なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ255 まつろわぬ者

2020年03月22日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第255回。3月22日、日曜日。

まずは報道部から1週間の動きをまとめて。
15日彼岸前本堂掃除。
17日彼岸入日供養奉詠。
20日彼岸の中日。
21日松林寺本堂にて葬儀。
そのような1週間でした。

おはようございます。
特に出かけるような用事のない1週間でしたので、今村翔吾の『童の神』を読みました。
舞台は京の都とその周辺。時代は西暦1000年の前後。975年皆既日食が起こった時から物語は始まります。
平将門の娘と安倍晴明との間にできた子や孫、源頼光四天王、渡辺綱、坂田金時など歴史上の人物も活躍しますが、どこまで史実でどこから創作なのか私には不明です。
京に住む「京人(みやこびと)」と、京人から「鬼」「土蜘蛛」「犬神」「夜雀」「天狗」「夜叉」など、それらを総称して「童(わらべ)」と呼ばれた土着の民との戦を中止に物語は進みます。
遠くは「蝦夷(えみし)」「熊襲(くまそ)」などと呼ばれていた「まつろわぬ」化外の人々は、野蛮で人よりも動物に近いと懼れられ、排除され成敗されてきました。
しかし、それは京人側からの見方であって、実際は赤い血の流れる同じ人間であり、独自の神を祀り文化を持つ豊かな人々、京人とも仲良く暮らしたいと願う純な人々でありました。
大雑把に言えば、縄文の時代からこの国に暮らす人と後に渡来した弥生人との戦いと言ってもいいでしょう。
『御伽草子』などには、頼光四天王が鬼退治をする物語として朝廷側から描かれているようです。
ただ、一方ではそれが特定の属性やかたまりの戦いというよりも、人間の性(さが)からくるものといえるのかもしれません。
この小説では「卿は人の醜さを知っておられる。蔑む者がいてこそ、民の心は安らぎを得ことを。そうでなくては民に生まれる不平不満は行き場をなくして上へ向かう。さすれば一族の万世の安寧はない」と言わせています。
その醜さに抗い、天下和同の世をつくりたいと夢見る者たちがいた、その旗頭になっていくのがこの物語の主人公の「花天狗」後の「酒呑童子」こと「童の神」桜暁丸(おうぎまる)である。

この物語から1000年が経った今、果たして天下和同の世界は実現したのだろうか。
国内において血を血で洗うような戦が続いているわけではありません。そういう意味では平和な世の中だといえるでしょう。
しかし、様々な差別がなくなったわけではありません。被差別、在日外国人、障害者、性別、さらには貧富の格差、そして、東北などの地方に対する見方も京人の時代から変わっていないのではないかと思ってしまいます。
また、政権に批判が向けられようとするとき、何故かスキャンダラスな話題が惹起され、衆目の矛先が逸れてしまうというようなことが度々起こるもの、1000年前の構図と変わらないのかもしれません。

山形県長井市にはフォークソンググループ「影法師」がいます。
その最近の歌『とうほぐ』ではこんなことを唄っています。

 震災東北で まだえがった(良かった)ど
 つかした(ほざいた)大臣この前いだけな(いたな)
 今だて(今でも)国の 東北見る眼は
 白河以北 一山百文か
  2万人の人が 津波で死んでも
  原発事故で 住む所失くしても
  東京無事だら そんじぇええ(それでよし)ど
  白河以北だら さすけねぇ(かまわない)つうなが
 150年 閉じ込めらっちゃ(られた)
 東北のまづろわぬ(服従しない)魂よ
 出て来い出て来い 出て来て吠えろ
 誰だ悪い奴! 悪い奴出て来い!
 (中略)
 おこぼれけっから(やるから) ちっと我慢しろだど
 おらだは犬でね こんでも国民(ひと)だぞ

全く同感ですね。
原発事故後、原発の仕組みについての講演会が山形市であり聞きました。
中央から来たその専門家が「今回は福島でラッキーでした」と言いました。「福井の原発だったら風向きで大変だった」という脈略ですが、「ラッキー」という言葉を聞いて、腹が立ってその後の話は聞く気になれず途中で会場を飛び出したことがありました。あくまでも東京が中心なのは間違いありません。
支配者側からの天下和同はできません。
大人しくしていれば同等に扱ってくれるというのも夢想です。1000年前から歴史が証明しています。
自分たちの安寧のためにさげすむ人を求めているのですから。
踏まれている者が「痛い」と叫び続けなければ、足を上げることはないのです。
さげすまれている以上「まつろわぬ」者でいる以外にありません。
東北の童が純な心を持ち続け、この地で幸せな営みをなし続け、それをもって京人に羨望させることで見返しとしましょう。
犬ではないから遠吠えはしません。噛みつきもしません。
しかし、飼いならされてもいけません。しっかりと意思表示はしていかなくてはなりません。
コロナも来ないような田舎の山形県。いいではないか。田舎でよかったのだ。
じっとしているときはじっとするのもいい。高く跳ぶためには深く屈まなければならないのだから。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。