自信のなさから生まれるものと思います。
横断歩道をみんなで渡れば怖くない的な無責任さです。
前を歩く誰かの判断あるいは集団心理で、自分の意志と反してとんでもないところに向かってしまうこともあるでしょう。
それは自分の意思を誤魔化すことにもなり、やがて自分を苦しめるだけです。
それならば一人の方がいいです。
でも、自分の意志というものが自分で分からないというのも思春期の心の状態かもしれませんね。
悩むのは思春期の証明みたいなものですから、大いに悩んだらいいと思います。
悩みこそが大人の入り口で、悩みが大きいほど大きな大人になれるでしょう。
人間は結局一人なのです。
絆だつながりだというのは、逆に言えば一人ひとりバラバラだからこそ、どこかでつながっていようねという意味だし、付かず離れずというのが大人の人間関係、「人の間」ということでしょう。
そこには、折り合いや妥協がつきもので、結局は「自分が大事」というのが基本です。
みんながそうだからこそ、相手を尊重しなければならないのですが、自分が大事と相手の尊重の間でせめぎ合いをしたりするのです。
多くの人と関係を築けば築くほど、折り合いや妥協が必要なわけで、そればかりでは疲れてしまいます。
だから、そういう人は自分が妥協するのではなく、相手に妥協させる人でもあります。
当然嫌われもするでしょうが、それを怖く思わない人です。
そういう人もいれば、ごく限られた人とだけ関係をもち、なるべく妥協もせず嫌われもせずに生きていこうとする人もいます。
どちらも自分に合った楽な生き方をしているのであり、誰かに批判される筋合いではありません。
人は一人でも生きていけます。
無理に好かれる必要はありません。
あなたが嫌いな人はきっとあなたをも嫌いです。
嫌いな人から嫌われるのは怖いことではありません。
静かに離れて行ってくれることを願うだけです。
ただ、大人も年齢を重ねていくと、折り合いや妥協など、煩わしいことからは遠ざかりたくなります。
人間関係のしがらみに左右されるよりも、一人気ままに自由であることの方を優先したくなります。
仲間だとかグループみたいなものは、どうでもよくなります。
孤独であることを怖いと思っていたことが嘘のように、孤独を快感と思うことがあります。
それは一人死んでいくことの準備なのかもしれません。
それほど好きな人もいませんし、必要な時にだけ会えば十分な人ばかりです。
それで何の不都合もありません。
親が全てであった赤ん坊のころ、親を離れ仲間グループが全てになりそこから離れることを何よりの怖さだと感じていた青春時代、そして、次第に一人に慣れていく、それは自然の流れなのかとも思います。
山を見、風を聞き、孤独に耐え孤独を楽しみながら、たまに顔を見せる人との会話を楽しむ。それもいいじゃないですか。
そんな良寛さんのような心境の年齢になってきました。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
10月8日日曜日。
9月の初めにもちょっと触れましたが、9月の新学期に子どもたちの自殺が増える傾向にあるということで、関連の情報が流れていました。
今年はどうだったのか、気になっています。
クラスの中で仲間外れになる、無視されるというのは、子どもにとって世界の終りのような恐怖を感じることではないかと想像されます。
大人とは違う、思春期には思春期なりの悩みや苦しみがあるでしょう。
大人もみんな経験してきたことながら、今は正確に思い出すことができません。
もし今思春期の真っただ中で苦しんでいるのなら、申し上げたい。
今はとても苦しく、生きていることが辛いと感じていても、大人になればそのことを忘れてしまうことでもあるんだということ。
今の苦しみが一生涯続くということもないんだということ。
今は将来を考えることができないのだとしても、何とか耐えて、生き延びていけば、大人になって笑って振り返ることもできるかもしれないんだということ。
徒党を組みたがるのは、自分の判断や自分の意思を誰かに委ねたい自信のなさから生まれるものと思います。
横断歩道をみんなで渡れば怖くない的な無責任さです。
前を歩く誰かの判断あるいは集団心理で、自分の意志と反してとんでもないところに向かってしまうこともあるでしょう。
それは自分の意思を誤魔化すことにもなり、やがて自分を苦しめるだけです。
それならば一人の方がいいです。
でも、自分の意志というものが自分で分からないというのも思春期の心の状態かもしれませんね。
悩むのは思春期の証明みたいなものですから、大いに悩んだらいいと思います。
悩みこそが大人の入り口で、悩みが大きいほど大きな大人になれるでしょう。
人間は結局一人なのです。
絆だつながりだというのは、逆に言えば一人ひとりバラバラだからこそ、どこかでつながっていようねという意味だし、付かず離れずというのが大人の人間関係、「人の間」ということでしょう。
そこには、折り合いや妥協がつきもので、結局は「自分が大事」というのが基本です。
みんながそうだからこそ、相手を尊重しなければならないのですが、自分が大事と相手の尊重の間でせめぎ合いをしたりするのです。
多くの人と関係を築けば築くほど、折り合いや妥協が必要なわけで、そればかりでは疲れてしまいます。
だから、そういう人は自分が妥協するのではなく、相手に妥協させる人でもあります。
当然嫌われもするでしょうが、それを怖く思わない人です。
そういう人もいれば、ごく限られた人とだけ関係をもち、なるべく妥協もせず嫌われもせずに生きていこうとする人もいます。
どちらも自分に合った楽な生き方をしているのであり、誰かに批判される筋合いではありません。
人は一人でも生きていけます。
無理に好かれる必要はありません。
あなたが嫌いな人はきっとあなたをも嫌いです。
嫌いな人から嫌われるのは怖いことではありません。
静かに離れて行ってくれることを願うだけです。
ただ、大人も年齢を重ねていくと、折り合いや妥協など、煩わしいことからは遠ざかりたくなります。
人間関係のしがらみに左右されるよりも、一人気ままに自由であることの方を優先したくなります。
仲間だとかグループみたいなものは、どうでもよくなります。
孤独であることを怖いと思っていたことが嘘のように、孤独を快感と思うことがあります。
それは一人死んでいくことの準備なのかもしれません。
それほど好きな人もいませんし、必要な時にだけ会えば十分な人ばかりです。
それで何の不都合もありません。
親が全てであった赤ん坊のころ、親を離れ仲間グループが全てになりそこから離れることを何よりの怖さだと感じていた青春時代、そして、次第に一人に慣れていく、それは自然の流れなのかとも思います。
山を見、風を聞き、孤独に耐え孤独を楽しみながら、たまに顔を見せる人との会話を楽しむ。それもいいじゃないですか。
そんな良寛さんのような心境の年齢になってきました。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
