なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ168

2018年07月22日 05時06分43秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

7月21日、日曜日です。

上山の温泉に来ています。
昨晩は、家内の還暦祝いと娘と孫の誕生日祝いで家族全員集合の一泊でした。
10人中3人が7月の中旬に誕生しています。
孫二人が生まれて娘が結婚してから、母親も含めての全員集合は初めてのことになります。
お蔭で賑やかで楽しい一夜を過ごしました。豪雨災害の被災地の皆様には申し訳ない気持ちです。

いやあー、こんなことがあるものです。
実は今月、先週の土曜日14日から明後日の24日火曜日まで、寺の用事が全くありません。
法事も葬儀も何ひとつ入らず、予定表が真っ白です。
2週続けて土日に予定が入らない経験は今までなかったと思います。
5年ほど過去の予定表を遡って見ましたが、7月の予定表に無地の日は一日もありませんでした。
どうしたことでしょう。
葬儀も二カ月以上ありませんが、法事、寺参りまで皆無というのは今まで経験のないことです。
私は楽だし、しなければならない法話の原稿が進むしいいのですが、生活をキリモリする主婦にとってはなかなか厳しい状況のようです。
しかし、こればかりは営業ができるわけでもありませんし、「待つ」以外にしようがない仕事です。
「お父さん、働いて」と言われても、働く意思がないわけではないのです。
考えてみると、住職は、檀家に養われているということになるのだなあという実感です。
今後少子化で過疎が進み、絶家になる家が次々出てくるだろうことがはっきりしている田舎の町は、当然お寺の収入も減ってくることは明らかで、お寺の生活はそれに見合ったものにしなければならないということだけのことです。
お寺に見切りをつけて、生活の拠点を他所に移すということが簡単にできるものでもありません。
だいたいにして、住職家の生活のために檀家があるわけではないのですから、何が先か何が後かをしっかり考えなければなりません。
ニワトリが先か卵が先かなど、そんなのはニワトリが先に決まっています。
檀家というか、衆生にとって必要があれば住職がそこにいるのでしょうし、必要がなければいなくなるでしょう。お寺だって必要がなければなくなっていく運命です。
住職は、ただ自分の務めを黙々と務めていく以外に考える必要はありません。

とは言いながら、実際は寺に住職だけが住んでいるわけではなく、家族があり、子どもの教育や介護と、一般と変わらない生活があるわけで、本来のあるべきようにはいかないのが現実です。
半僧半俗の、自らに折り合いをつけながら生きていくしかありません。

それから、このたまたま暇な時期に浴室の改修をやりました。もちろん工事は大工さんが請け負ったのですが、目地のコーキングとペンキ塗りの状態が気に入らず、自分で修正を試みました。
楽しかったあ。クリエイティブな作業の何と楽しいことか。
やはり、お坊さんでなかったら建築業界で働きたかったと思ったことでした。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。