なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ228 自己嫌悪と記憶

2019年09月15日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第228回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

9月15日、日曜日。

今年の春に地元の男衆が休耕田に植えた蓮が見事に咲きました。
移植1年目で咲くのは珍しいらしく、男どもは「気持ちの問題だ」と胸を張っています。
確かに、立小路駅の正面で松林寺の隣ですから、駅からも列車からもまた墓参りの人にも見てもらえる場所で、「みんなに喜んでもらいたい」という思いからの行動でしたから、気持ちがこもっていたのは間違いありません。ただの酒飲みではありません。
来年にはもっともっと多くの花が一面に咲くでしょう。男どもは更に隣の休耕田にも蓮田を広げる計画のようですから楽しみです。

先日、ある人と話をしている中で、「若いころは自己嫌悪でひどかったんだよ」という話をしました。
実際特に二十代前半のころ、毎日自分を責める息苦しい日々を過ごしていました。
「どうやって解消したんですか」
自己嫌悪になる原因は「暇だから」だと思い、とにかく暇を作らないように手当たり次第に用事を入れ、スケジュール表が予定でビッシリになることを喜びとしていました。
そのうちに、自分を見つめる時間がなく、それが自己嫌悪解消につながったと思います。
更に後年、ここでも何度も言っていることですが、過去を振り返らない、思い出はいらない、記憶を捨てよ、という思いに至り、過去の嫌な思い出が浮かんで来たら、頭を振って振り払うようになりました。
そんな話をしていて気がつきました。
自己嫌悪は記憶から生まれるのだと。
過去の自分を思い出し、その姿に嫌悪するのですね。
「今言ってしまったことに自己嫌悪する」ということもあるかもしれませんが、厳密にいえばその「今」もちょっと前の過去の記憶です。
過去に行ってきた自分の行いは紛れもなく自分の行いで、消し去ることはできませんが、それを思い出してみたところで何のためにもなりません。
反省はあってもいいかもしれませんが後悔は意味がありません。
「じゃあ、言いっぱなし、しっぱなしでいいのか」ということになりますが、過去の記憶に嫌悪して「今」をちゃんと生きられなくなるならその方がいいと思います。
過去に振り回されて今をちゃんと生きないから、それが新たな自己嫌悪を生むのですから、記憶による自己嫌悪の再生産、悪循環となります。
「前後裁断」。過去の記憶も未来の不安も断ち切って今を生きる以外にないのです。

反省もあえてしなくても、無意識の中で体は覚えているように思います。
一度転んだ経験のある場所では、体が無意識に反応するでしょう。
反省がなければ同じ過ちを繰り返す。だけど、反省しても繰り返したりします。
繰り返して迷惑をかけたとしても、それはその人の問題で、それを見て腹を立てるのは立てる人の問題です。
同じように、「過去の自分」に後悔して嫌悪を感じるのは「今の自分」の問題です。
誰かに嫌われたっていいじゃないですか。そんなことを気にするより、今自分がすべきこと、自分を磨き自分を輝かせることは何かを考え実行に移すことの方が重要な課題だと、私には思えます。
少なくともそれが、私の自己嫌悪から抜け出す方法でした。

中島みゆきも歌っています。
  思い出なんか邪魔な荷物 急いで捨てることさ 傾いた船べりから (難破船)

過去の自分に振り回されない、過去の記憶で今を無駄にしない、今を生きる、今を生きる。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

写真©奥山勝明