♪゜・*:.。. .。.:*・♪
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第223回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
8月11日、日曜日。
最上地方、昨日は雨が降って気温も下がりました。
猛暑続きだったので少し楽になった感じです。
この暑さで食欲がなくなりそうですが、まったく落ちません。
夏痩せしてもおかしくないのですが、まったく減りません。
この暑さをものともしない食欲、おそるべし自分。
ただ、脳の働きは落ちているようです。あまり回転していません。
うーん、暑さのせいではないのかも。
高校野球も始まりました。
金曜日は山形代表鶴岡東の試合でした。
勝ちました!初戦突破です。
相手は古豪高松商業。
相手投手はいい投手でしたが、何とか打ち勝ちました。
以前、東北特に山形の高校は、田舎者というか、全国レベルにはかけ離れた、参加するだけに意味があるような弱いチームが多かったのですが、この頃は、堂々と互角にあるいはそれ以上にいい試合をしてくれます。
今回もノーエラーだし、打つし、立派な戦いでした。
同じ東北の八戸学院光星も、仙台育英も2回戦に駒を進めています。
昨年は金足農業旋風が吹き荒れましたし、本当に東北も強くなりました。
ただ、温暖化も進んでいることから熱中症などもあって、根性論だけでは片づけられない高校野球になっています。
試合のあり方そのものに改革が必要な時代になってきているのだと思います。
1回勝つと次も期待してしまいますが、そんなプレシャーをものともせず、勝っても負けてものびのびと闘って欲しいと願います。
さて、お盆です。今月の門前の掲示板はこんな言葉です。
親と先祖を
尊ぶことは
その延長たる
己を守る
ことである
この言葉は、震災後、やなせななさんとのつながりで出会った相馬市のCDショップモリタミュージックの森田文彦さんのお母さん文子さんの言葉です。
80歳を過ぎた文子さんは、ボケ防止と言って、1人で何やら字を書いているのだそうです。
何を書いているんだろうとのぞいた時に目に留まったのがこの言葉でした。
文彦さんは、「おふくろすごい!」とフェイスブックにUpしてくれました。
命は、この星に誕生してから一度も途切れていません。
正確に言うと、今ここにある自分の命は、40億年のはるか昔から途切れることなくつながってきた命の結果です。
その末端から元をたどれば、具体的には親となり、またその親となります。つまり先祖です。
そのことに思いをいたし、ここまでつなげられてきた命の尊さを感じるとき、それは同時に自分の命の尊さにも気づくことになります。
文子さんがどんな思いからこのような言葉をつむぐようになったのかは知る由がありませんが、きっと、先祖とつながる命に今自分が生かされていると感じたのかもしれません。
だから、先祖を思い、敬い、尊び、大事にすることが、自分自身を敬い、尊び、大事にすることになる。逆に言うと、自分を敬い大事にすることが、親と先祖を尊ぶことだ、と確信されたのだろうと思うところです。
若いころには、親だとか先祖だとか命のつながりだとかいうのはあまり関心がないことであり、自分のこと今のことのみが中心なのかと思います。
それが若いということであり、だからこそ純粋であり、高校球児のように今に集中できるものなのでしょう。
歳を重ねるのしたがって、過去現在未来の時の流れ、人と人とのつながり、未来の不安も含めて幅広く思いを巡らせることができるようになる。それはそれで成長と呼べるものかもしれません。
若いときは若いなりの、歳を重ねればそれなりの、受け止め方、感じ方、気づきがあっていいのですね。
年に一度、この時だけでも、墓参りをしながらそんなことも考えてみたらいかがでしょう。
お盆ですからね。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第223回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
8月11日、日曜日。
最上地方、昨日は雨が降って気温も下がりました。
猛暑続きだったので少し楽になった感じです。
この暑さで食欲がなくなりそうですが、まったく落ちません。
夏痩せしてもおかしくないのですが、まったく減りません。
この暑さをものともしない食欲、おそるべし自分。
ただ、脳の働きは落ちているようです。あまり回転していません。
うーん、暑さのせいではないのかも。
高校野球も始まりました。
金曜日は山形代表鶴岡東の試合でした。
勝ちました!初戦突破です。
相手は古豪高松商業。
相手投手はいい投手でしたが、何とか打ち勝ちました。
以前、東北特に山形の高校は、田舎者というか、全国レベルにはかけ離れた、参加するだけに意味があるような弱いチームが多かったのですが、この頃は、堂々と互角にあるいはそれ以上にいい試合をしてくれます。
今回もノーエラーだし、打つし、立派な戦いでした。
同じ東北の八戸学院光星も、仙台育英も2回戦に駒を進めています。
昨年は金足農業旋風が吹き荒れましたし、本当に東北も強くなりました。
ただ、温暖化も進んでいることから熱中症などもあって、根性論だけでは片づけられない高校野球になっています。
試合のあり方そのものに改革が必要な時代になってきているのだと思います。
1回勝つと次も期待してしまいますが、そんなプレシャーをものともせず、勝っても負けてものびのびと闘って欲しいと願います。
さて、お盆です。今月の門前の掲示板はこんな言葉です。
親と先祖を
尊ぶことは
その延長たる
己を守る
ことである
この言葉は、震災後、やなせななさんとのつながりで出会った相馬市のCDショップモリタミュージックの森田文彦さんのお母さん文子さんの言葉です。
80歳を過ぎた文子さんは、ボケ防止と言って、1人で何やら字を書いているのだそうです。
何を書いているんだろうとのぞいた時に目に留まったのがこの言葉でした。
文彦さんは、「おふくろすごい!」とフェイスブックにUpしてくれました。
命は、この星に誕生してから一度も途切れていません。
正確に言うと、今ここにある自分の命は、40億年のはるか昔から途切れることなくつながってきた命の結果です。
その末端から元をたどれば、具体的には親となり、またその親となります。つまり先祖です。
そのことに思いをいたし、ここまでつなげられてきた命の尊さを感じるとき、それは同時に自分の命の尊さにも気づくことになります。
文子さんがどんな思いからこのような言葉をつむぐようになったのかは知る由がありませんが、きっと、先祖とつながる命に今自分が生かされていると感じたのかもしれません。
だから、先祖を思い、敬い、尊び、大事にすることが、自分自身を敬い、尊び、大事にすることになる。逆に言うと、自分を敬い大事にすることが、親と先祖を尊ぶことだ、と確信されたのだろうと思うところです。
若いころには、親だとか先祖だとか命のつながりだとかいうのはあまり関心がないことであり、自分のこと今のことのみが中心なのかと思います。
それが若いということであり、だからこそ純粋であり、高校球児のように今に集中できるものなのでしょう。
歳を重ねるのしたがって、過去現在未来の時の流れ、人と人とのつながり、未来の不安も含めて幅広く思いを巡らせることができるようになる。それはそれで成長と呼べるものかもしれません。
若いときは若いなりの、歳を重ねればそれなりの、受け止め方、感じ方、気づきがあっていいのですね。
年に一度、この時だけでも、墓参りをしながらそんなことも考えてみたらいかがでしょう。
お盆ですからね。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。