なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ222 暑熱人をやぶらず

2019年08月04日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第222回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

8月4日、日曜日。

8月に入りました。
暑いですねー。
夏だから暑くて当たり前、結構なことなのですが。
7月は雨ばかりで、冷夏を心配し、何年前の凶作の時と同じだ、などと身構えたりしていました。
その時は、早く暑くなってくれないかと願ったことです。
なのにねえ、暑くなれば、よかったと安堵するより、涼しかったことを懐かしむようなことを口にしてしまうのです。
毎回同じことを言っているような気がしますが、人間はわがままなものです。

 東北の小寺の夏の裏庭に 暑さにうみて 鯉とたわむる(啄木さんごめんなさい)
池の鯉と遊ぼうと思って足を入れてみましたが、池の水も体温に近く、涼やかではありませんでした。

 暑熱をおづることなかれ、暑熱いまだ人をやぶらず、暑熱いまだ道をやぶらず
 不修よく人をやぶり、道をやぶる 

道元禅師の言葉です。
「やぶる」とは、ダメにするという意味でしょう。
暑さ寒さが人をダメにするのではない、ただ「不修」のみが人をダメにする、と。
厳しい暑さは体にこたえます。命を落とすこともあります。
しかし、「人間」は「体」だけを言うのではありません。
「人としての道」を歩むことは、人間として体と共に大事なことです。
寒苦と暑熱の道場で弁道に励む修行僧に、「辛くても修行をゆるくしてはならない」という、厳しくもあたたかい励ましの声として掛けられた道元禅師の愛語でした。
また、一心に弁道修行に励んでいれば寒暑によって体調を損ねることもない、という意味も含んでいたでしょう。
確かに、道場に入門したての頃、2月の永平寺で暖房の何一つない部屋に押し込められ、身につけているのは綿の下着と綿の一重の着物、それに黒衣のみ。見回りに来る古参僧は、「眠くなる」からと言ってガラス窓を開け放っていく。雪の舞い込む中、朝の3時から夜9時まで坐禅三昧の緊張の中で風邪をひく者は一人もいませんでした。
風邪など体調を壊しはじめるのは、少し慣れてきて気がゆるんできたころだった記憶があります。

まあ娑婆は修行道場ではないので精神力で暑さに負けないというようなことではありません。
暑いときは暑いなりの対処の仕方で乗り切るしかありません。
自然の作物のためには必要な暑さだと思えば耐えなければならないでしょう。
また寒くなれば、この暑さも恋しくなるはずです。

金曜日、用事で東京を日帰りしました。
今回もお伴は、今村翔吾『羽州ぼろ鳶組』シリーズ第4弾「鬼煙管」でした。
前回の失敗がありますから、気をつけながらと思いましたが、外を見た駅はもう古川の2つ前でした。
あっという間に時間が経つので、こういう本は危ないです。
今回の主役は、『鬼平犯科帳』の長谷川平蔵の父、先代平蔵で、その親子関係が描かれ、ワクワクしながら読みました。
冒頭を読み返してみたくなること必至です。

最上町では、この暑い時季に町会議員選挙の熱い?戦いが行われ、今日が投開票です。
選挙広報で候補者の主張を読んでも、具体的な政策はほとんど見当たらずボンヤリとした目標だけです。
結局、町村の選挙は縁故の票がほとんどで、熱くはなり得ないのかもしれません。
暑い中熱くなっているのは当事者たちだけで、町民は冷めた感じです。
とても残念なのは今回も女性の立候補者が一人もいなかったことです。
町政にもさわやかな風が吹けばいいのになと思います。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。