なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ213 喜びとは施すこと

2019年06月02日 04時36分10秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第213回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

6月2日、日曜日。
さてさて、今日は待ちに待った第14回松林寺集中講座です。
色々考えながら準備するのが一番楽しいですね。
前回よりも少しでもいい方法がないか、改善することはないか、シミュレーションしながらアイデアを絞るのがこよなく好きです。
14年間で少しずつバージョンアップしてきました。
ですから、毎回がそれまでの最高の準備体制です。
今回は特に入場者がとても多くなりそうで、本堂に240席を準備しましたがそれでも入り切れるか心配しながら今日を迎えました。
新聞にも記事が出ましたし、やなせななさん自身がラジオなどで広報してくれたためだと思います。電話予約だけで45名を超えました。
駐車場の準備もこれまで以上の体制を考えています。
いやあどうなるでしょうか。
打ち上げで思いっきり爆発することを楽しみにしています。
始めた以上できなくなるまでやるつもりでいますが、それがいつかは私自身にも分からないことです。

人生は実に短い。
明日消えても不思議ではない命を今日生きています。
だから、楽しめるうちは楽しむべきだと思っています。
人生を楽しむとは何か。それは誰かと喜びを共感すること分け合うことだと言えるでしょう。
分け合うということは、言葉通り、一方的に相手からもらうということではなく、自分からも出し合いそれを共有することです。
自分のものを与えられない人は、当然分け合うことができません。
喜びとは実は施すことだと言ってもいいと思います。
自分が持っているもの、智慧、知識、技術、能力、体力、経験、資金、言葉、笑顔、慈悲心。
施せるものを持っていることも幸せなことです。
短い人生の中で、どれだけ施せるか。施した分だけ幸せを感じられるように思います。
突然人生の最期が訪れたとき、手にするものがもっと欲しかった悔しさよりも、施せるものを施すことができなかったことの方が悔しいと思いませんか?
裸で生まれて裸で死んでいくだけです。
何も持たずに生まれてきたのですから、何も持たずに立ち去るしかありません。
生きてきた中で手にしてきたすべてのものを出し切って裸で死ねたら幸せだと思います。
手放したくないとしがみつく心が怖れとなります。

老後の貯えが心配ですか?
それはいくらあると安心なのですか?満足する金額はありますか?
ないことを心配するよりも、施そうと思って生きる方が楽だし楽しみだと思うのですが。
貯えた肉や脂肪や筋肉も次第に減っていき、それは施していくとも言え、果物や野菜が萎んでいくように、長生きすれば我々も萎んでいくだけのことです。
お金や自分の家、自己所有物、親兄弟、友達、仲間、話し相手、自分の役割、責任、居場所、できること、それらがどんどん減っていくのも自然の流れです。いただいてきたものを返していくだけのことです。怖れることはありません。
施して施して、飢え死にしようとも施して、その満足感で死んで行けたらそれが究極の幸せだと思います。

良寛さんの逸話。
ある晩、良寛さんが五合庵で寝ていると何やら人の気配。
泥棒さんか。こんなあばら寺に来ても何も盗るものもないものを。
それほどまでに困っているのか。せっかく来たのだから何も盗らずに手ぶらで帰すのもかわいそうだと、寝返りを打つ素振りをして今寝ている布団を持たせてやった。
ただ一つの煎餅布団までなくなった庵に独り坐っていると、中空に上った月がこうこうと庵を照らしている。
惜しいなあ、盗もうにも盗みようのない宝があることを盗人は知らなかったようだ。
迷いの雲を取り払えば、美しい月の光は彼の心にも宿っているのになあ、と詠んだ句が
 ぬすびとに 取り残されし 窓の月

そんな仙人みたいな生き方は無理ですか?マザーテレサのような人にはなれませんか?
無理だと思うのは常識や金銭的な価値観からで、それらを取り払ってみれば、自然の流れに任せることが最も楽な生き方なだと気づくのかもしれません。
あこがれるだけでもいいかと思います。
いずれにせよ、私は、欲の少ない人と共感できることを幸せだと感じます。
今晩は大いに喜びを分け合って幸せを共有します。分け合う喜びは二倍の喜びと言うじゃないですか。

それではここで1曲お送りしましょう。中島みゆきで『愛だけを残せ』。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。