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やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ327 アフガニスタンを注視

2021年08月22日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第327回。8月22日、日曜日。

8月15日、タリバン勢力が首都カブールを掌握しました。
今後の動向に注視をしています。

アフガニスタンが世界の注目を浴びるようになったのは2001年です。
それまでのアフガニスタンは、ほとんど世界の関心の外にありました。
1979年にソ連軍が侵攻してきて内戦状態になり、それを非難して西側諸国が次の年に開催されたモスクワオリンピックをボイコットしたのは記憶にあるでしょう。同じ年にカンボジア難民が発生したので日本の関心はそちらに傾注されたかと思います。
9年に及ぶソ連との闘いの中で、イスラム武装勢力が台頭し、アルカイダを生む温床となっていきます。アメリカはソ連を弱体化させるためにゲリラ勢力に武器を提供して内戦は泥沼化していきます。その後その武器の銃口はアメリカに向かうことになります。
結局、この失敗が大きな原因の一つとなりソ連は崩壊したと言われています。
もともと厳しい自然環境の中、内戦で国は疲弊し、世界の関心からも取り残され、国民は極貧の生活を強いられていました。
そこに起こったのが、2001年9月11日のあの同時多発テロでした。
映画のような光景に目を疑い、現実であることに衝撃を受けました。
そのテロを実行したとされるのが、ビンラディンを首謀とするアルカイダでした。
アメリカは、その首謀者の引き渡しをその当時のアフガニスタン、タリバン政権に要求しましたが拒否されたため、その報復としてアルカイダが潜伏するアフガニスタンの山岳地帯を空爆したのです。
その時になって初めて、アフガニスタンに世界の耳目が集まり、その厳しい現状が明らかになったのでした。
タリバン政権は倒れ、海外の支援団体が現地に入り、緊急支援が開始されました。
シャンティ国際ボランティア会もその一つでした。
車も通らない山岳地帯の村々に、スタッフがロバに食糧を積んで緊急支援を実施したのでした。
その後現地のスタッフから、国内のあまりに厳しい現状、特に教育事情についての報告があり、緊急支援にとどまらず事務所を据えての教育支援活動の要請が寄せられました。
シャンティ国際ボランティア会は、カンボジア難民支援を契機に、アジアの仏教圏だからというところに親和性を感じて活動を始めた団体です。
当然理事会は紛糾しました。そもそもアフガニスタンはアジアなのか、東西の十字路と言われているところからすればギリギリその境界線上にあると言えなくもありません。
だとしても、イスラム圏のことはあまりにも何も知らない。その文化は、その人々は、そもそも、そこに仏教系の団体が入っていけるのか。結局、その時の理事会で結論は出ず、理事の代表が現地に入って視察をして結論を出すということになりました。
その理事3人のうちの一人として私も視察に行くことになりました。2002年9月のことです。
パキスタンのペシャワールに入り、そこで現地の服装に着替えました。
ワゴン車の中央に乗り、周囲をひげモジャの男どもが囲みます。彼らは緊急食糧支援を行ってくれた現地NGOの頼りになるスタッフたちです。
国境のカイバル峠を超える時には、自動小銃を抱えた別の男が乗り込んできました。
ここは山賊が襲う危険がある地帯なのでガードマンを乗せたのだと。
でもその男は山賊の一味らしく、そのようにして山賊の資金源になっているらしかったのです。
そんな緊張感の中アフガニスタン国内に入りました。
車中から眺めると、山には1本の木もなく、荒漠とした乾いた大地が延々と続いています。
隣のひげモジャが窓の外を指さして言いました、「あの岩山に黒い穴が見えるだろう。あれは昔仏教寺院だったんだ。我々の先祖が信じていたものを我々は否定しない。だから、あなたたちに対しても違和感がない」と。
我々が感じていた不安を察したのか、そんなことを言ってくれました。急に肩の力が抜け親しさを覚えました。
ある村に到着し、この家が唯一トイレのある家だとのことで村長(むらおさ)の家に泊めてもらうことになりました。
トイレと言っても、牛小屋の床に穴が開いているだけのことでした。風呂はないので川で体を洗っているとのこと。日本の鎌倉時代はこんな感じだったのだろうか。
イスラム社会では、客人は神と同じだから最大限のもてなしをするという習慣で、我々にも様々な料理が準備されました。運んでくるのは全て男です。
そのことは承知していたので、事前に食材を大量に調達してお土産として渡していたのでした。
学校を視察しました。タリバン後、それまで教育が禁止されていた女子も含めて就学希望が殺到し、校舎が足りず緑陰での青空学校でした。
これまで、カンボジア、ラオス、ミャンマー難民キャンプと訪問してきていましたが、この貧しさはその比ではないという印象を持ちました。
結局、視察した理事は教育支援の必要性を強く感じ、理事会にて活動開始の決定をしたのでした。
以来20年。39棟の学校校舎を建設し、12の図書館132の図書室を作り、教員研修事業を行い、116タイトルの絵本・紙芝居の出版を行ってきました。
それらの活動の成果もあって、950万人の児童が新たに学校に通えるようになったのです。
ようやくここまで来たのに、という無念の思いでいっぱいです。
タリバンの代表は声明で「以前のタリバンとは違う。イスラム法の範囲内で女性の教育と就労を守る」と発表しました。
それが事実として今後守られることを祈るばかりですが、タリバンの中にもいろんな考え、勢力があると思われ、混乱が起こってくれば声明がどこまで保証されるのか注視していかなければなりません。
ミャンマーに続いての政変で胸を痛めています。海外支援事業の難しさを感じます。

シャンティの事務局長山本英里の緊急メッセージは熱い思いでつづれられています。ぜひお読みください。
彼女は、2002年ユニセフ支援の「back to school」事業でアフガニスタンに派遣され、そのままシャンティの現地事務所で6年間調整員を務めました。アフガニスタンの公用語の一つパシュトゥン語が話せる稀有な日本人です。

【アフガニスタン】人道援助の継続を|シャンティからのお知らせ|公益社団法人 シャンティ国際ボランティア会(SVA)

1981年にタイ国内のカンボジア難民キャンプで活動を開始して以来、アジアの子どもたちへ本を通じた教育支援や緊急救援活動を行ってきました。

公益社団法人 シャンティ国際ボランティア会

 


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。