なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ224 綱渡りだよ人生は

2019年08月18日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第224回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

8月18日、日曜日。

人生は綱渡りなのかもしれないと、庭を掃きながらふと思いました。
いつ転落してもおかしくない微妙なバランスの上で、危なげな毎日を生きているのかもしれません。
それなのに、それに気づきもせず、当たり前のように、時には千鳥足となりながら一歩一歩歩みを進めているのです。
何も考えず、何事もないように、大道を歩くように生きられているのは、実は、知らないところ見えない力で支えられているからではないでしょうか。
逆に言えば、「生きづらさ」を感じるというのは、生きることは綱渡りであると感じ、一歩を前に踏み出すことにおびえ、未来の不安定さに希望を見い出せず、バランスをとることにストレスを感じているのかもしれません。
でも、人は一人で生きているわけではありませんから、誰の支えもないということはありません。自分が気づかないだけで見えない力がバランスをとってくれているのでしょう。それを信じ、それに任せてもいいのです。

一見無駄に見えることも実は、綱を渡るためのバランスになっていることもあるでしょう。
例えば、一本道を歩くとき、歩くに必要な道幅は肩幅ぐらいでしょうか。しかし、実際に肩幅の両側が断崖絶壁だとしたら恐ろしくて歩けたものではないですね。
肩幅の外側に、無駄とも思える余幅があるから安心して歩いて行けるのです。
その余幅を「無用の用」と言います。
車の運転も、ハンドルの「遊び」がなければ安全に動かすことはできません。
無駄かもしれない人のつきあいや、関係ないと思われる人々への思いなども、生きていくためには「用」なのです。
また自分の存在も、意識しなくとも誰かの用となっているでしょう。
いつ落ちるかもしれない不確実な綱の上を、見えない支えの力を信じて、堂々と前を向いて歩いていけばいいのです。
全ての存在への感謝だけを忘れずに。

全ての存在は、地・水・火・風の4つの元素で成り立っているという考えがあります。これを「四大」と言います。
これは人間にもあてはめられ、地ー骨格などの堅固の性質、水ー血液などの潤う性質、火ー体温などの熱の性質、風ー呼吸などの動揺・成長の性質が合わさって存在していると見ます。
しかし、その存在は4つの元素が因縁によって寄り集まった仮の存在にすぎないという考え方で、それを「四大仮和合(しだいけわごう)」と言います。
和合のバランスが崩れた状態を「四大不調」と言い、病気であることを指します。
因縁がほどけて、四大がバラバラになった状態を「四大遠離(おんり)」あるいは「四大縁謝(えんじゃ)」と言い、死亡を意味します。
そのように、すべての存在は因縁でできており、実体のないものである、虚空、無礙であるという意味で「空」を加えて「五大」とします。
それを現したものが「五輪塔」であり、卒塔婆ともなります。

仮和合でありながら、確かにここに存在している自分。
自分という実態があるわけではなく、因縁によって存在している。その因縁は「必要だから」と考えることもできます。つまり「用」なのです。
もちろん、要不要に関わりなく因縁がほどけるときもあるでしょうから単純には言えませんが。
また「用」は「はたらき」という意味もあります。
固まった「体」に対して、常に動いている「作用」のことです。
自分はここに、何かをするために存在している。はたらきこそが因縁ということもできるのです。
綱渡りの一本道、しっかりと渡ってみようじゃないですか。

昨日の鶴岡東の試合も綱渡りのようでしたね。よく頑張りました。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。