なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ166

2018年07月08日 04時35分44秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

7月8日、日曜日です。

「40過ぎたら自分の顔に責任をもたなくてはならない」とは、第16代アメリカ大統領エイブラハム・リンカーンの言葉です。
どんな時にこの言葉が発せられたのか、その経緯はこうです。
周囲からある人物を閣僚に取り上げたらどうかと推薦されたリンカーンは、面接した後その人を採用しませんでした。
後日その理由を問われた時リンカーンは「彼は顔がよくない」と。
そして言われたのが、冒頭の「40過ぎたら…」の言葉でした。
人の顔には、その人がどう生きてきたのかが現れているということなのでしょう。
人の顔には表情筋というのがあって、唯一骨格と皮膚をつないでいる筋肉なんだとか。
怒った顔や笑った顔、悲しい顔など、顔の表情は表情筋によって作られます。
筋肉は使えば発達するし、使わなければ衰えてしまいます。
常に怒った顔をしていればその筋肉が発達し、常に笑顔の人は笑顔の筋肉が発達する。
常に無表情のままでいれば、笑顔を作ることさえできなくなってしまうかもしれません。
その人がどんな顔をしているのかは、どんな顔をしてきたのかが現れているのでしょう。
まじめに生きた人はまじめな顔に。強欲に生きた人は強欲な顔に。
そういう意味では、顔は自分の履歴書と言えるのかもしれませんね。

「顔に責任をもてと言われても、この顔は親にもらった顔なんだし、責任は自分ではなく親にあるっしょ」というむきもあるかもしれません。なぜ北海道弁なのかは知りませんが。
そう、確かにこの顔は生まれたときからこの顔でした。自分で選んだわけではありません。
幸か不幸か親に似ました。
「なんでこんな顔に生んだんだ」。
言われた方も黙ってはいません。
「母ちゃんに似たんだから仕方ないべ、文句あんならオレの親さ言ってけろ」。
うーん、親にも責任ないのか。
だけど何で自分に責任があるんだろう。
そこで大事なのは「40過ぎたら」の「40」です。
20歳までは確かに親にもらったこの土台の顔で生きてきました。
しかし、いわゆる大人となってから20年。これはもう親に責任をおしつけることはできないでしょう。
親にもらった土台に、どんな表情をつくってきたのか。自分の責任ですね。ましてや40はもうとっくに過ぎたんだし。

仕事柄、亡くなった方のお顔を拝ませていただく機会があります。
枕経に伺って、白布を外して手を合わせるとき、「きれいな顔だなあ」としみじみ拝むことがしばしばあります。
穏やかないい顔で旅立つことができたなら、生涯が報われたような気持ちになることでしょう。
表情筋の使い方によって旅立ちのお顔も変わってくると思われます。
今からでも遅くはない。美しい旅立ちのために。ある意味終活。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。